ビューティフル・サンデー

楽曲

ビューティフル・サンデー」("Beautiful Sunday"、旧邦題:すてきなサンデー[2])は、ダニエル・ブーンのシングル及び楽曲。世界的には1972年に、日本では1976年にヒットした。

ビューティフル・サンデー
ダニエル・ブーンシングル
B面 イギリスの旗アメリカ合衆国の旗日本の旗 いとしのジュリー(1972年)
イギリスの旗 スリーピー・ヘッド(1974年)
日本の旗 スリーピー・ヘッド(1976年)
リリース
録音 1972年
ジャンル ポップス
レーベル イギリスの旗 Penny Farthing Records
アメリカ合衆国の旗 Mercury Records
日本の旗 ペニー・ファージング・レコーズ/キャニオン・レコード(1972年)
ディスコメイトレコード(1976年)
作詞・作曲 ダニエル・ブーン、ロッド・マックイーン
プロデュース ラリー・ペイジ
チャート最高順位
ダニエル・ブーン シングル 年表
ビューティフル・サンデー
(1976年)
ハッピー・ジャンプ
(1976年)
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略歴・概要 編集

歌っているのは、イギリス人歌手のダニエル・ブーン。作詞・作曲はダニエル・ブーンとロッド・マックイーン(Rod McQueen)。シングル盤のB面カップリング曲は発売当時は「いとしのジュリー」("Truly Julie"[注釈 1])、1974年の英国再発売時及び1976年の日本再発売時には「スリーピー・ヘッド」("Sleepy Head") であった。

1972年に発売され、同年7月までに全世界での売り上げが100万枚を超えた。アメリカビルボード』誌のBillboard Hot 100では、1972年9月16日に週間ランキング最高位の15位を獲得、1972年度の年間ランキングは第98位を獲得した。全英シングルチャートでの最高位は21位で、その後もロングヒットを続けた。1974年にこの曲のプロデューサーであるラリー・ペイジによってカバーされた。

日本でのヒット 編集

日本で当初キャニオン・レコードから発売された日本盤レコードは、全くといっていいほど売れず廃盤となったが[3][4]、1975年11月からテレビ番組『おはよう720』(TBS)の「キャラバンII」のコーナーテーマとして起用される[4]と、視聴者からの問い合わせやレコード化を希望する葉書が殺到した[4]。それに伴い1976年に日本でTBSグループのディスコメイトレコードからシングルが再発売され[3]、日本だけで再ヒットした。

同番組の海外(フランス・ドイツ)ロケの現地ドライバーが同曲が入ったカセットテープを車内でかけ続けたことで、番組スタッフの間で眠気が覚めてやる気になる曲だと評判になり、番組のコーナーテーマ曲に採用される[5]。その後、視聴者からレコードの販売を希望する声が上がり、番組がレーベルを立ち上げて日本盤を発売した[5]。2月末の放送でレコードのプレゼント告知を行ったところ、100枚分の募集に対して5日間で10万通以上の応募があった[3]

1976年3月10日に発売された日本盤はオリコンの総合シングルチャートで15週にわたり1位となり(オリコン洋楽チャートでは1976年3月22日付から21週連続1位、1976年度の年間1位も獲得[6])、約200万枚を売り上げた[7]。オリコンの総合シングルチャートにおける洋楽アーティストの1位は、ニュー・シーカーズの「愛するハーモニー」以来4年ぶりのことであった[4]。また、オリコン調べによる日本における外国人アーティストのシングル盤の記録としては、2016年12月現在破られていない。『オリジナル・コンフィデンス』誌に掲載された有線放送のリクエストランキングでも、1976年5月第4週に1位を記録している[4]

また、田中星児(ビクター盤。作詞:亜美ゆう、オリコン最高4位)とトランザム(作詞:松本隆、オリコン最高9位)の日本語版カバーもトップテンにランクインした[4]。同曲のヒット中に『おはよう720』で田中星児が担当したユーゴスラビアロケが放送される。田中が現地で知り、同年2月に番組で紹介した曲[3]「オー・マリヤーナ」をA面にしたレコードが企画され、3月中に急遽発売された[5]

この曲が日本でヒットした直前には、テレビ番組『ひらけ!ポンキッキ』(フジテレビ)から誕生した「およげ!たいやきくん」が大ヒットしており、歌謡曲番組以外のテレビ番組からの大ヒットが続けて誕生することになった[3]石田達郎は、これらの曲(「およげ!たいやきくん」「ビューティフル・サンデー」「オー・マリヤーナ」)のヒットによりレコード会社の製作者の意識と大衆が求める歌のギャップが露呈した、さらにこれらの曲はテレビの視聴者からの発売を希望する声が殺到して、慌ててレコード会社が製作するという経緯をたどっており、黒い噂とは無縁の完全に大衆主導型のヒット曲だという趣旨を述べている[3]

田中は1976年末の『第27回NHK紅白歌合戦』で「ビューティフル・サンデー」を歌唱、番組では当時田中がお兄さん役を務めていた『おかあさんといっしょ』から『ゴロンタ劇場』のゴロンタ・トムトム・チャムチャム、そして当時再ブレイク中のトッポ・ジージョが応援役で出演した。さらに翌1977年春開催の「第49回選抜高等学校野球大会」の入場行進曲に採用され、田中が開会式にゲスト出演している。

1981年に日本の中学校の音楽教科書に掲載された[8]。その後1986年からは日本の小学校の音楽教科書に何度か掲載された[9](1981年(中学校・音楽之友社)と2005年(小学校・東京書籍)は亜美ゆうの日本語詞で掲載[10])。

