パレマルシェ
パレマルシェ(英称:Pare Marche)は、オークワ(本社:和歌山県和歌山市)が愛知県を中心に店舗を展開するチェーンストアのブランド名である。
旧パレ本社・パレマルシェ神宮が入居する 名鉄神宮前駅西ビル | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
![]() 〒456-8580 愛知県名古屋市熱田区神宮三丁目6-34 名鉄神宮前駅西ビル7階 |
設立 | 2004年(平成16年)6月 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケットチェーン他 |
代表者 | 東山和典(代表取締役社長) |
資本金 | 5700万円(2008年(平成20年)3月31日) |
売上高 | 336.87億円(2007年(平成19年)8月期) |
従業員数 | 425名 |
決算期 | 8月 |
主要株主 | オークワ |
特記事項:データは2012年(平成24年)2月21日までのもの。 2012年(平成24年)2月22日に株式会社オークワに吸収合併されて法人としては消滅。 |
旧店名は名鉄パレ(めいてつパレ)。かつては愛知県名古屋市熱田区に本社をおく株式会社パレが運営していた。
2008年(平成20年)6月にオークワの傘下に入り子会社となり、2012年(平成24年)2月に吸収合併され、法人としては消滅した。
概要編集
パレマルシェはスーパーマーケットと百貨店によって構成される。名古屋鉄道の駅周辺に立地する店舗が多い。
店名の「パレ」は、フランス語のparé(着飾った、優雅な)に由来する[1]。
2012年(平成24年)2月21日に和歌山県を中心に三重県や奈良県に店舗を展開する小売業のオークワに吸収合併され[2]、法人としては消滅したものの、店舗ブランドは維持されている。
歴史編集
名古屋ショッピ編集
1959年(昭和34年)2月に名鉄共栄社(現・名鉄産業)が鳴海団地内に鳴海スーパーマーケットを開設したのが始まりである[3]。
1960年(昭和35年)9月7日には名古屋ショッピを設立し[4]、1961年(昭和36年)4月に名古屋市千種区の名古屋市営地下鉄池下駅東口に建設された日本住宅公団の団地内にスーパーマーケットの池下店を開設した[3]。 先述した鳴海スーパーマーケットは池下店の開設と同時に名古屋ショッピに移管された[3]。
名古屋ショッピは1962年(昭和37年)7月に名古屋市緑区の住宅公団鳴子団地内に鳴子店を開店したのを皮切りに、岩倉団地の岩倉店や平針団地の平針店、知立団地の知立店など団地型スーパーの出店を進めて行った[3]。
また、1962年(昭和37年)4月に二ツ杁駅に二ツ杁店を出店したのを皮切りに、同年12月に笠寺駅に笠寺店、1963年(昭和38年)3月に国府宮駅に国府宮店、同年5月に柏森駅に柏森店と母体となった名古屋鉄道の駅への多店化も進められた[3]。
岐阜ストアー・多治見ストアー編集
岐阜市にあった丸宮百貨店を買収して[5]1962年(昭和37年)11月に名古屋鉄道と名鉄百貨店、新岐阜百貨店の共同出資により資本金3000万円で株式会社岐阜ストアーを設立し[3]、12月に岐阜店を開設したのが始まりである[5]。
1963年(昭和38年)10月に大垣駅前に大垣店を開店したのを皮切りに多店化を進め、同年11月には美濃太田店も開設している[3]。
この他にも、1964年(昭和39年)6月に株式会社多治見ストアーを設立し、多治見市本町にあった主婦の店多治見店の営業を継承して岐阜県内でスーパーマーケット事業を展開した[3]。
名鉄ストアー編集
1965年(昭和40年)8月10日に名鉄ストアーを設立し[1]、同年12月に上飯田駅に日本住宅公団と共同でマンションを併設した駅ビルの中に上飯田店を開設したのが始まりである[5]。
1967年(昭和42年)6月に又穂店を出店したのを皮切りに多店化を進め、1968年(昭和43年)11月に津島駅に津島店、1971年(昭和46年)3月に新那加駅に新那加店と出店を進めており、又穂店という例外を除いて駅ビルへの出店を進めて行った[5]。
1972年(昭和47年)10月に北陸に進出したほか、1974年(昭和49年)1月に北マリアナ諸島のテニアン島に出店したのを皮切りに1976年(昭和51年)3月には北マリアナ諸島のサイパン島へ出店するなど海外へも店舗展開した[6]。
1983年(昭和58年)9月には名鉄神宮前百貨店を開設して百貨店事業に進出した[7]。
名鉄パレ編集
事業の効率化を図るため経営統合を進め、1987年(昭和62年)9月1日に名鉄ストアーと名鉄ショッピ(これに先立ち名古屋ショッピ・岐阜ストアー・多治見ストアーが合併して誕生した)が合併して名鉄グループのスーパーマーケット事業は一つに経営統合されることになった[5]。
その後、1992年(平成4年)3月1日には社名をフランス語で「優雅」の意味の「パレ」という言葉をとって株式会社名鉄パレに変更した[1]。
