パルマ・カルチョ1913

イタリアのサッカークラブ

パルマ・カルチョ1913イタリア語: Parma Calcio 1913)は、イタリアエミリア=ロマーニャ州パルマをホームタウンとするサッカークラブである。

パルマ・カルチョ1913
原語表記 Parma Calcio 1913 s.r.l.
愛称 Crociati十字軍騎士)
Ducali公爵
Gialloblù(黄と青)
Parmensiパルマ人)
クラブカラー 白と黒 / 黄と青
創設年 1913年
所属リーグ セリエA
所属ディビジョン 1部
ホームタウン パルマ
ホームスタジアム スタディオ・エンニオ・タルディーニ
収容人数 22,352
代表者 アメリカ合衆国の旗 カイル・クラウス
監督 イタリアの旗 ファビオ・ペッキア
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ニックネームはクロチャーティ十字軍戦士)とジャッロブルー(黄色と青)。

歴史

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1913年7月27日、パルマ公国出身の音楽家ジュゼッペ・ヴェルディの名を取り、ヴェルディ・フットボール・クラブ (Verdi Football Club) として創設。

パルマAC

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パルマACのロゴ(1968年)

1968年にパルマAC (Parma Associazione Calcio s.p.a.) に改称。1985年にアリゴ・サッキを監督に招聘し、セリエBへと昇格[1]。サッキは1987年に退団したが、チームは以降もセリエBに留まり続けた。1989年にネヴィオ・スカラが監督に就任、1990年にパルマの食品会社パルマラット代表のカリスト・タンツィ英語版がオーナーに就任。1990-91シーズンからチームは初めてセリエAへ昇格[2]、セリエAの舞台で戦うための戦力として、ジョルジュ・グルントマス・ブロリン、セリエA史上初の外国人GKとなったクラウディオ・タファレルと3人の外国人選手を獲得した[3]

1991-92シーズン、アルベルト・ディ・キアーラを補強、ディ・キアーラは1992年にイタリア代表に選出され、チームが排出した初の代表選手となった[4]。このシーズンのコッパ・イタリア決勝でユヴェントスを破り、クラブ初のメジャータイトルを獲得した[2]。1992-93シーズン、新たな外国人選手、ファウスティーノ・アスプリージャセルヒオ・ベルティを補強、当時無敗記録を続けていたACミランの無敗記録を止めると、このシーズン、決勝でロイヤル・アントワープを破って初の欧州タイトルとなるUEFAカップウィナーズ・カップを制した[2]。1993-94シーズン、ACミランを破ってUEFAスーパーカップを制した。カップウィナーズカップでは決勝でアーセナルに0-1で敗れた。

1994-95シーズン、フェルナンド・コウトディノ・バッジョロベルト・ムッシらを補強し、リーグ戦では終盤までユヴェントスと優勝を争ったが失速し3位。一方でヨーロッパの舞台では、D・バッジョの活躍でユヴェントスを破ってUEFAカップを制した[5]

1995-96シーズン、フリスト・ストイチコフフィリッポ・インザーギファビオ・カンナヴァーロらを獲得したが、成績は思わしくなく、このシーズンでスカラが退任した。 1996-97シーズン、エンリコ・キエーザエルナン・クレスポリリアン・テュラムらを獲得、途中ジャンフランコ・ゾラがシーズン途中に退団したが[6]、リーグ戦では最後までユヴェントスと優勝を争うが、勝ち点2差で2位に終わった。

1998-99シーズン、マレサーニが率いたチームは、フアン・セバスティアン・ベロンリリアン・テュラムディエゴ・フゼールらの大型補強を行い、コッパ・イタリア、UEFAカップの2冠を獲得した。2001-02シーズン、中田英寿セバスティアン・フレイらが加入。コッパ・イタリア決勝でユヴェントスと対戦、2戦合計2-2ながらアウェイゴール差で優勝を果たした[7]

パルマFC

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2003年にパルマラットが破産、クラブは破産管財人の管理下に置かれ、財政難から主力選手たちが続々とチームを去った[7]。2004年にパルマFC (Parma Football Club SpA) に改称。2005年に前レアル・マドリード会長のロレンソ・サンスが買収を試みるも、資金不足が露呈し買収は不成立。また、スイスの起業家であるガエターノ・バレンツァや、ACカルペネドロ英語版の元オーナーで鉄鋼業を営むトンマゾ・ギラルディ英語版などの名前が挙がり、競売の末に2007年1月24日にギラルディが買収した。

