パニック映画

災害を取り扱った映画のジャンル
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パニック映画(パニックえいが)、またはディザスター映画(ディザスターえいが)[1][2]災害映画(さいがいえいが、: disaster film)は[3]災害や大惨事など突然の異常事態に立ち向かう人々を描く映画のジャンル[1][2][3][4][5]超高層ビル火災、飛行機列車事故地震洪水ハリケーンなどの自然災害伝染病の蔓延、惑星関連、テロリストによる犯罪エイリアンの侵略、関連、テクノロジーの失敗などが描かれる[2][5][6]

日本では「パニック映画」という名称が長く用いられてきたが[1][3][7]、近年では英語圏の呼び名の直訳である「ディザスター映画」の使用が増えている[1][3][8][9][10][11]。英語圏以外ではカタストロフィ(fr:Film catastrophe)が使用されることが多い。

様々な人間の行動を描くためにグランド・ホテル形式が用いられる[3][6]。その伝統に則るため、「往年の大スター」を含んだ比較的豪華なキャストが組まれることが多い[6]。また異常事態を描くために大掛かりな特撮SFX)が使われることが多い[2][3][6]

アメリカ東海岸やヨーロッパの作品では大事故や洪水、伝染病の蔓延などが描かれることが多い。

歴史

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映画という見世物が誕生した1895年当初からパニック映画は存在した[1][2]。「映画の父」とも呼ばれるD・W・グリフィス1916年に制作した『イントレランス』には、すでにパニック映画の要素が見られた。1930年代の『桑港』(1936年、W・S・ヴァン・ダイク監督)や、『シカゴ』(1938年、ヘンリー・キング監督)は基本的にはメロドラマながら[12]、いづれもクライマックスサンフランシスコ地震シカゴ大火が登場する[12]1940年アルフレッド・ヒッチコック監督の『海外特派員』には悲惨な飛行機墜落シーンが含まれる[2]

1950年代から1960年代初頭のSF映画には『地球最後の日』のように大惨事を描くものが多かった。

ディザスター映画は『世界が燃えつきる日』『チャイナ・シンドローム』『ミッドウエイ』といった映画にも影響を与えた[5]

ジャンルとしてのピーク

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大災害を描く映画は前述のように古くからあるが、独立した映画ジャンルとして認められるようになったのは1970年代である[5]1970年の『大空港』の成功により、70年代にパニック映画が流行した[5][13]。同作は長い上、セリフも大迎で無意味な人間ドラマが繰り広げられる等、突出した映画ではなく、むしろダサいが[5]、製作者の意図とは別にディザスター映画というジャンルが観客の注目を集め[5]、ディザスター映画というジャンルが収益に結びつくという可能性を他の製作者に気づかせた[5][13]。このため『大空港』は70年代パニック映画の起源として位置付けられることが多い[5][13]。上妻祥浩は『大空港』製作のヒントとなったのは、1954年の『紅の翼』と『新幹線大爆破』(1975年、東映)が参考にしたといわれるアメリカのテレフィーチャー夜空の大空港』(1966年)ではないかと考察している[13]。『大空港』は以降、「エアポートシリーズ」として、パニック映画ブームを牽引した[13]