2005年(平成17年)5月時点でスーパーマーケット23店舗と百貨店3店舗、ホームセンター1店舗の計28店舗を愛知県中心に展開していた[8]。 (百貨店は神宮、師勝西春、西尾の各店。ただし日本百貨店協会には加盟せず)
パレマルシェへ編集
名鉄グループ中核企業の一つ[9]であったが、2002年(平成14年)度から連続して当期純利益が赤字となり、計50億円以上を出資して支援してきた名鉄グループは独力での同チェーン再建を断念することになった。
そして、2005年(平成17年)4月26日に同年9月1日付でフェニックス・キャピタル株式会社の企業再生ファンドと名古屋鉄道による合弁企業「株式会社パレ」に営業譲渡して新会社へ事業を引き継ぐことを発表した[8]。新会社パレの社長にはクイーンズ伊勢丹を顧客満足度ナンバーワンの店へ成長させた田村弘一が就任し[10]、フェニックス・キャピタルが過半数の株式を取得したほか[11]、名古屋鉄道と三井物産が出資しており、これら上位三社で99.4%を出資して運営された[12]。
新会社への移行に伴い、店名もパレマルシェになり、売場の商品構成も大きく変化させることで再建を目指した[13]。
オークワ傘下入り編集
2008年(平成20年)6月9日に同月30日付で主要株主であるフェニックス・キャピタルと名古屋鉄道、三井物産からオークワへ発行済みの株式の99.4%を70億円で譲渡することが発表され[12]、経営権が移行することになった。この営業権譲渡により、オークワの傘下に入ることに伴い、2008年(平成20年)6月30日付でオークワから会長と社長が就任することになった[12]。2008年(平成20年)6月時点の店舗数は17店舗で[12]、オークワ側はパレを傘下に入れることで東海地区への出店の足掛かりを得ることが狙いであったとされている[14]。
2011年(平成23年)2月時点の店舗数は16店舗で2010年(平成22年)2月期の売上高は約366億円となっていた[14]。
その後、オークワ本体による東海地方への出店が進んで2011年(平成23年)2月までに愛知県と岐阜県に8店舗を構えるようになったため、重複する業務を合理化するとして2012年(平成24年)2月にオークワに吸収合併されることになった[14]。ただし、オークワへの吸収後も店舗名は「パレマルシェ」として営業を続けることになった[14]。
プライベートブランド編集
オークワの傘下入りに伴って、プライベートブランド(PB)商品が共同仕入れ機構・日本流通産業(ニチリウグループ)の「くらしモア」へ移行することになった。そのため、かつて扱っていた八社会のPB商品である「Vマーク(バリュープラス)」の取り扱いは2008年(平成20年)8月末で終了となった。
なおニチリウグループはオークワが中核企業の一つとなっており[15]、1999年(平成11年)5月20日からオークワの大桑氏が2代目社長に就任する[16][17]など関係が深い。
年表編集
株式会社名鉄パレ管財編集
- 1959年(昭和34年)2月 - 名鉄共栄社(現・名鉄産業)が鳴海団地内に鳴海スーパーマーケットを開設[3]。
- 1960年(昭和35年)9月7日 - 「名古屋ショッピ」設立[4]。
- 1965年(昭和40年)8月10日 - 「株式会社名鉄ストアー」設立[1]。
- 1972年(昭和47年)10月に北陸に進出[7]。
- 1973年(昭和48年) - 子会社「フジ・レジャー開発株式会社」を設立する。
- 1974年(昭和49年)1月 - 北マリアナ諸島のテニアン島へ出店する[7]。
- 1976年(昭和51年)3月 - 北マリアナ諸島のサイパン島へ出店する[7]。
- 1983年(昭和58年)9月 - 名鉄神宮前百貨店を開設して百貨店事業に進出[7]。
- 1987年(昭和62年)9月1日 - 株式会社名鉄ショッピと合併する[5]。
- 1992年(平成4年)3月1日 - 社名を株式会社名鉄パレに変更する[1]。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年) - フジ・レジャー開発が解散する。
- 2007年(平成19年) - 2007年度中に名鉄パレ管財を解散する旨、名古屋鉄道によって決議される。
株式会社パレ編集
現在営業中の店舗編集
2022年(令和4年)2月現在、オークワでは「パレマルシェ」ブランドとして9店舗を展開している。出店店舗の詳細については公式サイト「パレマルシェ/チラシ・店舗情報」を参照。
店舗一覧編集
- 神宮前店(愛知県名古屋市熱田区三本松町、2021年(令和3年)7月21日開店[18])
- 中村店(愛知県名古屋市中村区剣町1[19]、1975年(昭和50年)8月開店[20])
- 店舗面積約4,342m2[19]。
- 堀田駅店 → 堀田店(愛知県名古屋市瑞穂区新開町28-26[6]、1973年(昭和48年)6月開店[6])
- 店舗面積約2,513m2[6]。