2007-08シーズンにセリエBに降格したが、2008-09シーズンは、フランチェスコ・グイドリン監督の下で、1年でセリエAへ復帰した。

2013-14シーズンに創立100周年を迎え、エンブレムに「100」を加えた。リーグ戦は6位となりUEFAヨーロッパリーグへの出場権を獲得したが、所得税の納付遅延を理由にイタリアサッカー連盟はUEFAライセンスを認可せず、リーグ戦7位のトリノFCが繰り上がりで出場した[8]。この決定を不服としたギラルディは、会長職の辞任とクラブの売却を表明した[9]

2014年12月にロシアキプロス複合企業に買収された[10] が、財政難は解消されず、給料未払いを理由にアントニオ・カッサーノフェリペら合計8人の選手が2014-15シーズンの冬に移籍した[11]

2015年2月、ジャンピエトロ・マネンティがクラブを買収して会長に就任[11] したが、2月22日のウディネーゼ・カルチョ戦の試合開催費用が払えず(試合は延期)、資金の逼迫が表面化[12]。3月19日に破産を申請した。負債総額は2億1,844万6,754.61ユーロ(約281億円)[13]。なお、破産後も公式戦は開催された[14]

経営面でのサポートを請け負ったデメトリオ・アルベルティーニは、2015-16シーズンにセリエBからスタートできるように手を尽くすとした[15] が、6月22日午後2時の締め切り時刻までに負債の弁済に目処が付かなかったため破産が確定し、「パルマFC」は消滅した[16]

「パルマFC」の消滅に伴い所属選手は、全員リーグの規定により自由契約(移籍金発生なし)となった。同様の事例としてACFフィオレンティーナ2002年)、SSCナポリ2004年)がある[17]

SSDパルマ・カルチョ1913

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2015年7月、ネヴィオ・スカラが代表者となってSSDパルマ・カルチョ1913 (Società Sportiva Dilettantistica Parma Calcio 1913) が創設され、セリエD(4部)へ所属することとなった[18]

2015-2016シーズンは、28勝10分0敗の成績で優勝し、レガ・プロ(3部)へ自動昇格した[19]。2016-2017シーズンはレガ・プロのジローネBで2位となり、昇格プレーオフに進出。プレーオフ決勝ではUSアレッサンドリア・カルチョ1912に勝利して、セリエBへの昇格を決めた[20]

2017年6月、中国のデスポルツ(Desports)グループがクラブの株式の6割を取得した[21]。これによりリーガ・エスパニョーラグラナダCFも保有するデスポルツグループがオーナーとなり、クラブの会長には代表の蒋立章英語版(Jiang Lizhang)が就任した。2017年7月にはクラブOBで歴代最多得点者である元アルゼンチン代表エルナン・クレスポが副会長に就任することが発表された。

2017-18シーズンのリーグ最終節で、スペツィア・カルチョを2-0で下したことで2位となり、3シーズンぶりにセリエAへ復帰することが決定した[22] が、その試合前にFWエマヌエーレ・カライオイタリア語版がスペツィアの2選手に「激しいコンタクトプレーは避けてくれ」とテキストメッセージを送ったことが八百長行為であるとイタリアサッカー連盟イタリア連邦裁判所に提訴、7月23日、同裁判所により八百長が認定され、カライオ本人には2年間の出場停止と罰金2万ユーロ、クラブには2018-19シーズン開幕時に勝点5を減点する厳罰が科された。クラブはこの判決を不服とし、即座に再審請求を行った[23]。その後、イタリアサッカー連盟は勝点5を減点する処分を撤回し、カライオに対する2年間の出場停止も4か月に期間が短縮された。勝ち点減点が取り消される代わりに、クラブに対しては2万ユーロの罰金、そしてカライオには3万ユーロの罰金処分が発表された[24]

