ヒズボラ

レバノンのイスラム教シーア派武装組織
ヒズブッラーから転送)

ヒズボラアラビア語: حزب الله‎, 翻字: Ḥizb Allāh, 文語アラビア語簡略発音:ヒズブッラー、口語発音:ヒズボッラー、ヒズバッラー)は、1982年に結成されたレバノンシーア派イスラム主義の政治組織、武装組織。

ヒズボラ
(神の党)
حزب الله
レバノン内戦レバノン侵攻シリア内戦2023年パレスチナ・イスラエル戦争に参加
旗
活動期間 1982年 - 現在
活動目的 レバノンでのイスラム共和制の樹立
イスラム国家主義
汎イスラム主義
ホメイニズム
シーア派 戦聖主義
宗派主義
反帝国主義
反西洋主義
反ユダヤ主義
反シオニズム
アラブ民族主義
LGBT
指導者 スビ・アル・トゥファイリ(1989年〜1991年)
アッバス・アル・ムサウィ(1991年〜1992年)
ハサン・ナスルッラーフ(1992年〜現在)
本部 レバノンの旗 レバノンベイルート県ベイルート
活動地域 レバノンの旗 レバノン
関連勢力
敵対勢力
  • レバノンの旗 レバノン(親米派反シリア派)
  • サウジアラビアの旗 サウジアラビア
  • アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦
  • バーレーンの旗 バーレーン
  •  エジプト
  • イスラエルの旗 イスラエル
  • アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
  • オーストラリアの旗 オーストラリア
  • 欧州連合の旗 欧州連合
  • 北大西洋条約機構の旗 NATO
  • トルコの旗 トルコ
  • アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
  • 自由シリア軍
  • アルカイダ
  • 東トルキスタンイスラム運動
  • テンプレートを表示
    レバノンの旗 レバノン政党
    ヒズボラ
    (神の党)
    حزب الله
    Hezbollah
    成立年月日 1982年
    本部所在地 ベイルート
    国民議会
    12 / 128   (9%)
    (2018年5月6日)
    政治的思想・立場 イスラム共和制
    イスラム教シーア派
    反シオニズム
    公式サイト www.moqawama.org
    テンプレートを表示

    イランシリアの政治支援を受け、その軍事部門はアラブ・イスラム世界の大半で抵抗運動の組織と見なされている。日本[1]欧州連合米国オランダ[2][3][4][5]バーレーン[6][7]エジプト[8]英国豪州カナダイスラエルは、ヒズボラの全体または一部をテロ組織に指定している[9][10][11]

    名称 編集

    アラビア語で「神の党」「アッラーの党」を意味する複合名で、حِزْب(ḥizb, ヒズブ, 「集団、徒党;政党」の意)とイスラームなどのセム系三大宗教の唯一神のアラビア語名称 الله(Allāh, 実際の発音:ʾallāh, アッラー)の2語から成る。

    アラビア語の発音では文語発音休止形がヒズブッラーフ、文語簡略発音がヒズブッラー、口語アラビア語(方言)発音がヒズバッラーやヒズボッラーとなっており、日本で多用されているヒズボラは後者の口語発音が元になっている。またペルシア語風発音に基づいたヘズボッラーとのカタカナ表記も見られる。

    日本の報道機関では「ヒズボラ」と表記される事が一般的である。

    概要 編集

    レバノンを中心に活動している急進的シーア派イスラム主義組織で、イラン型のイスラム共和制をレバノンに建国し、非イスラム的影響をその地域から除くことを運動の中心とする。反欧米の立場を取り、イスラエルの殲滅を掲げている。

    ヒズボラはレバノン内戦の最中の1982年イスラエル国防軍によるレバノンでの軍事作戦への抵抗を契機に生まれた[12]。イスラエルの軍事作戦は南レバノンのテロ・グループによるテロ攻撃と、シュロモ・アルゴフ駐英国イスラエル大使への暗殺未遂事件に対する反撃として遂行された[13][14][15][16]

    ヒズボラ指導部は、イランのルーホッラー・ホメイニーの薫陶を受け、その部隊はイラン革命防衛隊から訓練を受けて組織された[17]

    ヒズボラの1985年の宣言は4つの目的として、「イスラエル抹殺の準備段階としてイスラエルをレバノンから最終的に撤退させる」こと「レバノンからあらゆる帝国主義勢力を追放する」こと、キリスト教マロン派系の極右政党・民兵組織であるファランヘ党を「正義の支配」の下に置き、その犯罪行為を裁判にかけること、「完全な自由の下で、希望する統治体制」を選択する機会をレバノン国民に与えることを挙げる一方で、イスラム支配への傾倒を隠そうとはしなかった[18]