評価 編集

「取材用の車が大自然の中をサッソウと走る場面、これに曲がピッタリ合致してムード満点だったからでしょう」(キャラバンIIスタッフ)[4]
「だれにでも簡単に歌えて、ハッピーな気分にさせる」(ディスコメイトレコード宣伝部)[4]
「オールド・ポップス的なメロディーが、今の加山雄三ブームと共通してるんじゃないか」(ビクター宣伝部)[4]
「“たいやき”も“ビューティフル”も全く同質の現象。つまりテレビがラジオの機能的働きをしたこと。毎日、同じ時間に同じ歌を流したらヒットして当然でしょう。それに歌手の顔が出ていたらあれだけヒットしなかったかも知れない」(福田一郎[4]
ビューティフル・サンデー
田中星児シングル
B面 オー・マリヤーナ
リリース
規格 7インチレコード
SV-2532、SV-8583
レーベル ビクターレコード
作詞・作曲 ダニエル・ブーン
ロッド・マックイーン
亜美ゆう(訳詞)
チャート最高順位
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田中星児のカバー 編集

1976年3月25日に、ビクターレコードから発売された。

SV-2532(1976年3月25日)

A面

  1. オー・マリヤーナ / O Marijana
    • 作詞:S.Sisic、訳詞:田中星児、作曲:V.Paljetak、編曲:あかのたちお

B面

  1. ビューティフル・サンデー / Beautiful Sunday
    • 作詞:ダニエル・ブーン、訳詞:亜美ゆう、作曲:ロード・マックイーン、編曲:あかのたちお

SV-8583(1984年)

A面

  1. ビューティフル・サンデー

B面

  1. オー・マリヤーナ

トランザムのカバー 編集

ビューティフル・サンデー
トランザムシングル
初出アルバム『ビューティフル・サンデー』
B面 ビューティフル・サンデー(インストゥルメンタル)
リリース
規格 7インチレコード
B-52
時間
レーベル ブラックレコード
作詞・作曲 ダニエル・ブーン
ロッド・マックイーン
松本隆(訳詞)
チト河内(編曲)
チャート最高順位
トランザム シングル 年表
刑事バレッタ
(1976年)
ビューティフル・サンデー
(1976年)
カモン・イン
(1976年)
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1976年3月25日に、ブラックレコードから発売された。

TBS-TV系 全国26局ネット「おはよう720キャラバンII」テーマ。

ジャケット写真違いを2種類発売しており数年後にベストカップリングシリーズ盤(他のテイチク所属歌手とは異なりレコードの収録曲はAB面ともに同じ内容)も発売。

A面

  1. ビューティフル・サンデー / Beautiful Sunday
    • 作詞:松本隆・ダニエル・ブーン、作曲:ロード・マックイーン、編曲:チト河内

B面

  1. ビューティフル・サンデー(インストゥルメンタル) / Beautiful Sunday (Inst.)
    • 作曲:ロード・マックイーン、編曲:チト河内

その他カバー 編集

台湾やシンガポール、マレーシアでは「美麗的星期天」「美好的星期天」の題名で複数の歌手がカバーしており、そのほとんどは北京語である。

その他 編集

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ 「全国ディスクベスト10」『週刊朝日』1976年4月9日号、44頁。
  2. ^ www.cdandlp.com
  3. ^ a b c d e f 「ヒット曲生み出すパターンが変わる 幼児や報道番組から」『読売新聞』1976年4月27日付夕刊、9頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j 「ただいま大ヒット 『ビューティフル・サンデー』」『毎日新聞』1976年6月13日付東京朝刊、11頁。
  5. ^ a b c [プレリリース第二弾] 伊丹の盆踊りの定番曲!「ビューティフルサンデー」の田中星児さんにいろいろ聞いてみた!ITAMI ECHO 2019年8月12日
  6. ^ コンピレーション・アルバム『ナンバーワン70s ORICON ヒッツ』の裏ジャケットナンバーワン 70s 80s 90s オリコン・ヒッツも参照。
  7. ^ 『僕たちの洋楽ヒット Vol.8 (1975〜76)』(東芝EMI、TOCP-67014)付属ライナーノーツ、4頁。
  8. ^ 『歌い継がれる名曲案内 音楽教科書掲載作品10000』日本アソシエイツ、2011年、17頁、698頁。ISBN 978-4816922916
  9. ^ 『歌い継がれる名曲案内 音楽教科書掲載作品10000』17頁、654頁、698頁。
  10. ^ 『歌い継がれる名曲案内 音楽教科書掲載作品10000』17頁。
  11. ^ 伊丹の盆踊りビューティフル・サンデー 「踊れるやろ」 朝日新聞デジタル 2015年8月8日08時20分
  12. ^ スマイル(60秒版)(関西電力公式サイト)(2016/9/11閲覧)
  13. ^ スマイル(30秒版)|関西電力 - YouTube(関西電力公式アカウントによるアップロード)(2016/9/11閲覧)
  14. ^ スマイル(60秒版)|関西電力 - YouTube(関西電力公式アカウントによるアップロード)(2016/9/11閲覧)

注釈 編集

  1. ^ 当時の日本盤のジャケットでは「Truly July」と誤植されている。
  2. ^ NHK総合テレビの音楽番組『ステージ101』のレギュラー出演グループで、田中星児が1970年10月から1974年3月まで在籍していたヤング101によって取り上げられ、1972年12月20日に発表されたアルバム『ステージ101/愛の限界』(EXPRESS/東芝音楽工業、ETP-8222)に収録された。当時、番組の音楽監督であった東海林修が訳詞と編曲を担当した。シングルは番組終了後の1976年4月20日に東芝から発売された(ETP-20265)。

外部リンク 編集