パーソナルエンスン (Personal Ensign) はアメリカ合衆国競走馬繁殖牝馬である。生涯成績13戦13勝、うちG1競走8勝という成績を残し「ミス・パーフェクト」の異名を取った。また繁殖牝馬としても3頭のG1競走優勝馬を輩出している。1988年エクリプス賞最優秀古牝馬、1996年度ケンタッキー州最優秀繁殖牝馬。1993年アメリカ競馬殿堂入り。カナではパーソナルエンサインとも表記される。

パーソナルエンスン
欧字表記 Personal Ensign
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1984年4月27日
死没 2010年4月8日(26歳没)
Private Account
Grecian Banner
母の父 Hoist the Flag
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Ogden Phipps
馬主 Ogden Phipps
調教師 Claude R. McGaughey IIIアメリカ
競走成績
生涯成績 13戦13勝
獲得賞金 167万9880ドル
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全兄サバーバンハンデキャップ (G1) 、ワイドナーハンデキャップ (G1) など重賞4勝を挙げたパーソナルフラッグがいる。

経歴 編集

1986年9月のメイドン(未勝利戦)でデビュー、大差勝ちを収める。2戦目に早くもフリゼットステークス (G1) に出走し勝利。ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズへの最有力候補と目された。しかし調教中に右後脚の球節に複雑骨折を発症する。競走能力喪失も予想された重傷であったが復帰を目指し患部に5本のボルトを埋め込む大手術を行い、長期休養に入った。

復帰したのは前走から1年近く経過した1987年9月の一般競走だった。脚にボルトが入ったままだったがこれを楽勝するとさらに一般競走、レアパフュームステークス (G2) 、ベルデイムステークス (G1) と4連勝。この後には前年出走が叶わなかったブリーダーズカップが控えていたが馬への負担を避けるために出走を見送り、休養に入った。

1988年も連勝は続き、史上3頭目のケンタッキーダービー優勝牝馬ウイニングカラーズや牡馬のG1優勝馬ガルチといった強豪も難なく退けこの年6連勝。12戦12勝という成績のままブリーダーズカップ・ディスタフへと駒を進めた。当日はハリケーンの影響により大雨の中で競走が行われる。パーソナルエンスンは後方からレースを進めると、ゴールまで200mの地点で先行して競り合うウイニングカラーズ・グッバイヘイローに4馬身の差を付けられる苦しい展開となった。しかし一歩一歩差を詰め、ゴールではウイニングカラーズを鼻差だけ差し切り優勝。史上初の無敗でのブリーダーズカップ・ディスタフ制覇を果たし、このレースを最後に競走馬を引退した。10走以上を消化し無敗のまま引退という戦績は、1908年に15戦15勝のまま引退したコリン以来実に80年振りの快挙となった。この年のエクリプス賞で最優秀古牝馬を受賞。また、1993年には殿堂入りも果たした。

繁殖時代 編集

繁殖牝馬としても非常に優れた成績を残しておりジョッキークラブゴールドカップに優勝したマイナーズマーク(Minar's Mark)、ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズ等を制したマイフラッグ (My Flag) 、オークローンハンデキャップを制したトラディショナリー (Traditionaly) といったG1優勝馬を次々と輩出。こうした産駒の活躍により1996年にはケンタッキー州最優秀繁殖牝馬に選出され、引退してなおその評価を高めた。これらの功績を記念し、1998年には夏期に行われていたG1競走ジョンA.モリスハンデキャップが「パーソナルエンスンハンデキャップ」と改称された。

また第2仔アワエンブレム (Our Emblem) はカーターハンデキャップ (G1) で2着などG1での優勝はなかったが、種牡馬として2002年のクラシック二冠馬ウォーエンブレム (War Emblem) を送り出した。マイフラッグも繁殖牝馬として母娘二代のジュヴェナイルフィリーズ優勝馬となったストームフラッグフライング (Storm Flag Flying) を産み、本馬から三世代に渡ってブリーダーズカップを制している。

パーソナルエンスン自身は2006年に繁殖も引退し、以降はクレイボーンファームで功労馬として余生を送った。2010年4月8日に老衰で死亡。亡骸は父も埋葬されている同場内のマーチモント墓地に葬られた[1]

