パーユー王はラーンナー王朝5代目の王である。

パーユー
พญาผายู
戴冠 1345年(チエンマイ年代記
1337年(ジナカーラマーリー
退位 1367年(チエンマイ年代記)
1355年(ジナカーラマーリー)
全名 パーユー
出生 1316年[1]
死亡 上記に同じ
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伝記 編集

彼は、先代の王たちとは違い、チエンラーイ、チエンセーン方面には居さずチエンマイに遷都した。これは、大まかにチエンセーン以北に安定がもたらされたためと言える。軍事的には、チエンコーンの国主の娘を妻に迎え東方の安定させた上で、チエンコーンのイン川上流のパヤオに対する支配権を強化した。

内政面ではパーユー王は仏教を積極的に保護した。ワット・リーチエンプラを建設その後、プラ・シンと呼ばれる仏像を招きワット・リーチエンプラに安置し、ワット・プラシンと名を改めさせた。また、アパイチュラ大長老をラムプーンから招き、大僧正とした。これらの、パーユー王の働きはラーンナー世界への仏教の普及に大きく貢献した。

参考文献 編集

  • ตำนานพื้นเมืองเชืยงใหม่ ฉบับปรับปรุงใหม่, อรุณรัตน์ วิเชียรเขียว และ เดวิด เค. วัยอาจ, เชืยงใหม่ :Silkworm Books, 2543 ISBN 9749575512
  • Ongsakul, Sarassawadee, History of Lan Na, trans. Chitraporn Tanratanakul, Chian Mai: Silkworm Books, Thai text 2001, English text 2005, ISBN 9749575849

脚注 編集

  1. ^ ตำนานพื้นเมืองเชืยงใหม่ ฉบับปรับปรุงใหม่, อรุณรัตน์ วิเชียรเขียว และ เดวิด เค. วัยอาจ, เชืยงใหม่ :Silkworm Books, 2543, p.66 ISBN 9749575512 の1345年の時点で29歳だったという記述に基づく
先代
カムフー
ラーンナー王朝
1337年-1355年
(1345年-1367年)
次代
クーナー