パニック映画のエポックメーキングとして語られるのが1972年の『ポセイドン・アドベンチャー』である[1][14]。同作は大災害の収束など悠長なことは言わず、最初の30分で豪華客船は転覆、全員真っ逆さまに突き落とされ、誰一人傍観できる立場に置かない大災害に遭うという大きな賭けに出るなど巧みな脚本、最後の一コマまで急降下し続けるジェットコースターのような正確な演出[5]、「ミニチュア+実物大セット+オールスター・キャスト+大量のエキストラ」に加え、スターキャストたちに人によっては過酷なスタントを自ら演じさせリアリティを追求[1]スタントマンを大量に配した派手な転覆シーンなどで、パニック映画のスタイルとジャンルを確立した[1][5][14]。またポスターの下にオールスター・キャストの顔がズラリと並ぶフォーマットは本作が広めたとされる[5]。『大空港』になく本作にあり、以後のパニック映画の重要な設定の一つとなったのが「危険いっぱいの空間から、災厄に巻き込まれた人々が自力で脱出しようとする」サバイバル要素だった[14]。同作の大ヒットを受け、アメリカのスタジオはこぞって独自のディザスター映画を作り始めた[5]。また日本でも多数のパニック映画、及び、パニック映画とはいい難い映画もパニック映画くくりで公開された[1]。1975年に日本で公開された『サブウェイ・パニック』はパニック映画ではない犯罪映画ながら[1][6]、邦題に「パニック」と付けられ、当時のパニック映画ブームに便乗した[1][6]東京タイムズ1975年1月11日付に「パニック映画が流行している。流行の原因はいろいろあるだろうが、なにより機械文明が高度に発達した今の時代は、ちょっとしたメカニズムの狂いでどんな災害が起こるか分からない、といった人々の危機意識にアピールするからだろう」と書かれている[15]。『映画秘宝』は「1970年代に映画界がパニック映画を取り込み始めたのは『生き残る意思』と『それでも人の生き死には偶然が作用する』というテーマの下地となる社会情勢が形成され、それをいち早く感じとったから」と解説している[1]。パニック映画ブームが日本でピークに達したのは、1975年6月に総数180館という前代未聞の拡大方式により[16]、当時史上最高の興行収入62億円を記録した『タワーリング・インフェルノ』で[1][5][17]日本の映画会社東映が『新幹線大爆破』を、東宝が『動脈列島』と日本製パニック映画を製作して[18]、『タワーリング・インフェルノ』と同時期に封切りをぶつけ、真っ向勝負を挑んだが[19][20]、惨敗している[19][20]

しかし、スタッフの努力も俳優の好演も見られない作品が矢継ぎ早に作られ、1970年代中頃にはパニック映画というジャンルは消耗し尽されていった。ノーマン・イングランドは「アメリカでディザスター映画が終わりを迎えたのは1980年の『世界崩壊の序曲』」と論じている[5]1990年代中頃から、特撮技術の進歩によって迫力のあるスペクタクルシーンの製作が可能となり、パニック映画は復活した。2000年代後半以降、CGの技術が著しく向上し、これらシーンの制作が容易になっていることもジャンルの隆盛に一役買っている。

日本における歴史

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日本においては、『ゴジラ』に代表される怪獣の出現による政府や市民のパニックを描く映画が1950年代より多作されており、同時に天体衝突や全面核戦争などを描いた作品も作られていたが、これらの作品群は「特撮映画」(またはトリック映画)と呼ばれていた。1970年代にハリウッドで次々とディザスター・フィルムが制作された際、日本の洋画配給会社(外国映画輸入配給会社)により[6]、大スケールの犯罪サスペンス映画などに、そのジャンルを分かりやすく、かつインパクトを与えるように意訳された「パニック映画」なる言葉が日本独自に生み出され[6]、『ポセイドン・アドベンチャー』や『タワーリング・インフェルノ』『大地震』などの大ヒットにより一般に定着した。「パニック映画」という命名は結構優れたセンスとも評価される[6]。以後、「パニック映画」という言葉は配給会社やテレビ局などによって戦略的に使用されるようになり、災害によるものだけでなく、「何らかの異常事態により人々がパニックに陥るもの」がほとんど全てパニック映画として宣伝されるという事態となった[6]

例えば『カサンドラ・クロス』は「細菌に侵された列車の恐怖」を描いたものだが[1]、クライマックスの鉄橋落下シーンが特に強調された[1]。地下鉄乗っ取りを描いた『サブウェイ・パニック』や、競技場での銃乱射の恐怖を描いた『パニック・イン・スタジアム』などは、原題とは無関係に、そのものずばり「パニック」と入った邦題がつけられている[1][12]。これらは、本来であれば「ディザスター・フィルム」の範疇とするには微妙な作品である[1][12]。また70年代中盤には、パニック映画ブームの中で公開され大ヒット作となった『ジョーズ』を筆頭に、『グリズリー』『オルカ』『スウォーム』など、さまざまな動物や昆虫が人間を襲う映画が「動物パニック映画」として次々と公開された。

一方、この時期(70年代中期〜後半)は『ゴジラ』シリーズなど怪獣映画が下火になったこともあり、オイルショックも重なった日本映画の苦境期だったことから、日本の映画会社が特撮技術のノウハウを活用するためにパニック映画の製作を行ったという内部的な事情もある。東宝の『日本沈没』『ノストラダムスの大予言』『東京湾炎上』『地震列島』や東映の『新幹線大爆破』がそれにあたる[21]。「地震王国」の異名を持つ日本ならではの地震をリアルに描いた『日本沈没』『地震列島』、経済大国日本を象徴する新幹線を題材にした『新幹線大爆破』は、日本にしか作られないパニック映画であったといえる[21]。『新幹線大爆破』はフランスでも公開され大ヒットした。これらの作品は、火薬を用いた都市やコンビナートの爆発シーンを売りにしていた一方で、地震の発生原因や実際に起きた際のシミュレーションに竹内均大崎順彦をはじめとした地質学者、建築学者の協力を仰ぐというリアリティの追求も見られる。

