パルマ・イル・ヴェッキオ

パルマ・イル・ヴェッキオ: Palma il Vecchio, 1480年 - 1528年7月)は、ルネサンス期のイタリアヴェネツィア派画家である。本名はヤコポ・パルマJacopo Palma)またはヤコポ・ネグレッティJacopo Negretti)、ヤコポ・ニグレッティJacopo Nigretti)。パルマ・イル・ヴェッキオ(老パルマ)と呼ばれるのは、同名の甥の息子パルマ・イル・ジョーヴァネ(若いパルマ)と区別するためである[1][2]

パルマ・イル・ヴェッキオ
Palma il Vecchio
17世紀のエングレーヴィングによる肖像画
本名 Palma il Vecchio
誕生日 1480年
出生地 ヴェネツィア共和国
ベルガモ
死没年 1528年
死没地 ヴェネツィア共和国
ヴェネツィア
運動・動向 ヴェネツィア派マニエリスム
芸術分野 油彩画
(宗教画、神話画、肖像画)
教育 アンドレア・プレヴィターリ英語版
代表作 『聖バルバラの多翼祭壇画』
ブロンドの女性
水浴するニンフたち
影響を受けた
芸術家
ジョヴァンニ・ベッリーニジョルジョーネティツィアーノ・ヴェチェッリオ
影響を与えた
芸術家
ジョヴァンニ・カリアーニボニファーツィオ・ヴェロネーゼパリス・ボルドーネウィレム・ドロステ
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生涯 編集

パルマはベルガモ近郊のセリーナに生まれた。パルマの名前が最初に史料に現れるのは1510年のヴェネツィアだが、おそらくその少し前にはすでにヴェネツィアにいたと考えられている[3]。パルマは1511年にアンドレア・プレヴィターリ英語版に弟子入りした[4]。パルマの初期の作品は、プレヴィターリの師匠でありそれまでヴェネツィア派の第一人者であったジョヴァンニ・ベッリーニの影響が見て取れるが、パルマはジョルジョーネティツィアーノ・ヴェチェッリオが開拓した新しい様式と主題に従うようになった[1]。評判によればパルマはロレンツォ・ロットの仲間かつ競争相手となり、またティツィアーノの弟子に近い存在であった[1]。やがてベリーニとジョルジョーネが死去し、セバスティアーノ・デル・ピオンボ、ロレンツォ・ロット、プレヴィターリがヴェネツィアから去ると、パルマはティツィアーノに次ぐヴェネツィア派を代表する画家となり、48歳で早くに世を去るまで多くの需要があった[5][4][6]。また一方でボニファーツィオ・ヴェロネーゼの師匠であり、ジョヴァンニ・カリアーニに影響を与えた。

近年の研究によって、ジョルジョーネとティツィアーノから多くの帰属が削除されてパルマ・イル・ヴェッキオに帰属されており、彼の作品数はここ数十年でいくらか増加している。絵具と色彩の扱いにおけるパルマ・イル・ヴェッキオの「純粋な絵画的能力」は非常に優れている[3]

作品 編集

 
パルマの娘を描いたとされるティツィアーノの1520年頃の作品『ヴィオランテ』。以前はパルマの作品と考えられていた。ウィーン美術史美術館所蔵。

パルマの絵画作品は色彩の豊かさに優れているものの、創意工夫や力強いデッサンに関してはあまり考慮されていない。彼は新しい牧歌的な神話画と半身像を描いたが、それらは多くの場合、ジョルジョーネとティツィアーノによって確立された理想化された美女であり、その当時からヴェネツィアの有名な遊女の肖像画であると魅力的に推測されていた。彼はまた宗教的な作品を牧歌的な田園風景の中に描くのを得意とし、特に聖会話(聖人とおそらく寄進者のグループをともなう聖母子像)を横長のフォーマットで発展させた。神話画や世俗的な作品群では、たとえばフィッツウィリアム美術館の『風景の中のヴィーナスとキューピッド』(Venere e Cupido in un paesaggio)や美術史美術館の『水浴するニンフたち』(Ninfe al bagno)のように、主題が正確には不明であることが多く、描かれた人物と人物の間で何かドラマが起きているように見える。これらの絵画は裕福なヴェネツィア貴族から大いに注目を集めた[7][4][8][9]。またヴェネツィア内および本土のヴェネツィア領周辺の教会のために伝統的な祭壇画を描いた。ベルガモのジェローザ、サンタ・クローチェ教会旧蔵の『聖ヘレナとコンスタンティヌス、聖ロクス、聖セバスティアヌス』(Saints Helen and Constantine, Saints Roch and Sebastian)を制作する1525年頃までヴェネツィアで主祭壇画を依頼されていないが、特にサンタ・マリア・フォルモーサ教会英語版の『聖バルバラの多翼祭壇画』(Polittico di Santa Barbara)や、サンテレナ・イン・イゾーラ聖堂の主祭壇画、未完に終わったサン・マルコ同信会英語版委託の『悪霊からヴェネツィアを守る聖マルコ、聖ゲオルギウス、聖ニコラ』(I santi Marco, Giorgio e Nicola liberano Venezia dai demoni)はジョルジョ・ヴァザーリから称賛されている。