- 池下店(愛知県名古屋市千種区覚王山通8-70-1、1997年(平成9年)10月開店)
- サンクレア池下内に出店。
- 河和店(愛知県知多郡美浜町河和字北田面5-1[19]、1979年(昭和54年)4月開店[21] )
- 東郷店(愛知県愛知郡東郷町白鳥3-5、1982年(昭和57年)11月開店)
- 名鉄岐阜店(岐阜県岐阜市、2009年(平成21年)9月6日開店[22])
- 西可児店(岐阜県可児市、1984年(昭和59年)3月開店[20])
- 店舗面積約2,326m2[19]。
- 新所原店(静岡県湖西市駅南1-3-1、1995年(平成7年)10月開店)
ギャラリー編集
かつて存在した店舗編集
愛知県編集
名古屋市地区編集
- 鳴海店(緑区鳴海町字姥子山22-1[4]、1959年(昭和34年)2月開店[3] - ?閉店)
- 鳴子店(緑区鳴子町1-6[4]、1962年(昭和37年)7月開店[3] - ?閉店)
- 笠寺店(南区、1962年(昭和37年)12月開店[3] - ?閉店)
- 木場町店(港区木場町8-51[24]、1988年(昭和63年)4月開店[20] - ?閉店)
- 城北店(北区金城1-2-21[6]、1971年(昭和46年)7月開店[20] - ?閉店)
- 店舗面積約919m2[4]。
- 又穂店(西区又穂町2-1[25]、1967年(昭和42年)6月開店[3] - 2009年(平成21年)2月閉店)
- 平針店(天白区天白町字細口下1793-1[4]、1965年(昭和40年)3月開店[20] - ?閉店)
- 植田店(天白区、1989年(平成元年)7月開店[20] - ?閉店)
- 喜多山店(守山区大字小幡字ニ軒家2610[4]、1964年(昭和39年)3月開店[20] - ?閉店)
- 東山店[3](千種区、?開店 - ?閉店)
- 神宮店(熱田区神宮3-6-34[6]、1983年(昭和58年)9月開店[7] - 2021年(令和3年)6月20日閉店[28])
尾張(名古屋市以外)地区編集
- 西春店(愛知県北名古屋市鹿田3926-10[6]、1994年(平成6年)10月開店[6]-2022年(令和4年)1月20日一部専門店及び直営店閉店)
- 店舗面積約10,248m2[6]。
- 二ツ杁店(西春日井郡西枇杷島町(現在の清須市)芳野町1-59[4]、1962年(昭和37年)4月10日開店[5] - ?閉店)
- 清洲店(西春日井郡清洲町(現在の清須市)新清洲1-2[4]、?開店 - ?閉店)
- 新清洲駅前に出店していた。
- 国府宮店(稲沢市松下町96[4]、1963年(昭和38年)3月20日開店[3] - ?閉店)
- 岩倉店(岩倉市東新町南江向24-5[4]、?開店 - ?閉店)
- 江南店(江南市藤ヶ丘6-1[4]、?開店 - ?閉店)
- 柏森店(丹羽郡扶桑町、1963年(昭和38年)5月開店[3] - ?閉店)
- 扶桑店(丹羽郡扶桑町高雄下野71[6])
- ニューマウント株式会社の工場跡地の一部を利用しオープンしたトステムビバ扶桑ショッピングパークの食品テナントという位置づけであった。後にトステムビバはペット&グリーンに改装するも撤退したため、跡地スペースを含め衣料品売り場拡充やテナント導入等の大幅な改装を行った。
- マックスバリュ中部が継承して2005年(平成17年)10月7日にマックスバリュ扶桑店が開業[29]。
- 店舗面積約1,700m2[29]。
- なお継承後の建物は2017年(平成29年)6月30日に一旦閉店し、マックスバリュは同年7月13日に同敷地内に新築のアクロスプラザ扶桑内に移転再オープン。その後旧店舗は解体しアクロスプラザのテナント増床分に充てている。
- 桃花園店(春日井市東山町2345[4]、1972年(昭和47年)6月開店[30] - ?閉店)
- 店舗面積約380m2[30]。
- 瀬戸店(瀬戸市東横山町62[4][31]、1971年(昭和46年)12月開店[20][31] - ?閉店)
- 店舗面積約3,406m2[31]。
- 杁ヶ池店(長久手市長配2-1507川本ビル[31]、1979年(昭和54年)4月開店[21] - ?閉店)
- 店舗面積約1,836m2[31]。
- 津島店(津島市、1968年(昭和43年)11月[5] - ?閉店)
- 朝倉店(知多市つつじ丘1-13[4]、1973年(昭和48年)3月開店[20] - ?閉店)
- 店舗面積約702m2[4]。
- 常滑店(常滑市鯉江本町5-140[25]、1987年(昭和62年)3月開店[20] - 2012年(平成24年)8月閉店[32])
三河地区編集
- 保見店(豊田市保見ヶ丘町5-1[31]、1975年(昭和50年)6月開店[33] - 2005年(平成17年)8月5日閉店[34])
- 朝日店(豊田市朝日町1-3[4]、1973年(昭和48年)9月開店[20] - ?閉店)
- メイツプラザ(店舗面積約3,140m2)内に出店していた[33]。
- 豊明店(豊明市二村台3-1-1[4]、?開店 - ?閉店)
