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パンアメリカン航空526便不時着水事故

パンアメリカン航空526便不時着水事故(パンアメリカンこうくう526びんふじちゃくすいじこ)は、1952年4月11日、アメリカ合衆国の自治領プエルトリコ サンフアンからニューヨークに向かっていたパンアメリカン航空(通称パンナム)の旅客機が、大西洋の沖合に不時着水した事故である。なお、パンアメリカン航空はこの事故のわずか18日後にも、ボーイング377による墜落事故を起こしている。

パンアメリカン航空 526A便
Douglas DC-4, N88886, Pan American World Airways.jpg
事故機と同型機のダグラスDC-4
出来事の概要
日付 1952年4月11日
概要 エンジン故障による海上への不時着水
現場 プエルトリコの旗 プエルトリコ サンフアン=イスラ・グランデ空港英語版から北西18km地点
乗客数 64
乗員数 5
負傷者数
(死者除く)
不明
死者数 52
生存者数 17
機種 ダグラス DC-4
機体名 Clipper Endeavor
運用者 アメリカ合衆国の旗 パンアメリカン航空(PAN AM)
機体記号 N88899
出発地 プエルトリコの旗 サンフアン=イスラ・グランデ空港英語版
目的地 アメリカ合衆国の旗 ニューヨークシティ=アイドルワイルド空港
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事故の経緯編集

1952年4月11日正午過ぎ、米プエルトリコ島の主都サンフアンにある、アイル・グランデ空港を、とある1機の旅客機が離陸。ニューヨークのアイドルワイルド空港(現 ジョン・F・ケネディ空港)へ向かう、パンアメリカン航空526便であった[1]。この時に使用された機体はダグラスDC-4型機レジナンバーはN88899・製造年は1945年)で[1]、搭載されているのは現在のようなジェットエンジンとは違い、レシプロエンジンであったが、それでもダグラス製旅客機としては初の4発機であったため、当時存在した航空機の中では、航続距離などの面でも良好な旅客機の1つであった。

526便は午後0時11分に空港を飛び立ったが、離陸の際に機体の第3エンジンの不具合が発生し、使用不能となった[1]パイロットは初め、直ちにアイル・グランデ空港に引き返そうした[1]が、さらに上昇して高度550フィートに達すると、今度は第4エンジンまでもが不具合を起こしたため、機体は不安定となり、付近の沖合に不時着水せざるを得なくなった[1]。しかし着水は成功せず、526便はそのまま海に墜落。機内には69人の乗員・乗客(乗員5人・乗客64人)が搭乗していたが[1]、乗客は52人が死亡。しかしその他の乗客と乗員は、いずれも救出されたため、一命を取り留めた[1]

墜落地点は、アイル・グランデ空港から北西におよそ20 km離れた大西洋の海上である[1]

事故の原因編集

実はこの事故が起こる前日、事故機の第3エンジンの中からアルミニウムの欠片が発見されていたことが判明[1]。しかしその際、第3エンジンの整備におけるミスがあったため、翌日の離陸時にエンジンは故障してしまったものと考えられた[1]。そして、エンジントラブル発生時、パイロットは停止した第3・第4エンジン以外の、第1・第2エンジンの出力に関しては上げておらず、操縦桿の操作のみで機体を上昇させようとしたため、機体は逆に失速してしまった[1]。この2つの原因により、526便は墜落に至ったとみられる。

事故の教訓編集

この事故においては、パイロットは客室乗務員に緊急事態発生の事実を報告せず、客室では着水前に何も対処ができなかった[1]。また、緊急時用の救命筏はたった1箇所にしか常備されておらず、墜落までに間に合わなかった[1]。よって、これらの事態が、後に52人の犠牲者を出す引き金にもなってしまった。

しかしこの事故を教訓に、旅客機においては離陸前に緊急時の訓練が行われはじめた[1]

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 事故詳細(事故No,19520411a)” (日本語). 外山智士ホームページ. 外山智士. 2019年9月21日閲覧。