タイトル

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スタディオ・エンニオ・タルディーニ

国内タイトル

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国際タイトル

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過去の成績

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シーズン ディビジョン コッパ・イタリア
リーグ 順位
1945-46 セリエB 22 12 4 6 36 20 28 3位
1946-47 40 14 10 16 41 45 38 14位
1947-48 34 12 14 8 33 28 38 7位
1948-49 42 12 13 17 42 59 37 19位
1949-50 セリエC・ジローネB 40 21 9 10 64 28 52 2位
1950-51 38 21 7 10 57 32 49 3位
1951-52 34 21 10 3 75 24 52 2位
1952-53 34 14 8 12 47 31 36 6位
1953-54 34 17 9 8 45 23 43 1位
1954-55 セリエB 34 8 17 9 37 40 33 9位
1955-56 34 10 8 16 36 46 28 15位
1956-57 34 9 13 12 33 38 31 12位
1957-58 34 5 14 15 25 49 24 18位
1958-59 38 10 12 16 41 64 32 18位 2回戦敗退
1959-60 38 9 16 13 38 50 34 14位 ベスト32
1960-61 38 12 11 15 36 36 35 13位 ベスト32
1961-62 38 9 17 12 25 33 35 12位 1回戦敗退
1962-63 38 12 11 15 32 44 35 13位 1回戦敗退
1963-64 38 8 16 14 31 43 32 15位 ベスト16
1964-65 38 7 9 22 23 54 23 20位 ベスト16
1965-66 セリエC・ジローネA 34 3 19 12 15 28 25 17位
1966-67 セリエD・ジローネC 34 14 11 9 39 29 39 6位
1967-68 セリエD・ジローネB 34 10 14 10 28 23 34 6位
1968-69 34 8 13 13 21 31 29 14位
1969-70 34 23 6 5 40 15 52 1位
1970-71 セリエC・ジローネA 38 14 13 11 50 39 41 5位
1971-72 セリエC・ジローネB 38 17 16 5 48 26 40 2位
1972-73 セリエC・ジローネA 38 19 14 5 40 15 52 1位
1973-74 セリエB 38 10 19 9 39 32 39 5位 GS敗退
1974-75 38 9 15 14 30 37 30 20位 GS敗退
1975-76 セリエC・ジローネA 38 16 14 8 42 25 46 2位
1976-77 セリエC・ジローネB 38 16 14 8 46 33 46 2位
1977-78 38 16 14 8 50 37 46 4位
1978-79 セリエC1・ジローネA 34 16 12 6 43 16 48 2位
1979-80 セリエB 38 7 13 18 27 49 27 19位 GS敗退
1980-81 セリエC1・ジローネA 34 8 14 12 25 32 30 13位
1981-82 34 9 13 12 30 32 31 9位
1982-83 34 10 14 10 28 26 34 6位
1983-84 34 18 12 4 47 20 48 1位 GS敗退
1984-85 セリエB 38 6 14 18 25 47 26 18位 準々決勝敗退
1985-86 セリエC1・ジローネA 34 16 15 3 39 14 47 1位 GS敗退
1986-87 セリエB 38 11 18 9 30 26 40 7位 準々決勝敗退
1987-88 38 9 20 9 33 33 38 11位 ベスト16
1988-89 38 8 21 9 29 31 37 9位 GS敗退
1989-90 38 16 14 8 49 30 46 4位 1回戦敗退
1990-91 セリエA 34 13 12 9 35 31 38 6位 2回戦敗退
1991-92 34 11 16 7 32 28 38 6位 優勝
1992-93 34 16 9 9 47 34 41 3位 準々決勝敗退
1993-94 34 17 7 10 50 35 41 5位 準決勝敗退
1994-95 34 18 9 7 51 31 63 3位 準優勝
1995-96 34 16 10 8 44 31 58 5位 2回戦敗退
1996-97 34 18 9 7 41 26 63 2位 2回戦敗退
1997-98 34 15 12 7 55 39 57 5位 準決勝敗退
1998-99 34 15 10 9 55 36 55 4位 優勝
1999-2000 34 16 10 8 52 37 58 5位 ベスト16
2000-01 34 16 8 10 51 31 56 4位 準優勝
2001-02 34 12 8 14 43 47 44 10位 優勝
2002-03 34 15 11 8 55 36 56 5位 2回戦敗退
2003-04 34 16 10 8 57 46 58 5位 準々決勝敗退
2004-05 38 10 12 16 48 65 42 17位 ベスト16
2005-06 38 12 9 17 46 60 45 7位 ベスト16
2006-07 38 10 12 16 41 56 42 12位 準々決勝敗退
2007-08 38 7 13 18 42 62 34 19位 ベスト32
2008-09 セリエB 42 19 19 4 65 34 76 2位 ベスト32
2009-10 セリエA 38 14 10 14 46 51 52 8位 ベスト32
2010-11 38 11 13 14 39 47 46 12位 準々決勝敗退
2011-12 38 15 11 12 54 53 56 8位 ベスト32
2012-13 38 13 10 15 45 46 49 10位 ベスト16
2013-14 38 15 13 10 58 46 58 6位 ベスト16
2014-15 38 6 8 24 33 75 19 20位 準々決勝敗退
2015-16 セリエD・ジローネD 38 28 10 0 82 17 94 1位
2016-17 レガ・プロ・ジローネB 38 20 10 8 55 36 70 2位
2017-18 セリエB 42 21 9 12 57 37 85 2位 2回戦敗退
2018-19 セリエA 38 10 11 17 41 61 41 14位 3回戦敗退
2019-20 38 14 7 17 56 57 49 11位 ベスト16
2020-21 38 3 11 24 39 83 20 20位 ベスト16
2021-22 セリエB 38 11 16 11 48 43 49 12位 2回戦敗退
2022-23 38 17 10 11 48 39 60 4位 ベスト16
2023-24 38 21 13 4 66 35 76 1位 ベスト16
2024-25 セリエA 38