主な作品 (ベストテン)

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IndieWire「ディザスター映画歴代ベスト10」

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Hollywood Reporterが選ぶディザスター映画ベスト11

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シネマトゥデイによるディザスタームービー破壊力ベスト10

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VOD STREAMによる家族で楽しめるディザスター映画ベスト10

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映画秘宝によるディザスター映画10本

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主な作品 (年代順)

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欧米の映画

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怪獣映画

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動物パニック映画

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航空ものと並ぶパニック映画のメイン・ストリームの一つが生物もの[24]

パロディ映画

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アジア映画

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怪獣映画

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日本映画

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Category:日本のパニック映画」も参照

  • 宇宙人東京に現わる(1956年) - 新天体Rの地球接近の地球による天変地異、異星人の協力を得て新天体Rに対処しようとする人類が描かれる。
  • 世界大戦争(1961年) - ロシアの核ミサイルの誤認発射が引き金で人類が滅亡する。
  • 妖星ゴラス(1962年) - 地球に接近する妖星から逃れるため、南極にロケットを取り付けて地球を移動させようとする。
  • 吸血鬼ゴケミドロ(1968年) - アメーバ状の宇宙生物が人間に乗り移り、全人類の血を吸った後、地球を侵略する。
  • 日本沈没(1973年) - 日本列島が海に沈むと予言した地球物理学者と政府機関が、国民を救おうと悪戦苦闘する日本映画史に残る名作[21]
  • ノストラダムスの大予言(1974年) - 地球各地で異常規模が発生し、食料価格が暴騰。人心も荒廃し、それによる二次災害も発生し、ついには全世界は核戦争に突入。全世界が死滅しても核ミサイルは自動報復システムにより発射され続け、打ち尽くした後は地球は死の星と化する。日本映画史を代表する封印映画[21]
  • 新幹線大爆破(1975年) - 新幹線に爆弾を仕掛けたという脅迫電話から始まる。年を追うごとに評価を高めた和製パニック映画の秀作[21]
  • 東京湾炎上(1975年) - 原油積載の20万トン級タンカーのシージャック。石油基地を破壊せよとの脅迫に、日本政府が石油基地破壊の特撮映像を放映して犯人を欺こうとする。日本パニック映画の老舗・東宝が押し寄せるパニック映画に対処するため製作した映画[21]。和製パニック映画の最も異端な作品[21]
  • 皇帝のいない八月(1978年) - 日本版『カサンドラ・クロス』作品。
  • 地震列島(1980年) - 東京を襲う直下型地震。『大地震』と同じような場面が随所に見られる。映画ファンを驚かせた脚本は新藤兼人[21]
  • 復活の日(1980年) - ウイルス兵器が全世界に拡散し、南極基地以外の人類が死に絶える。
  • 首都消失(1987年) - 東京が高濃度の電磁気物質に包まれ、音信不通になる。
  • 回路(2001年) - 幽霊によるネットを使った奇襲によって日本全土から人類が失踪していく。
  • 自殺サークル(2002年) - アメリカ映画『ハプニング』と似た趣旨で日本各地で集団自殺が多発していく。
  • ドラゴンヘッド(2003年) - 火山の噴火と大地震が発生して脱線した新幹線から生き延びた3人の高校生のサバイバル劇を描く。
  • 日本沈没(2006年) - 1973年版のリメイク。
  • 日本以外全部沈没(2006年) - 沈む場所が逆な上記のパロディ。
  • 252 生存者あり(2008年) - 東京首都直下型地震が発生。その影響で巨大台風が発生し、台場新橋を直撃する。
  • 感染列島(2009年) - 感染症の蔓延で社会機能停止。
  • サバイバルファミリー (2017年)- ある日突然訪れた原因不明の電気消滅により、東京は廃墟寸前となる。
  • Fukushima 50 (2020年)- 東日本大震災による福島第一原子力発電所事故を描く。

