ビアリッツの密約(ビアリッツのみつやく、英語:Secret treaty of Biarritz)は、1865年10月にビアリッツにおいて、プロイセン宰相ビスマルクフランス皇帝ナポレオン3世との間に結ばれた秘密条約である。この条約によってビスマルクはドイツ統一後にライン川左岸の割譲を、引き換えにナポレオン3世は普墺戦争への不介入を約した。

締結 編集

1848年フランクフルト国民議会では、プロイセンが支持する小ドイツ主義大ドイツ主義を圧倒した。しかし未だ南部にはバイエルン、また最大の敵であるオーストリアなど、ドイツ統一の障害となる国が多くあった。ビスマルクは最終的にはこれらの国と矛を交えることになると判断、道路設備や新兵器の開発を行い、戦争準備に入った。また一方で、外部の障害、フランスを外交によって抑えることを考え、ナポレオン3世の休養地であったフランス南西部ビアリッツにて両者は会談し、条約を結んだ。ビスマルクは軍事的要地であるライン川左岸のフランスへの割譲を提案し(仄めかしただけともいわれる)、フランスに統一戦争への中立を約させた。

戦争とその後 編集

1866年、プロイセンはオーストリアに宣戦布告、想像をはるかに超える速さで大勝した。密約を口約束以上に考えていなかったナポレオン3世は慌てて介入を企てるが、早々に両国が和議を結んだため失敗した。ナポレオン3世はなおも、条約を理由にライン川左岸を要求するも、元々割譲する気がなかったビスマルクによって一蹴された。結局ライン川流域はプロイセンの統治下に置かれた。この一件はフランス国民の反ドイツ感情を煽り、後の普仏戦争の一因となった。