欧州の成績

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シーズン 大会 ラウンド 対戦相手 ホーム アウェー 合計
1991-92 UEFAカップ 1回戦   CSKAソフィア 1–1 0–0 1–1 (a)  
1992-93 UEFAカップウィナーズカップ 1回戦   ウーイペシュト 1–0 1–1 2–1  
2回戦   ボアヴィスタ 0–0 2–0 2–0  
準々決勝   スパルタ・プラハ 2–0 0–0 2–0  
準決勝   アトレティコ・マドリード 0–1 2–1 2–2 (a)  
決勝   ロイヤル・アントワープ 3–1  
1993 UEFAスーパーカップ   ミラン 0–1 2–0
(a.e.t.)
2–1  
1993-94 UEFAカップウィナーズカップ 1回戦   デーゲルフォシュ 2–0 2–1 4–1  
2回戦   マッカビ・ハイファ 0–1 1–0 1–1
(3–1 p)
 
準々決勝   アヤックス 2–0 0–0 2–0  
準決勝   ベンフィカ 1–0 1–2 2–2 (a)  
決勝   アーセナル 0–1  
1994-95 UEFAカップ 1回戦   フィテッセ 2–0 0–1 2–1  
2回戦   AIK 2–0 1–0 3–0  
3回戦   アスレティック・ビルバオ 4–2 0–1 4–3  
準々決勝   OB 1–0 0–0 1–0  
準決勝   バイエル・レバークーゼン 3–0 2–1 5–1  
決勝   ユヴェントス 1–0 1–1 2–1  
1995-96 UEFAチャンピオンズリーグ 1回戦   テウタ・ドゥラス 2–0 2–0 4–0  
2回戦   ハルムスタッズ 4–0 0–3 4–3  
準々決勝   パリ・サンジェルマン 1–0 1–3 2–3  
1996-97 UEFAカップ 1回戦   ヴィトーリア 2–1 0–2 2–3  
1997-98 UEFAチャンピオンズリーグ 1回戦   ヴィジェフ・ウッチ 4–0 3–1 7–1  
グループA   スパルタ・プラハ 2–2 0–0 2位  
  ガラタサライ 2–0 1–1
  ボルシア・ドルトムント 1–0 0–2
1998-99 UEFAカップ 1回戦   フェネルバフチェ 3–1 0–1 3–2  
2回戦   ヴィスワ・クラクフ 2–1 1–1 3–2  
3回戦   レンジャーズ 3–1 1–1 4–2  
準々決勝   ボルドー 6–0 1–2 7–2  
準決勝   アトレティコ・マドリード 2–1 3–1 5–2  
決勝   マルセイユ 3–0  
1999-00 UEFAチャンピオンズリーグ 予選3回戦   レンジャーズ 1–0 0–2 1–2  
UEFAカップ 1回戦   クルィヴバス・クルィヴィーイ・リーフ 3–2 3–0 6–2  
2回戦   ヘルシンボリ 1–0 3–1 4–1  
3回戦   シュトゥルム・グラーツ 2–1 3–3
(a.e.t.)
5–4  
4回戦   ヴェルダー・ブレーメン 1–0 1–3 2–3  
2000-01 UEFAカップ 1回戦   ポベダ・プリレプ 2–0 4–0 6–0  
2回戦   ディナモ・ザグレブ 2–0 0–1 2–1  
3回戦   1860ミュンヘン 2–2 2–0 4–2  
4回戦   PSV 3–2 1–2 4–4 (a)  
2001-02 UEFAチャンピオンズリーグ 予選3回戦   リール 0–2 1–0 1–2  
UEFAカップ 1回戦   HJK 1–0 2–0 3–0  
2回戦   ユトレヒト 0–0 3–1 3–1  
3回戦   ブレンビー 1–1 3–0 4–1  
4回戦   ハポエル・テルアビブ 1–2 0–0 1–2  
2002-03 UEFAカップ 1回戦   CSKAモスクワ 3–2 1–1 4–3  
2回戦   ヴィスワ・クラクフ 2–1 1–4
(a.e.t.)
3–5  
2003-04 UEFAカップ 1回戦   メタルルフ・ドネツィク 3–0 1–1 4–1  
2回戦   アウストリア・ザルツブルク 5–0 4–0 9–0  
3回戦   ゲンチレルビルリイ 0–1 0–3 0–4  
2004-05 UEFAカップ 1回戦   マリボル 3–2 0–0 3–2  
グループB   アスレティック・ビルバオ 0-2 3位  
  ステアウア・ブカレスト 1-0
  スタンダール・リエージュ 1-2
  ベシクタシュ 3-2
ラウンド32   シュトゥットガルト 0–0 2–0 2–0  
ラウンド16   セビージャ 1–0 0–0 1–0  
準々決勝   アウストリア・ウィーン 0–0 1–1 1–1 (a)  
準決勝   CSKAモスクワ 0–0 0–3 0–3  
2006-07 UEFAカップ 1回戦   ルビン・カザン 1–0 1–0 2–0  
グループD   OB 2-1 1位  
  ヘーレンフェーン 2-1
  ランス 2-1
  オサスナ 0-3
ラウンド32   ブラガ 0–1 0–1 0–2  