- 知立店(知立市昭和9-2[4]、1966年(昭和41年)10月開店[20] - 2005年(平成17年)6月末日閉店[37])
- 小垣江店(刈谷市小垣江町亥新田1-1小垣江ビル[39]、?開店 - ?閉店)
- 店舗面積約2,299m2[39]。
- 新安城店(安城市、1986年(昭和61年)7月開店[20] - ?閉店)
- 岡崎店(岡崎市康生通西3-1-1[4]、1973年(昭和48年)4月開店[33] - ?閉店)
- 西三河総合ビル(店舗面積約7,288m2)内に出店していた[33]。
- 大府店(大府市、1990年(平成2年)6月開店[20] - ?閉店)
- (初代)西尾店(西尾市住吉町4-18[31]、1973年(昭和48年)12月開店[40] - 2013年(平成25年)閉店[40])
- (二代目)西尾店(西尾市住吉町4-18、2013年(平成25年)8月21日開店 - 2016年(平成28年)2月7日閉店)
- 菰口店(豊橋市菰口町1-20[6]、1996年(平成8年)3月開店[6] - ?閉店)
- 飯村店(豊橋市飯村南2-31-1[6]、1991年(平成3年)11月開店[6] - 2017年(平成29年)8月20日閉店)
- 店舗面積約3,988m2[6]。
岐阜県編集
- 岐阜店(岐阜市、1962年(昭和37年)12月開店[5] - ?閉店)
- 三里店(岐阜市清上沼715-1[31]、1995年(平成7年)9月開店[6] - 2005年(平成17年)閉店)
- 忠節店(岐阜市島栄町2-45[4]、1972年(昭和47年)5月開店[20] - 2000年(平成12年)2月閉店[43])
- 新那加店(各務原市那加新那加町27[4]、1971年(昭和46年)3月開店[5] - 2000年(平成12年)2月閉店[43])
- 鵜沼緑苑店(各務原市鵜沼宇合戸6526-1[4]、1975年(昭和50年)7月開店[20] - 2000年(平成12年)2月閉店)
- 鵜沼緑苑に出店していた。
- 大垣店(大垣市、1963年(昭和38年)10月開店[3] - 1967年(昭和42年)閉店[3])
- 太田店(美濃加茂市、1963年(昭和38年)11月開店[3] - ?閉店)
- 店舗面積約5,949m2[6]。
- 今渡店(可児市今渡字野市場4[4]、1977年(昭和52年)3月開店[20] - ?閉店)
- 日本ライン今渡駅に隣接する駅ビル内に出店していた。駅ビル解体により建物は現存しない。
- 多治見店(多治見市本町[3]、1964年(昭和39年)6月開店[3] - ?閉店)
- 多治見駅前店(多治見市本町1-2[31]、1971年(昭和46年)10月開店[20] - ?閉店)
- 多治見橋店(多治見市、1977年(昭和52年)11月開店[20] - ?閉店)
- ホワイトタウン店(多治見市、1982年(昭和57年)4月開店[20] - ?閉店)
- ホワイトタウンに出店していた[3]。
静岡県編集
- かじ町店(浜松市中区鍛冶町[45]、2009年(平成21年)5月14日開店[46] - 2009年(平成21年)12月6日閉店[45])
- 葵町店(浜松市、1976年(昭和51年)4月開店[20][47] - ?閉店)
- 北寺島店(浜松市中区北寺島町492-2、1978年(昭和53年)3月開店[20] - 2015年(平成27年)8月20日閉店[48])
- 湖西店(湖西市鷲津1090-1[49]、1980年(昭和55年)10月開店[20] - ?閉店)
- 鷲津駅から少し離れた郊外にあった「湖西ショッピングセンター[47] グリーンバレー[50]」(店舗面積約4,975m2)に衣料品の「エビスヤ」と共に核店舗として出店し[47]、食品を主として扱っていた[47]。
- 道路を挟んですぐ前に「遠鉄ストア湖西店」が移転して[50]、1994年(平成6年)9月21日に開業した[47]。
- 新所原駅に近い湖西市駅南に1995年(平成7年)10月に「新所原店」が出店している[6]。
- 2001年(平成13年)4月にリベロが入店したが2004年(平成16年)3月に閉店、その後浜名プラスチックの事務所を経て2013年(平成25年)にテナントが取り壊され、2013年(平成25年)末にヤマダ電機が出店したが2015年(平成27年)6月で閉店しており、同年11月から現在は杏林堂鷲津店となっている。
- ららぽーと磐田店(磐田市[51]、2009年(平成21年)6月25日開店[51] - 2019年(平成27年)8月20日閉店)
- 三井不動産の関連会社である三井不動産商業マネジメントが運営するショッピングセンターの核テナントとして出店していた[51]。跡地には2020年(令和2年)1月下旬にエブリィビッグデーららぽーと磐田店が出店する予定。
石川県編集
関連企業編集
2005年(平成17年)1月時点で存在していた、名鉄パレ関連企業を挙げる。
脚注編集