    ヒズボラ指導部はまたイスラエル国家を「シオニスト政体(الكيان الصهيوني, al-kiyān al-ṣahyūnī, アル=キヤーン・アッ=サフユーニー)」と呼び、その破壊を求める数々の声明を出してきた[18]

    イランとシリアが組織を支援していると言われており、特にイランは組織設立時の関与や武器供給などヒズボラと密接に結びつき、一部の活動はイランの指示によるものとされている[19]スンナ派ムスリムが多いサウジアラビアヨルダンエジプトなどはヒズボラの行動を批判している。シリアは主として、後方補給拠点や訓練施設、要人の自宅などを提供しており、イランから空路で到着した物資や人員はダマスカスベイルート街道を陸路で通り、レバノン国境を経てヒズボラに供給されていると言われる。

     
    ヒズボラのロケット弾(2006年)

    1980年代以降、レバノン国内外にある欧米やイスラエルの関連施設への攻撃を相次ぎ起こした(後述の「軍事行動」参照)。1983年には首都ベイルートで4月に米大使館、10月に米仏海兵隊兵舎を自爆攻撃し、米仏軍を撤退に追い込んだ。

    1984年には中央情報局(CIA)支局長を誘拐し、9月に米大使館へ再度の自爆攻撃を行った。CIA支局長の誘拐計画について、イスラエル参謀本部諜報局(アマン)はヒズボラに潜入させたスパイを通じて察知し警告した。だが当時の中東では過激派でもあってもアメリカやソビエト連邦の機関への攻撃はタブー視しており、アメリカは深刻に受け止めなかったという[20]

    1992年以来、ヒズボラはハサン・ナスルッラーフ(日本の報道機関ではナスララまたはナスラッラーと表記されることが多い)が率いている。

    2000年にイスラエルがレバノンから撤退した後も、イスラエルへの攻撃を繰り返している。2006年7月にイスラエル軍部隊と交戦した際、投降した兵2名を捕虜にした。この結果、イスラエルのレバノン再侵攻を招き、全面衝突となったが、同年8月14日に停戦が成立し、現在に至っている。

    一説には2006年侵攻劇はレバノンにおけるヒズボラの政治的地位確保のための行動とも言われる。レバノン国軍に勝る軍事力を持ち、レバノン政府から施設運営費を得ていくために必要だったとされるが、その動機などは追及されていない。なお、ヒズボラ自身は、2006年の対イスラエル戦について「歴史的勝利」と主張している[21]

    2018年、イスラエルは、ヒズボラがレバノンからイスラエル領内に向けて地下トンネルを掘っており、その破壊作戦を実施すると発表した[22]。同年9月27日の国連総会において、ネタニヤフ・イスラエル首相は、イランの指揮下で、ヒズボラは低精度のミサイルを命中精度10m以内の高精度のミサイルに作り変える転換工場を、ベイルート国際空港の周辺3箇所に設けていると、衛星写真のパネルを提示して説明し、「ヒズボラに告ぐ。イスラエルはおまえたちが何を、何処でやっているのか、全て知っている。イスラエルはおまえたちの好きなようにはさせない。」と名指しで非難する演説を行っている [23][24]

    少数の民兵組織から始まったヒズボラは、レバノン議会に議席を有し、ラジオ・衛星テレビ局を持ち、社会開発計画を実施する組織へと発展を遂げた[25]。ヒズボラはレバノンのイスラム教シーア派住民からの強固な支持を受け、数十万人規模のデモを組織する能力を持つ[26]

    ヒズボラは2006年 - 2008年、他の政治勢力と協力し、当時のフアード・シニオラ首相の政府を相手取り抗議行動を開始した[27]。ヒズボラによる通信ネットワークの保有をめぐるその後の論争は衝突に発展し、ヒズボラ率いる抵抗勢力はシニオラ首相に忠誠を誓う政党「未来運動」の民兵組織が支配する西ベイルートの複数の地域を制圧した。これらの地域はレバノン軍に引き渡された[28]

    2008年には挙国一致政府が成立し、ヒズボラを含む野党勢力は、全閣僚ポスト30のうちの11に対する影響力を確保し、事実上の拒否権を手にした[29]2018年の総選挙では同じシーア派のアマルやキリスト教勢力との連携派閥がレバノン議会の過半数以上を確保し、政治的な影響力は更に強まっている[30]

