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1900年パリオリンピック

1900年にフランス・パリで開催された第2回夏季オリンピック、パリ万国博覧会の一部
パリオリンピック (1900年)から転送)

1900年パリオリンピックは、フランスパリ1900年5月14日から10月28日に行われた夏季オリンピック。オリンピックは自分たちの国技であると主張するギリシャの努力にもかかわらず、IOCは、毎年異なる場所でオリンピックを行うことを決定した。

1900年パリオリンピック
第2回オリンピック競技大会
Games of the II Olympiad
Velodrome de Vincennes.jpg
開催都市 フランスの旗 フランス パリ
参加国・地域数 13
参加人数 1,225人
競技種目数 19競技95種目
開会式 1900年5月14日
閉会式 1900年10月28日
主競技場 ヴェロドローム・ド・ヴァンセンヌ
夏季
1896年アテネ 1904年セントルイス  >
オリンピックの旗 Portal:オリンピック
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また、この大会は万国博覧会の附属大会として行われたため、会期が5か月に及ぶことになった[1]

大会運営も混乱をきたし、メダルが与えられたのは、クーベルタンが運営に関わった陸上競技のみで、このメダルが実際に選手に届いたのは2年後のことであったといわれている。また、現在では陸上競技のみがオリンピックだったと公式に定められ、歴史の浅いオリンピックの黎明期を物語る大会となった。

目次

ハイライト編集

  • ボート競技舵手付きペア種目では、オランダチームのコックス(舵手)であったヘルマナス・ブロックマン英語版オランダ語版が体重が重すぎたため外され、その代役として、たまたま観客席にいた7歳から10歳くらいと見られるフランス人の少年が飛び入りで参加し、そのチームは優勝した。この少年は2016年現在でも史上最年少のオリンピック金メダリストの可能性があると推定されているが、本人は競技終了後、身元確認を受けることなく会場から姿を消してしまい、この少年の正確な年齢はおろか名前さえも分かっていない。この事実は1960年にオランダの歴史家がオランダチームのフランソワ・ブラント英語版オランダ語版ロエロフ・クライン英語版オランダ語版と共に少年が写った白黒写真を発見したことで知られるようになった。少年の写真は2016年現在、この1枚しか発見されていない。2016年にこの少年がフランス人ではなくジョージア人のギオルギ・ニコラゼグルジア語版(Giorgi Nikoladze、1888年 - 1931年)であるという説が国際オリンピック史学会英語版(ISOH)に提出されたが[2]、反論もある[3]
  • 射撃ではを的にして鳩を撃つ競技が行われた(さすがに残虐的だと非難され、この大会のみの競技となった)。
  • 凧揚げ・魚釣りなどの風変わりな競技もあった。
  • この大会は陸上競技のみを正式に五輪競技とした一方、他の競技の勝利もIOCが公式に認めているため運営上矛盾が存在する。

実施競技編集

各国の獲得メダル編集

国・地域
1   フランス(開催国) 26 41 34 101
2   アメリカ合衆国 19 14 14 47
3   イギリス 15 6 9 30
4   混合チーム 6 3 3 12
5   スイス 6 2 1 9
6   ベルギー 5 5 5 15
7   ドイツ 4 2 2 8
8   イタリア 2 2 0 4
9   オーストラリア 2 0 3 5
10   デンマーク 1 3 2 6

主なメダリスト編集

脚注編集

  1. ^ 現在はオリンピック憲章に「大会期間は16日を超えない(=最大16日まで)」との規定があるため、このような超長期の開催は不可能である。
  2. ^ Was the “Unknown French Boy” in 1900 actually from Georgia?、『Journal of Olympic History』Vol.24(2016 No.3)、国際オリンピック史学会。 (PDF)
  3. ^ 史上最年少の五輪選手めぐる謎ウォール・ストリート・ジャーナル日本版、2016年8月12日16:30(JST)更新。

関連項目編集

外部リンク編集