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ビニ本(ビニぼん)とは、書店で陳列・販売する際にビニール(正確にはポリエチレン製)の袋で包装し、店頭での立ち読み防止のため内容が見られないようにしてある成人向け雑誌(いわゆるエロ本)。1970年代からその数が増加し、一般の書店やアダルト系に特化した専門書店で売られ、1980年代からはコンビニエンスストアアダルトショップにも販路を拡大した。現在では「ビニ本」はほぼ死語となっている。また、インターネットの普及により紙媒体の雑誌は種類、発行部数ともに少なくなっている。流通に乗せない裏本とは区別して扱うことが多い。

歴史編集

ビニ本のルーツは、1975年頃に日本の古書店や特価図書店で発売されていたグラフ誌にある。発祥の地は神田神保町芳賀書店とされる[1][2]

当初は墨でのベタ塗りによる消しであったが、1979年に爆発的に流行すると[1]、薄い下着から透けて女性器・陰部がうっすらと見える写真が掲載されるようになり、一般新聞TVでも大きく取り上げられた。当時のビニ本はA4版52ページが主流で、裸体の女性が単独で大開脚などのポーズを取るスタイルのものが多かった。モデル女性が着用した下着は当初、陰部がやや透けて見えるか見えないかの程度であったが、次第に下着の透明性が増していき、あるいは下着に代えて極薄のレース布を軽く被せて済ませたり、下着を着けずにパンティストッキングを直穿きさせたりするなど、陰毛と女性器がよく見えるようになっていった[2]。その後、男女の性交をテーマにしたビニ本も出版されたが、これは裏本の版に色の修正印刷が上書きされたものであり、裏本の表バージョンとでもいえるものであった。こちらも当初はかなり広い範囲まで真っ黒の修正印刷がかかっていたが、やがて修正範囲がぎりぎりまで狭められるとともに薄い灰色の修正に変わっていき、男女性器の結合部分が透けてみえるようになっていった。このような内容の成人向け雑誌はビニール袋に入れて販売されるようになり、出版業界・小売業界ともに隆盛した。

小規模な書店や個人経営の書店で店の奥に成人コーナーを設け販売することが多かったが、最盛期にはビニ本を出した出版社は30~40社もあり、一ヶ月に新作が120冊も出た。発行部数は月130万~140万部だったともいわれ(『週刊朝日』1980年9月19日号)[1][2]神保町などの一等地に店を構える学術書等を販売していた書店も、売上増のために成人向け雑誌をビニール袋に入れて販売するようになるなど売上を伸ばし、その金で本社ビルを新築するほどであった[1]。この影響で、それまで隆盛していた自販機本はビニ本に押されるようになり、衰退の道へと入る[2]

1980年代後半にはコンビニエンスストアや大手書店でも販売されるようになったが、1990年代はいわゆる「有害図書」の排除気運が高まり、小売店の自主規制や1990年代後半の児童ポルノ禁止法の成立により出版物への18歳未満のヌードの掲載は不可になった(少女ヌード写真集も参照のこと)。

2000年代に入るとインターネットの普及により紙媒体の成人向け雑誌は数が減り、ビニ本という言葉は使われなくなった。ただしコンビニエンスストアや書店で販売する際にビニール袋に入れて(もしくは剥がしやすい粘着テープで綴じたり、紐で縛って)陳列するスタイルは今日でも残っている。

ビニ本と裏本編集

ビニ本は書籍として流通しているものであり、内容的には性器のはっきりとした露出や性行為の結合部の写真には修正が入っており、性器は下着や半透明素材で覆われているものであるのに対し、裏本は一般流通を通しておらず、性器の露出や性行為が無修正のものが多い。歌舞伎町茶色封筒に入れられ販売されていた事から「茶封筒本」と呼ばれていた時期もあった。ビニ本は合法的に書店に陳列できるのに対し、性器が無修正の裏本はそれができない。書店にて販売の際に立ち読みできないようにビニールに入れて陳列してある成人向け雑誌エロ本)をビニ本と言った。広義には販売形態に関わらず女性のヌードを含む成人向け雑誌(エロ本)全般をビニ本と言うようになった。

関連する文献など編集

南伸坊のエッセイ『さる業界の人々』(1981年)にはブーム時のビニ本業界の様子が描かれている。

脚注編集

関連項目編集