    ヒズボラはイランから軍事訓練、武器、財政支援を受け、シリアからは政治支援を受けている。2000年にイスラエル軍が南レバノンの駐留を終結させたことを受けてヒズボラの軍事力は顕著に増大した[31][32]

    2008年6月、国連がイスラエル軍のレバノン領からの完全撤退を認定したにもかかわらず[33]、同年8月、レバノン新内閣はヒズボラが軍事組織として存続することを認め、ヒズボラが「占領地域を解放または奪還する」権利を保証する政治宣言を全会一致で了承した。

    組織と兵力 編集

     
    ヒズボラの組織構成図

    1990年代から軍事部門と政治部門の分離が進められ、1992年に軍事部門「レバノン・イスラムの抵抗」は形式上ヒズボラとは無関係な独立機構に分離された。

    • 議長ハサン・ナスルッラーフ(現地発音:ハサン・ナスラッラー)
    • 副議長:ナイーム・カースィム
    • 政治局会議議長:イブラーヒーム・アミーン・アッ=サイイド
    • 政治局会議副議長:マフムード・クマーティー
    • 議会会派「レジスタンスへの忠誠」議員団長:ムハンマド・ラアド
    • 執行評議会議長:ハーシム・サイフッディーン
    • 執行評議会副議長:ムハンマド・ヤーギー
    • 政治顧問:フセイン・アル=ハリール
    • 軍事作戦顧問:イマード・ファーイズ・ムグニヤ英語版 1983年の米仏海兵隊兵舎爆破テロの容疑で、国際手配されている。2008年2月13日、シリアでイスラエル情報機関により暗殺される。 
    • 対外関係局長:ナウワーフ・アル=ムーサウィー 

    その他 ムハンマド・フナイシュ 前水資源・エネルギー相

    日本公安調査庁は、平時の戦闘員は最大4万5000人で、そのうち2万1000人が常勤で約7000人がシリアで活動しているとされる。 非常時には2万5000人程度を動員可能と見ている[1]。『毎日新聞』の報道によると、戦闘員は1000人弱(戦時動員で2万人以上)で、対イスラエル攻撃用のミサイル / ロケットを約15万発保有している[34]

    政治・社会活動 編集

    ヒズボラは一般に過激派組織と見なされているが、パレスチナの過激派ハマースのように選挙に参加している政治組織である。独自の議会会派「レジスタンスへの忠誠」を結成して、議会選挙では1992年8議席、1996年7議席、2000年12議席と議席を毎回獲得し、2005年7月には連立内閣に参加した。近年の議会選挙では、2018年に71議席を獲得したが2022年には(128議席中)62議席程度にとどまり過半数割れしている[35]

    また、貧困層への教育・福祉ネットワーク(2002年のデータで、学校9校、病院3か所、診療所13か所を運営)を作っており、それ故に貧困層からの支持は厚い。

    2007年のイスラエルとの戦いの際にも、被害を受けた人々の直接的な援助を行っている。

    インターネット上に複数のウェブサイトを開設しており、テレビ局「アル=マナール(المنار, al-Manār, 「灯台;光塔、ミナレット」の意)」、ラジオ局「アン=ヌール(النور, al-Nūr, 「光」の意)」、週刊紙・ニュースサイト『アル=アフド(العهد, al-ʿAhd, 「誓約、誓い」の意)も運営している。

    軍事行動 編集

     
    ヒズボラの民兵(1998年)

    1982年 編集

    1983年 編集

    1984年 編集

    • 1月18日 - アメリカン大学次期総長マルコルム・ケルを暗殺する。
    • 3月7日 - CNNレバノン支局長ジェレミ・レヴィンを誘拐。彼は後に逃亡に成功した。
    • 3月8日 - 米国籍のレヴェレンド・ヴェイルを誘拐。16ヵ月後、シリアとイランの仲介により解放。
    • 3月16日 - 中央情報局(CIA)レバノン支局長ウィリアム・バクリー英語版を誘拐。囚人との交換を要求したが、拒絶される。バクリーは拷問により心臓発作を起こし死亡。
    • 8月12日 - 在スペイン米空軍基地で爆弾攻撃実行。18人を殺害し、83人に負傷させる。
    • 9月20日 - 駐ベイルート米大使館に対して自爆攻撃実行。23人を殺害し、米英大使を含む21人を負傷させる。
    • 12月4日 - ドバイからカラーチーに向かっていたクウェート航空旅客機ハイジャック[36]クウェート収監中の数人の仲間の釈放を要求。機体はテヘランに着陸したが、特殊部隊が突入した。2人が死亡。