 
風景の中のヴィーナスとキューピッド』。1523年頃-1524年頃。フィッツウィリアム美術館所蔵。

彼はイタリアの他の地域の影響をすばやく吸収し、ときにはミケランジェロのポーズをコピーし、1515年頃から1520年代にかけて中央イタリアから影響を受けた[4]。1520年代のパルマの成熟した作品は「盛期ルネサンス様式であり、コントラポストの習得、明るい色調のパレットの充実、保守的な構成における人間の理想的体型の威厳ある多様なレパートリーの開発を特徴としている。これらの資質は劇的なキアロスクーロ、空間的な試み、表現主義、革新的な構成を除いて、彼の作品を支配した」[4]。批判的な意見では、突然の死の直前から彼の芸術が発展し続けていたか[4]、あるいはエネルギーと方向性を失っていたかで大きく割れている[10]シドニー・ジョセフ・フリードバーグ英語版はパルマのキャリアがティツィアーノとマニエリスムを含む他の北イタリアと中央イタリアのトレンドの影響の間で揺れ動いていると見ている[11]。彼の工房についてはほとんど知られていないが、ジョヴァンニ・カリアーニと同じように、ボニファーツィオ・ヴェロネーゼの師であったと考えられている[4]

パルマの作品には娘と言われるヴィオランテを描いたものが多い。ティツィアーノは彼女に夢中だったと言われている。パルマの代表作として有名なものに『聖バルバラの多翼祭壇画』がある。これは6枚の絵画からなり、中央に死せるキリスト、その下に聖バルバラを置き、右から順に聖ドミニコ聖セバスティアヌス洗礼者ヨハネ聖アントニウスが描かれている。ドレスデン美術館アルテ・マイスター絵画館に所蔵されている、戸外に座る3姉妹を描いた絵画は『三美神』という名前で知られている。1900年にヴェネツィアで発見された肖像画はヴォオランテを描いたものだと思われる。他には

といった作品がある。

最近、ティツィアーノがジョルジョーネの『眠るヴィーナス』と同じように、おそらくパルマの死後に彼の『聖会話』を完成させたことが判明した。彼は2つの人物像を上塗りし、背景を変更した。この絵画は現在、ヴェネツィアのアカデミア美術館に所蔵されている[12]

ギャラリー 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c Palma, Jacopo”. 1911 Encyclopedia Britannica. 2021年2月23日閲覧。
  2. ^ "Palma Vecchio". en:Catholic Encyclopedia (1913). New York: Robert Appleton Company.
  3. ^ a b Freedburg 1993, 160.
  4. ^ a b c d e f g Rylands.
  5. ^ Freedburg 1993, 160-163.
  6. ^ Steer 1970, 103.
  7. ^ Freedburg 1993, 160-165.
  8. ^ Steer 1970, 101-103.
  9. ^ Jaffé 2003, 41.
  10. ^ Freedburg 1993, 337.
  11. ^ Freedburg 1993, 160-165, 334-337.
  12. ^ Jaffé 2003, 114, 116.

参考文献 編集

  • Sidney J. Freedburg, "Painting in Italy, 1500–1600, 3rd edn." 1993, Yale, ISBN 0300055870
  • David Jaffé(ed), Titian, The National Gallery Company/Yale, London 2003, ISBN 1 857099036
  • Philip Rylands , "Palma." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 26 Feb. 2017.
  • John Steer, Venetian painting: A concise history, 1970, London: Thames and Hudson (World of Art), ISBN 0500201013
  •   この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Palma, Jacopo". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 20 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 642-643.