怪獣映画

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  • ゴジラ(1984年) - 本来は怪獣映画だが、本作はゴジラ出現による人々の恐怖や日本政府の奮闘や冷戦時の核問題など、パニック映画として描かれている。
  • シン・ゴジラ(2016年) - 怪獣が現代日本を襲い、政府が対策を講じる。
  • ゴジラ-1.0(2023年) - 戦後、無(ゼロ)になった日本へ追い打ちをかけるように現れたゴジラが、この国を負(マイナス)に叩き落とす。

動物パニック映画

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  • 昆虫大戦争(1968年) - 人間を狂わせる猛毒と知能を持った昆虫が人間を襲う。
  • 恐竜・怪鳥の伝説(1977年) - 富士樹海で中生代の爬虫類が人類に襲い掛かる。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 大内稔「1970年代に絶頂期を迎えたディザスター映画ベスト・セレクション」『映画秘宝』2024年8月号、洋泉社、23–24頁。 
  2. ^ a b c d e f Disaster Films
  3. ^ a b c d e f パニック映画』 - コトバンク
  4. ^ 上妻祥浩 2014, p. 1-2.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s ノーマン・イングランド「Grindhouse★USA ノーマン・イングランドのグラインドハウスU.S.A.」『映画秘宝』2020年12月号、洋泉社、102頁。 
  6. ^ a b c d e f g h i j 上妻祥浩 2014, pp. 2–9.
  7. ^ なかざわひでゆき (2013-05–31). “70年代アメリカの殺伐とした世相を映し出すパニック・サスペンス巨編『パニック・イン・スタジアム』”. ザ・シネマ. AXN. 2024–06–24時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月20日閲覧。
  8. ^ a b ディザスター映画歴代ベスト10 米紙が選出”. 映画.com. エイガ・ドット・コム (2024-07–22). 2024–07–06時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月20日閲覧。
  9. ^ a b これはヤバすぎる!ディザスタームービー破壊力ベスト10”. シネマトゥデイ. シネマトゥデイ (2018-01–18). 2024–12–06時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月20日閲覧。
  10. ^ a b 森茂穂 (2024-10–09). “破滅のシナリオを体感せよ! 家族で楽しめるディザスター映画ベスト10”. VOD STREAM. 2024年12月20日閲覧。
  11. ^ a b 和田萌 (2024-08–04). “米THRが選ぶ「ディザスター映画ベスト11」― 1位はあの傑作!”. The Hollywood Reporter. 2024年12月20日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h i j 上妻祥浩 2014, pp. 144–167.
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 上妻祥浩 2014, pp. 12–66.
  14. ^ a b c 上妻祥浩 2014, pp. 2–9, 200–221.
  15. ^ “【芸能】 生々しい恐怖感 金鉱爆破の大陰謀”. 東京タイムズ (東京タイムズ社): p. 5. (1975年1月11日) 
  16. ^ 「洋画は意気揚々!ホウホウの体の邦画」『週刊読売』1975年8月9日号、読売新聞社、31頁。 
  17. ^ 佐藤忠男山根貞男『日本映画1976:1975年公開日本映画全集』芳賀書店〈シネアルバム46〉、1976年、190-191頁。 
  18. ^ 「大作『新幹線大爆破』惨敗の原因」『週刊現代』1975年7月31日号、講談社、29頁。 
  19. ^ a b 「映画・トピック・ジャーナル」東映意欲作「新幹線映大爆破」苦戦す」『キネマ旬報』1975年8月下旬号、キネマ旬報社、162-163頁。 
  20. ^ a b 「どこまで続くソックリ・ショー(ぬかるみみぞ) 邦画四社の"柳の下"合戦大」『週刊朝日』1975年7月31日号、朝日新聞社、36頁。 
  21. ^ a b c d e f g h 上妻祥浩 2014, pp. 170–197.
  22. ^ 上妻祥浩 2014, pp. 200–221.
  23. ^ a b 上妻祥浩 2014, pp. 68–108.
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 上妻祥浩 2014, pp. 110–141.
  25. ^ a b “洋画フラッシュ 『"擬人カモメ"や犯罪犬話題さらう動物映画』”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 11. (1974年1月5日) 
  26. ^ 上妻祥浩 2014, pp. 110–167.

参考文献

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  • 上妻祥浩『絶叫!パニック映画大全河出書房新社、2014年。ISBN 978-4-309-27492-8https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309274928/