    1985年 編集

    • 6月14日 - ローマからアテネに向かっていた旅客機をハイジャックし、ベイルートに向かった。イスラエルと南レバノンに収監中の数百人の仲間の釈放を要求。搭乗員8人と乗客145人を17日間にわたって拘束し、乗客1人を殺害した。機体は、アルジェリアに2度飛んだ後、ベイルートに着陸した。人質は解放され、実行犯は逮捕された。詳しくはトランス・ワールド航空847便テロ事件を参照
    • 9月30日 - レバノンでソ連外交官4名(内2名はソ連国家保安委員会職員)を誘拐し、その内1名を殺害した[37][38]。要求はシリア軍が準備していたレバノン北部での掃討作戦の中止。掃討作戦自体はソ連側がシリアに圧力をかけて中止させたが、ヒズボラは追加の要求を出して人質の解放を拒否した[38]。最終的には実行犯のうち1人がレバノン軍に射殺され、KGBがルーホッラー・ホメイニーの暗殺をほのめかしてフセイン・ファドラッラーを脅迫したため、生存していた人質は全員解放された[38]

    1986年 編集

    • 9月9日 - アメリカン大学総長を誘拐。44ヵ月後に解放。
    • 10月21日 - アメリカ国籍のエドワード・トレイシーを誘拐。1991年8月に解放。
    • 2月17日 - 国連監視団長ウィリアム・ヒギンズ大佐を誘拐。イスラエル軍のレバノン撤退と、収監中のパレスチナ人及びレバノン人全員の釈放を要求。米政府は交渉を拒否。大佐は1991年に白骨死体となって発見され、1990年に絞首により殺害されたと推測された。

    1992年 編集

    • 3月17日 - 駐アルゼンチン・イスラエル大使館付近で自動車爆弾攻撃実行。29人を殺害する。同年、当時のヒズボラ議長シャイフ・アッバース・ムーサウィーがイスラエル軍ヘリによる攻撃で死亡。

    1994年 編集

    1996年 編集

    • 2月28日 - 軽航空機でイスラエル領空への侵入を試みたが、撃墜される。
    • 3月4日 - マナール村付近で爆破事件を起こし、イスラエル兵4人を殺害。
    • 3月20日 - レバノン南部にてイスラエル軍車列への自爆攻撃。イスラエル兵1人を殺害。2時間後、自爆場所から数マイル離れた場所で南レバノン軍の民兵が殺害される[39]
    • 6月25日 - サウジアラビアの米軍兵舎を爆破。米兵19人を殺害。

    2000年 編集

    • 秋 - スイスでビジネスマンのエルハナン・タンネンバウムを誘拐。

    2006年 編集

    • 7月 - イスラエル兵を拉致。報復としてイスラエル軍はレバノンを空爆。ヒズボラはイスラエルへのロケット砲攻撃を敢行、イスラエル北部の主要都市ハイファ等に打撃を与えた。また、海上封鎖中の最新鋭艦にミサイルを命中・炎上させ、イスラエル側に衝撃を与えた。その後、空爆に続きイスラエル側がレバノンに越境侵攻し、ヒズボラ側と激しい戦闘になった(イスラエル・レバノン紛争)。ヒズボラは、イランやシリアから提供された最新のロシア製携行対戦車ミサイルメティスMコルネットなどで、イスラエルの戦車メルカバや装甲車に大きな損害を与えた。結局イスラエル側は兵士だけでも100人以上の死者を出し、停戦成立時イスラエル国民のうち6割が今回の戦争は敗北であると考える結果に終わった。
    • 8月14日 - 国連安保理決議に基づき、停戦発効される(レバノン時間8時)。ヒズボラは停戦成立後、ナスルッラーフ師(議長)が歴史的な勝利宣言を行った。そして直ちにイスラエルの空爆によって家を失ったレバノン国民に対し、強力な復興支援を開始した。その額1人あたり1万ドルという大金を支援している。

    2008年 編集

    • 2月13日 - ヒズボラのテレビ局「アル=マナール」は、軍事作戦顧問で数々のテロ事件を立案・指揮したとされるイマード・ムグニーヤ英語版が、シリアの首都ダマスカスでモサドによって自動車に仕掛けられた爆弾の爆発により死亡したと発表した。暗殺現場は、ダマスカスのカファル・ソウサア地区で、周辺にはイラン人学校とシリア情報機関本部がある。ムグニヤは、アメリカから国際テロリストとして国際手配を受けたことから潜伏し、変装してレバノン-シリア-イラン間を往来していたとされる。2006年にイランのマフムード・アフマディーネジャード大統領と会談したとも伝えられた。