現所属メンバー

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2024年9月9日現在[26]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   レアンドロ・チチソラ ( )
3 DF   ジョルダン・オソリオ
4 DF   バログ・ボトンド
5 DF   ラウタロ・バレンティ ( )
7 FW   アドリアン・ベネディチャク英語版
8 MF   ナウエル・エステベス ( )
9 FW   ガブリエル・シャルパンティエ英語版 ( )
10 MF   アドリアン・ベルナベ
11 FW   ティアシュ・ベギッチ英語版
13 FW   アンジュ=ヨアヌ・ボニー英語版 ( )
14 DF   エマヌエーレ・ヴァレーリ
15 DF   エンリコ・デル・プラート ( )
16 MF   マンデラ・ケイタ ( )
19 MF   ジモン・ゾーム英語版 ( )★
20 MF   アントワーヌ・エノーフランス語版
No. Pos. 選手名
22 FW   マッテオ・カンチェッリエーリ
23 MF   ドリサ・カマラ英語版 ( )
25 MF   ウィラン・シプリェン ( )
26 DF   ウォヨ・クリバリ英語版 ( )
27 MF   エルナニ
28 FW   ヴァレンティン・ミハイラ
31 GK   鈴木彩艶
39 DF   アレッサンドロ・チルカーティ ( )
40 GK   エドアルド・コルヴィ英語版
46 DF   ジョヴァンニ・レオーニ英語版
61 FW   アナス・ハジ・モハメド英語版 ( )★
62 FW   マテウシュ・コワルスキー英語版
77 DF   ジャンルーカ・ディ・キアーラ英語版
98 FW   デニス・マン

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

※6番はアレッサンドロ・ルカレッリ 永久欠番。

ローン移籍

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in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
22 FW   マッテオ・カンチェッリエーリ (ラツィオ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- FW   アントワーヌ・ジュジュ英語版 (ル・アーヴル) ( )
-- FW   アンソニー・パルティピロ英語版 (フロジノーネ)
-- FW   チャシュ・ベギッチ英語版 (フロジノーネ)
-- MF   ラシッド・コウダ英語版 (スペツィア) ( )
No. Pos. 選手名
-- FW   ダニエル・ミコワイェフスキ英語版 (ザグウェンビェ・ルビン)
-- GK   フィリッポ・リナルディ (フェラルピサロ)
-- MF   ピーター・アモラン (ペルージャ) ( )
-- FW   ダリオ・シッツ英語版 (ヘルモント・スポルト)


歴代監督

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ACパルマ、パルマFC
SSDパルマ・カルチョ1913

主な歴代所属選手

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脚注

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出典

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  1. ^ Arrigo Sacchi, il 'Profeta di Fusignano' che ha rivoluzionato il calcio italiano: dal grande Milan alla Nazionale”. GOAL (2023年4月1日). 2023年8月15日閲覧。
  2. ^ a b c Nevio Scala: "Il mio Parma stima reciproca e tanta intensità"”. 2023年9月7日閲覧。
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外部リンク

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