パリは燃えているか
『パリは燃えているか』(パリはもえているか、仏: Paris brûle-t-il?、英: Is Paris Burning?)は、1966年のアメリカ合衆国・フランス合作のオールスターキャストによる戦争映画。
パリは燃えているか | |
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Paris brûle-t-il ? Is Paris Burning? | |
監督 | ルネ・クレマン |
脚本 |
ゴア・ヴィダル フランシス・フォード・コッポラ |
原作 |
ラリー・コリンズ ドミニク・ラピエール |
製作 | ポール・グレッツ |
出演者 |
カーク・ダグラス グレン・フォード ゲルト・フレーベ イヴ・モンタン ジャン=ポール・ベルモンド ロバート・スタック アラン・ドロン |
音楽 | モーリス・ジャール |
撮影 | マルセル・グリニヨン |
編集 | ロバート・ローレンス |
製作会社 | パラマウント映画 |
配給 | パラマウント映画 |
公開 |
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上映時間 | 173分 |
製作国 |
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言語 |
英語 フランス語 |
配給収入 |
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ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエールによるレジスタンス(共産主義者とドゴール派)と自由フランス軍によるパリの解放を描いたノンフィクション作品の原作[2]をルネ・クレマンが監督した。脚本はゴア・ヴィダルとフランシス・フォード・コッポラが担当している。
概要
編集1944年8月7日から、8月19日のレジスタンスの蜂起開始、アメリカ軍の援護を受けて、8月25日のフランスの首都パリの解放に至るまでを描く。
物語はドイツ軍の降伏に貢献したレジスタンス運動を中心にしている。主な登場人物は、レジスタンスのアンリ・ロル=タンギー大佐やジャック・シャバン・デルマス大佐、ドイツ軍のディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍、アメリカ軍のジョージ・パットン将軍、自由フランス軍のフィリップ・ルクレール将軍などである。
映画の終盤、降伏前にパリを破壊しろというアドルフ・ヒトラー総統の命令が下ったが、最終的にコルティッツ将軍は命令に従わずに連合国に無条件降伏し、パリを破壊から守った。パリ側のドイツ軍本部内でうち捨てられた電話機からヒトラーの「パリは燃えているか?(命令通りに破壊したか?)」との声が聞こえていた。
ストーリー
編集1944年8月、第2次世界大戦の連合軍の反撃作戦が始まっていた頃、フランスの装甲師団とアメリカの第4師団がパリ進撃を開始する命令を待っていた。独軍下のパリでは地下組織に潜ってレジスタンスを指導するドゴール将軍の幕僚デルマ(アラン・ドロン)と自由フランス軍=FFIの首領ロル大佐(ブルーノ・クリーマー)が会見、パリ防衛について意見をたたかわしていた。左翼のFFIは武器弾薬が手に入りしだい決起すると主張、ドゴール派は連合軍到着まで待つという意見であった。パリをワルシャワのように廃墟にしたくなかったからだ。一方独軍のパリ占領軍司令官コルティッツ将軍(ゲルト・フレーベ)は連合軍の進攻と同時に、パリを破壊せよという総統命令を受けていた。将軍は工作隊に命じて、工場、記念碑、橋梁、地下水道など、ありとあらゆる建造物に対して地雷を敷設させていた。このような時に、イギリス軍諜報部から“連合軍はパリを迂回して進攻する”というメッセージがレジスタンス派に届いた。ロル大佐は自力でパリを奪回しようと決意した。これを知ったデルマは、これをやめさせる人間は政治犯として、独軍に捕らえられているラベしかないと考え、ラベの妻フランソワーズ(レスリー・キャロン)とスウェーデン領事ノルドリンク(オーソン・ウェルズ)を動かして、ラベ救出を図ったが失敗した。結局、ドゴール派と左翼派の会議の結果決起と決まった。そして決まったとなるや逸速くドゴール派が市の要所を占領してしまった。市街戦が始まった。パリ占領司令部は、独軍総司令部からパリを廃墟にせよという命令をうけておりその上、市街戦が長びけば爆撃機が出動すると告げられていた。コルティッツ将軍は、すでにドイツ敗戦を予想していて、パリを破壊することは全く無用なことと思っていた。そこでノルドリンク領事を呼び、一時休戦をして、パリを爆撃機から守り、その間に連合軍を呼べと、遠回しに謎をかけた。ノルドリンクから事情を知ったデルマは、ガロア少佐(ピエール・ヴァネック)を連合軍司令部に送った。ガロアはパリを脱出、ノルマンディの米軍司令部に到着した。パットン将軍(カーク・ダグラス)はパリ解放は米軍の任務ではないと告げ、ガロアを最前線のルクレク将軍(クロード・リッシュ)に送った。ルクレク将軍は事態の急を知ってシーバート将軍(ロバート・スタック)を動かし、ブラドリー将軍(グレン・フォード)を説いた。ブラドリーは全軍にパリ進攻を命令した。8月25日、ヒットラーの専用電話はパリにかかっていて“パリは燃えているか”と叫び続けていた。