    2023年 編集

    ラフィーク・ハリーリー元首相の暗殺の関与 編集

    2005年2月14日、レバノンでラフィーク・ハリーリー元首相などを乗せた車列がベイルート市内を走行中に道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発し、同氏を含む22人が殺害された。ハリーリーは1992年 - 1998年、2000年 - 2004年にレバノン首相を務めた。

    2009年、ハリーリーの暗殺事件を審理する国連特別法廷が、ヒズボラが殺害に関与した証拠を発見したと報道された[40]

    2011年6月30日、ハリリ殺害事件捜査のため設置されたレバノン特別法廷は、ヒズボラ幹部4人に逮捕状を出した[41]。同年7月3日、ヒズボラ最高指導者のハサン・ナスルッラーフは起訴事実を否認し、同法廷をヒズボラに対する陰謀であると糾弾し、逮捕状が出された幹部は絶対に逮捕させないと言明した[42]

    2020年8月18日、国連特別法廷は、被告人不在のまま、4人の内1人に殺人やテロ行為などの罪で有罪判決を言い渡した。残り3人は証拠不十分で無罪とし、ヒズボラの組織的関与についても「ハリーリーを排除する動機はあったかもしれないが殺害に関与した証拠はない」とした[43]

    シリア内戦への関与 編集

    ヒズボラは長期にわたってアサド家率いるシリアの政権与党バアス党の同盟勢力であった。ヒズボラはシリア内戦で同国政府による反体制派の弾圧に協力してきたとされている[44]

    2012年8月、国連はヒズボラが同内戦に関与したとして制裁を加えた。最高指導者のナスルッラーフは、ヒズボラがシリア政府の側について戦った事実を否定し、同年10月12日の演説で「当初からシリア反体制派はマスメディアに向けてヒズボラが3000人の戦闘員をシリアに派遣したと主張してきたがヒズボラは否定した」と語った[45]。しかしレバノン紙「デイリー・スター」によるとナスルッラーフは同じ演説の中で、「レバノン国籍のシーア派住民居住地である(シリア国内の)23の戦略的に重要な村の支配をシリア政府が維持する」ことにヒズボラ戦闘員が協力したと語った[46]。ナスルッラーフはヒズボラ戦闘員がシリアで「聖戦の義務」を果たして死亡したとも語った[46]

    脚注 編集

    1. ^ a b ヒズボラ - 国際テロリズム要覧”. 公安調査庁. 2014年11月4日閲覧。
    2. ^ Norman, Lawrence and Gordon Fairclough. "Pressure Mounts for EU to Put Hezbollah on Terror List." Wall Street Journal. 7 September 2012. 3 November 2012.
    3. ^ Kreiger, Hilary Leila and Benjamin Weinthal. "US official urges EU to name Hezbollah 'terrorists.' Jerusalem Post. 26 October 2012. 3 November 2012.
    4. ^ "Dutch FM urges EU to place Hezbollah on terror group list." JTA. 6 September 2012. 3 November 2012.
    5. ^ Muriel Asseraf, Prospects for Adding Hezbollah to the EU Terrorist List, September 2007
    6. ^ Spangler, Timothy (March 25, 2011). "Bahrain complains over Hezbollah comments on protests". Jerusalem Post. Retrieved November 22, 2011.
    7. ^ "Bahrain arrests bombing suspects and blames Hezbollah". Reuters. November 6, 2012.
    8. ^ EGYPT: Cairo calls Hezbollah terrorist organization. LA Times, April 13, 2009
    9. ^ Goldirova, Renata (September 17, 2008). "MEPs call on EU states to list Hezbollah as terrorist group". EUobserver. Retrieved August 6, 2009.
    10. ^ "Hezbollah, the Party of Terror. Why should be included in the EU terrorist list", Friends of Israel Initiative, October 5, 2012
    11. ^ 「EU、ヒズボラ軍事部門をテロ組織指定 シリア包囲網強める 」日本経済新聞』2013/7/22
    12. ^ "Who are Hezbollah". BBC News. May 21, 2008. Retrieved August 15, 2008.
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    22. ^ 「ヒズボラが建設 トンネル破壊へ イスラエル、作戦開始」朝日新聞』2018年12月5日(国際面)2019年4月19日閲覧。
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    24. ^ PM Netanyahu addresses UN General Assembly” (英語). Israel Ministry of Foreign Affairs (2018年9月27日). 2020年8月18日閲覧。
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    関連項目 編集

    外部リンク 編集