パピエルマルク

1914年から1924年までのドイツの通貨

パピエルマルクドイツ語: Papiermark、「紙のマルク」の意味)とは、ドイツ帝国の紙幣である。

パピエルマルク
Mark(ドイツ語)
1922年1月19日発行の1万マルク紙幣1923年11月1日発行の50億マルク紙幣
中央銀行ドイツ帝国銀行
使用
国・地域
ドイツ帝国の旗 ドイツ帝国
ドイツ国の旗 ワイマール共和国
インフレ率1兆%(1923年) 1×1012%
補助単位
 1/100ペニヒ
通貨記号
ペニヒ
複数形Mark
ペニヒpfennig
硬貨1, 2, 5, 10, 50ペニヒ
1, 3, 200, 500マルク
紙幣1, 2, 5, 10, 20, 50, 100, 500
1 000, 5 000
10 000
20 000
50 000
100 000
200 000
500 000
1 000 000
2 000 000
5 000 000
10 000 000
20 000 000
50 000 000
100 000 000
500 000 000
1 000 000 000
5 000 000 000
10 000 000 000
20 000 000 000
50 000 000 000
100 000 000 000
200 000 000 000
500 000 000 000
1 000 000 000 000
2 000 000 000 000
5 000 000 000 000
10 000 000 000 000
20 000 000 000 000
50 000 000 000 000
100 000 000 000 000マルク
このinfoboxは、通貨が変更される直前の値を示している。

1914年第一次世界大戦勃発を受けて、マルク金本位制が停止された時点以降の、ドイツ帝国の通貨である。特に、ドイツ帝国がヴェルサイユ条約の戦時賠償金を支払うため、紙幣を大増刷したことにより、1922年および1923年に発生した「ハイパーインフレーションの間に発行された銀行券」に対して使われる。

歴史

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レンテンマルクとの交換に伴い処分されるパピエルマルク紙幣

1914年以降、マルクの価値は低下していった。

インフレーション率は第一次世界大戦の終戦後から上昇し、1922年から1923年のハイパーインフレーションの間、その価値が急激に暴落した。超高額紙幣がライヒスバンクおよび他の機関によって発行された。

硬貨はこの期間鋳造されず、紙幣のみが発行されたため、これらの紙幣はパピエルマルク(紙屑のマルク)と呼ばれた。インフレーション率は、1923年10月に最高となり、1923年11月にレンテンマルクの創設が報じられると通貨は安定した。

実際にレンテンマルクが発行されるようになるのは1924年であるが、発行が始まると、パピエルマルクとは1兆パピエルマルク=1レンテンマルクの率で交換された。1924年8月には、レンテンマルクに加えてライヒスマルクが登場している。

パピエルマルクには、政府から発行されたものに加え、地方政府などからも代用通貨および紙幣の形で緊急発行されたものがある。それらはクリークスゲルト(Kriegsgeld、「戦争通貨」)およびノートゲルト(Notgeld、「緊急通貨」)として知られる。

脚注

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参考文献

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関連項目

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先代
金マルク
ドイツの通貨
1914 – 1923
次代
レンテンマルク
理由:ハイパーインフレ
比率:1レンテンマルク=1,000,000,000パピエルマルク
4.2レンテンマルク=US$1