パブロ・ティアム
パブロ・デンバ・ティアム(Pablo Demba Thiam, 1974年1月3日 - )は、ギニア・コナクリ出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
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名前 | ||||||
本名 |
パブロ・デンバ・ティアム Pablo Demba Thiam | |||||
ラテン文字 | Pablo THIAM | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ギニア ドイツ | |||||
生年月日 | 1974年1月3日(50歳) | |||||
出身地 | コナクリ | |||||
身長 | 186cm | |||||
体重 | 81kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (DH) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-1995 | ケルンII | |||||
1994-1998 | ケルン | 89 | (4) | |||
1998-2001 | シュトゥットガルト | 89 | (9) | |||
2001-2002 | バイエルン | 16 | (0) | |||
2002-2008 | ヴォルフスブルク | 117 | (10) | |||
2007 | ヴォルフスブルクII | 1 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1993-2006 | ギニア | 31 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集クラブ
編集ティアムは、ギニアの外交官の息子として西ドイツの首都ボンで育った。MSVボンでキャリアを開始し、15歳の時に1.FCケルンのユースチームに加入した。1990年にユースB(U-17) チームでユースBドイツサッカー選手権を制覇した。1991年にはユースA(U-19) でDFBユースカップ決勝、1992年にはドイツカップ決勝へ進出した[1]。
1994年11月のホームで1-3と敗北したボルシア・メンヒェングラートバッハ戦でトップリーグデビューをした。ティアムは、試合直前まで自分が出場するとは知らなかった。[1]それから9試合後の4月のバイエルン・ミュンヘン戦で、ティアムは将来所属することになるクラブ相手にブンデスリーガ初ゴールとなる先制点を決め、3-1で勝利した。
1998年にVfBシュトゥットガルトへ移籍、2001年にはバイエルン・ミュンヘンへ移籍するもバイエルンでの出場機会は少なかった。
2003年1月にVfLヴォルフスブルクへ移籍。ここでは、リーダーとしてキャプテンを務めた。しかし、クラウス・アウゲンターラーが新たに監督に就任すると、頻繁にリザーブに落とされⅡチームへまわされることがあった。したがって、2006年から2008年の間は、僅か出場16試合となりクラブのアマチュアチームでプレーした。2007-08シーズン終了後、リーグ通算311試合23ゴールを記録し引退した。それに加えて、DFBカップで17試合(ケルン3試合・シュトゥットガルト5試合・バイエルン5試合・ヴォルフスブルク3試合)・国際カップ8試合(ケルン7試合・ヴォルフスブルクでUEFAインタートトカップ1試合)に出場した。
代表
編集ティアムは、ギニア代表として31試合1ゴールを記録し、3度のアフリカネイションズカップに出場した。1994・1998年の2大会ではグループリーグ3位で敗退したが、2006年大会ではグループリーグを全勝で突破するも、準々決勝のセネガルに2-3で敗れた。
引退後
編集監督やスポーツディレクターを務めているフェリックス・マガトの下、VfLヴォルフスブルクのアシスタントコーチに2010年までの契約で就任[2]し、現在はクラブのU-23チームで運動ディレクターを務めている[3]。
脚注
編集外部リンク
編集- transfermarkt
- パブロ・ティアム - National-Football-Teams.com