年度別競走成績 編集

年月日 競馬場 レース名 頭数 人気 着順 距離 タイム 着差 騎手 斤量 (kg) 勝ち馬/(2着馬)
1986. 9. 28 ベルモントパーク メイドン 7 1 1着 D7F(重) 1:22.8 12身 3/4 R.ロメロ 53 (Graceful Darby)
10. 13 ベルモントパーク フリゼットS G1 3 1 1着 D8F(速) 1:36.4 R.ロメロ 55 (Colins)
1987. 9. 6 ベルモントパーク アローワンス 6 1 1着 D7F(重) 1:23.2 3 3/4身 J.ベイリー 51.5 (Chic Shirine)
9. 24 ベルモントパーク アローワンス 5 1 1着 D8F(速) 1:36.2 7 3/4身 R.ロメロ 51.5 (Witha Twist)
10. 10 ベルモントパーク レアパフュームS G2 9 1 1着 D8F(速) 1:36.6 4 3/4身 R.ロメロ 52 (One From Heaven)
10. 18 ベルモントパーク ベルデイムS G1 10 2 1着 D10F(速) 2:04.4 2 1/4身 R.ロメロ 53.5 (Copu de Fusil)
1988. 5. 15 モンマスパーク シュヴィーH G1 6 1 1着 D8.5F(速) 1:41.6 1 3/4身 R.ロメロ 55 (Clabber GIrl)
6. 11 ベルモントパーク ヘムステッドH G1 5 1 1着 D9F(速) 1:47.8 7身 R.ロメロ 56 (Hometown Queen)
7. 4 ベルモントパーク モリーピッチャーH G2 5 1 1着 D8.5F(良) 1:41.8 8身 R.ロメロ 56.5 (Grecian Flight)
8. 6 サラトガ ホイットニーH G1 3 1 1着 D9F(不) 1:47.8 1 1/4身 R.ロメロ 53 (Gulch)
9. 10 サラトガ マスケットS GI 4 1 1着 D9F(良) 1:34.2 3/4身 R.ロメロ 53.1 (Winning Colors)
10. 16 ベルモントパーク ベルデイムS G1 5 1 1着 D10F(速) 2:01.2 5 1/2身 R.ロメロ 56 (Classic Crown)
11. 15 チャーチルダウンズ BCディスタフ G1 9 1 1着 D9F(重) 1:52.0 R.ロメロ 56 (Winning Colors)

繁殖記録 編集

生年 馬名 毛色 戦績
第1子 1990年 Miner's Mark 鹿毛 Mr. Prospector 18戦6勝
第2子 1991年 Our Emblem 黒鹿毛 27戦6勝
第3子 1992年 Pennant Champion 鹿毛 7戦2勝
第4子 1993年 My Flag 栗毛 Easy Goer 20戦6勝
第5子 1994年 Proud and True 鹿毛 Mr. Prospector 9戦3勝
第6子 1997年 Traditionaly 鹿毛 20戦5勝
第7子 2000年 Possibility 鹿毛 A. P. Indy 7戦1勝
第8子 2002年 Salute 鹿毛 Unbridled 8戦1勝
第9子 2003年 Title Seeker 鹿毛 Monarchos 不出走
第10子 2005年 Baronial 鹿毛 Kingmambo 12戦1勝

産駒の主な優勝競走 編集

血統表 編集

パーソナルエンスン血統ダマスカス系 / War Admiral 5×4=9.38%) (血統表の出典)

Private Account
1976 鹿毛
父の父
Damascus
1964 鹿毛
Sword Dancer Sunglow
Highland Fling
Kerala My Babu
Blade of Time
父の母
Numbered Account
1969 鹿毛
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Intriguing Swaps
Glamour

Grecian Banner
1974 黒鹿毛
Hoist the Flag
1968 鹿毛
Tom Rolfe Ribot
Pocahontas II
Wavy Navy War Admiral
Triomphe
母の母
Dorine
1958 栗毛
Aristophanes Hyperion
Commotion
Doria Adovocate
Donatila F-No.6-a
  • 2代母Dorineはアルゼンチン四冠馬フォルリと3/4同血(Aristophanes母父Adovocateが共通)である。

脚注 編集

  1. ^ Blood-Horse Staff (2010年4月9日). “Racing Icon Personal Ensign Dead”. BloodHorse.com. 2010年4月10日閲覧。

外部リンク 編集