キャスト
編集日本語吹替音声はニューラインから2021年3月3日に発売のBDに収録[4]。当初は2時間枠での再放送時の音源を収録する予定だったが一般から初回放送のテープ録音の提供がありノーカット版の収録が実現した[5]。
スタッフ
編集- 監督:ルネ・クレマン
- 脚本:ゴア・ヴィダル、フランシス・フォード・コッポラ
- 原作:ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール
- 製作:ポール・グレッツ
- 音楽:モーリス・ジャール
- 撮影:マルセル・グリニヨン
- 編集:ロバート・ローレンス
制作
編集本作は主に白黒で撮影された。これは、撮影のためハーケンクロイツを公共の建物に掲げることにフランス当局からの許可が出ず、本来の赤い部分を緑に変色させたものを使用したことをごまかすためである。なお、クロージングクレジットでのパリの空中ショットはカラーで撮影された。
映画の制作は当時、存命であったイヴォン・モランダ、公的機関(パリ警視庁と内務省)の両方から多数の承認が必要となった[6]。また、シャルル・ド・ゴールによって厳しい監修が行われ、ド・ゴールは手紙に書いた規則に従うことを条件にパリでのロケ撮影を許可したという。特にド・ゴールはフランス共産党による解放で果たした活躍の描写を最小限に抑えることを切望しており、脚本のフランシス・フォード・コッポラは後に「露骨な政治的検閲だった」と発言している。その他、制作はフランス共産党とフランス労働総同盟の二重の支配があり、ド・ゴールまたは共産主義者のいずれかを怒らせるリスクなしに原作本のすべての要素を使用することができなかったとゴア・ヴィダルは感じたという[7]。
撮影は、オテル・デ・ザンヴァリッドやコンコルド広場、ノートルダム大聖堂、カルナヴァレ博物館など、パリ全土の180か所で行われた[8]。
クロード・リッシュはフィリップ・ルクレール役以外にピエール・ド・ラ・フシャルディエール中尉も演じているが、最終的にクレジットされたのはルクレール役のみであった[9]。
カーク・ダグラスは、ジャン=ポール・ベルモンドがキャスティングされていることを知り本作への参加を決めたが、最終的に一緒に写る場面は無かった[10]。
主な受賞歴
編集年 | 賞 | 結果 | 部門 | 受賞者 |
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1967 | 第39回アカデミー賞 | ノミネート | 撮影賞 (白黒部門) | マルセル・グリニヨン |
美術賞 (白黒部門) | ウィリー・ホルト マーク・フレデリクス ピエール・ギュフロワ | |||
第24回ゴールデングローブ賞 | 作曲賞 | モーリス・ジャール |
脚注
編集- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)241頁
- ^ 訳書は『パリは燃えているか?』(志摩隆訳、早川書房(上下)、新版2005年)
- ^ a b クレジットなし
- ^ “RELEASE INFORMATION パリは燃えているか-HDリマスター版-”. ハピネット. 2021年1月31日閲覧。
- ^ @newline_maniacs (2020年12月2日). "『パリは燃えているか』がほぼノーカットの吹替で放送されたのは1975年8月の初回のみ。放送時期的に初回版の入手は諦め、Blu-rayには約2時間の再放送の吹替を収録する予定でしたが、幸運にも初回放送をテープ録音した方より音源の提供を受けることができました。ご尽力下さった方々に深謝いたします。". X(旧Twitter)より2023年5月12日閲覧。
- ^ Sylvie Lindeperg, "La Résistance rejouée. Usages gaullistes du cinéma", Politix, volume 6, no 24, 1993, p. 144 à 152.
- ^ Cité par René Chateau dans Lui, mai 1966.
- ^ Paris brûle-t-il ?
- ^ "Pierre de la Fouchardière, libérateur de Paris, vit désormais aux Marquises", La Voix du Nord, 21 juin 2010.
- ^ Philippe Durant, Destins croisés : Delon - Belmondo, éditions Carnot, 2004, 351 pages, p.59.