- ^ a b c d e “名鉄ストア、3月1日から「名鉄パレ」に社名変更”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年3月4日)
- ^ “オークワ、東海地区の子会社パレを吸収合併”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2011年3月16日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 名鉄百貨店社史編纂室 『名鉄百貨店開店30周年記念社史』 名鉄百貨店、1985年5月10日。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1979年10月。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 名古屋鉄道株式会社広報宣伝部編 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 流通会社年鑑 2003年版, 日本経済新聞社, (2002-12-20), pp. 416-417
- ^ a b c d e f g h 『流通会社 2003年版』 日本経済新聞社、2002年12月20日。
- ^ a b “名鉄パレ、フェニックス・キャピタルに営業譲渡”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年5月16日)
- ^ 中日新聞朝刊 2005年4月27日付 9面
- ^ “中部流通特集:小売トップインタビュー=パレ・田村弘一社長”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年11月17日)
- ^ “名古屋鉄道、名鉄パレをフェニックス・キャピタルに譲渡へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年5月9日)
- ^ a b c d e f “オークワ、名古屋のSMパレを買収”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2008年6月13日)
- ^ “バイヤー視点:パレ・掘武雄氏「“おいしかった”というお客の声が最高の喜び」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2006年1月23日)
- ^ a b c d e “オークワ、子会社のパレを吸収合併 「パレマルシェ」は継続”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2011年3月8日)
- ^ “ニチリウ新社長就任記念特集:牛尾誠之常務理事に聞く”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年7月15日)
- ^ “日本流通産業・大桑社長、PB開発より強化など語る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年6月14日)
- ^ “ニチリウ新社長就任記念特集:大桑社長に聞く”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年7月15日)
- ^ a b “「パレマルシェ神宮前店」オープンについて”. オークワ (2021年7月14日). 2021年7月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2007年版』 東洋経済新報社、2007年。
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- ^ a b “「イクト」開業に長い行列 新岐阜百貨店跡に新商業施設”. 中日新聞 (中日新聞社). (2009年9月6日)
- ^ 名鉄岐阜駅 新商業ビル「ECT(イクト)」が9月6日(日)にグランドオープン。 - 名古屋鉄道ニュースリリース 2009年7月31日
- ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。
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- ^ 吉岡健次 山崎春成編 『現代大都市の構造』 東京大学出版会、1978年7月25日。ISBN 978-4-13-061028-5
- ^ 『組織変更および人事異動に関するお知らせ』 オークワ、2012年2月27日 。
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- ^ a b 春日井市史編集委員会 『春日井市史 資料編(5)』 春日井市、1993年3月31日。
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