ビル・ブリッジーズ

アメリカのバスケットボール選手 (1939 - 2015)
ビル・ブリッジスから転送)

ビル・ブリッジーズ (Bill Bridges, 1939年4月4日 - 2015年9月25日) は、アメリカ合衆国男子プロバスケットボールリーグNBAで活躍した元バスケットボール選手。ニューメキシコ州ホッブス出身。身長198cmと上背はなかったが屈強な体を活かし、強力なリバウンダーとして1960年代のセントルイス・ホークス(現アトランタ・ホークス)を支えた。

ビル・ブリッジーズ
Bill Bridges
故人
ポジション PF
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1939年4月4日
没年月日 (2015-09-25) 2015年9月25日(76歳没)
出身地 ニューメキシコ州ホッブス
身長(現役時) 198cm (6 ft 6 in)
体重(現役時) 103kg (227 lb)
キャリア情報
出身 カンザス大学
ドラフト 1961年 32位
選手経歴
1963-1971
1971-1972
1972-1974
1975
セントルイス/アトランタ・ホークス
フィラデルフィア・76ers
ロサンゼルス・レイカーズ
ゴールデンステート・ウォリアーズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

経歴 編集

カンザス大学では3シーズンのプレイで13.2得点13.9リバウンドの成績を残し、オールアメリカンにも選ばれた。大学卒業後、1961年のNBAドラフトシカゴ・パッカーズから全体32位指名を受けるが、ブリッジーズはNBA入りせず、当時誕生したばかりの(そして短命に終わった)バスケットリーグABLカンザスシティ・スティーアスに入団した。スティーアスではABLのトッププレイヤーとして活躍し、通算2,456得点(平均23.6得点)はコニー・ホーキンズに次ぐABL歴代2位、通算1,496リバウンド(平均13.9リバウンド)は歴代1位の成績だった。

ホークス 編集

1963年のABL消滅に伴い、ブリッジーズは1962-63シーズン途中からセントルイス・ホークスに入団した。ブリッジーズはこのホークスで約10シーズンを過ごすことになる。

ABLではトッププレイヤーだったブリッジーズもNBAでの最初の2シーズンは低調な成績に終わったが、1964-65シーズンには11.5得点10.8リバウンドと初めて成績をダブルダブルに乗せた。以後、ブリッジーズは9シーズン連続でダブルダブルを達成する。1966-67シーズンにはキャリアハイとなる17.4得点15.1リバウンドを記録し、オールスターに初選出。ホークスがセントルイスからアトランタに移転した1969-69シーズンからは2年連続でオールディフェンシブ2ndチームに選ばれるなど、インサイドの守りの要としてホークスにとっては欠かせない存在として活躍した。

ブリッジーズはホークスでのキャリア前半はボブ・ペティットクリフ・ヘイガンレニー・ウィルケンズら、後半にはルー・ハドソンウォルト・ベラミーピート・マラビッチらとプレイし、ゼルモ・ビーティとは同じ年にホークスに入団した同期に当たる。1950年代には優勝も果たしたリーグ屈指の強豪チームだったホークスも、60年代は中堅チームの座に落ち着いてしまい、プレーオフ常連ではあったものの大きな成功を収めるには至らなかった。ブリッジーズは1971-72シーズン途中に、ジム・ワシントンとの交換でフィラデルフィア・76ersにトレードされることになった。

ホークス以後 編集

ホークスを放出されてからは移籍を繰り返すようになり、トレードされて翌1972-73シーズン途中に今度はロサンゼルス・レイカーズにトレードされた。チャンピオンチームであり、リーグ随一の強豪チームであるレイカーズではウィルト・チェンバレンハッピー・ハーストンらの控えとしてプレイするようになり、成績は後退し始めた。このシーズンもレイカーズはNBAファイナルに進出するも、ニューヨーク・ニックスの前に敗れている。

1974-75シーズン途中にゴールデンステート・ウォリアーズに移籍。35歳となっていたブリッジーズはウォリアーズで最後のシーズンを過ごしたが、ウォリアーズはこの年プレーオフを勝ち抜き、ファイナルでワシントン・ブレッツを破り優勝を果たした。ブリッジーズはラストシーズンに念願のチャンピオンリングを手に入れ、現役から引退した。

NBA通算成績は13シーズン926試合の出場で、11,012得点11,054リバウンド、平均11.9得点11.9リバウンドだった。

2015年、カリフォルニア州ロサンゼルスでがんとの闘病の末、死去(満76歳)[1]

主な業績
  • オールスター出場:1967年, 1968年, 1970年
  • オールディフェンシブ2ndチーム:1969年, 1970年

個人成績 編集

* リーグ1位
太字 キャリアハイ
NBAチャンピオン

レギュラーシーズン 編集

Season Team GP MPG FG% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1962–63 STL
ATL
27 13.9 .413 .627 5.3 .9 6.1
1963–64 80 24.4 .397 .652 8.5 2.3 8.5
1964–65 79 29.9 .386 .676 10.8 2.4 11.5
1965–66 78 34.3 .407 .706 12.2 2.7 13.0
1966–67 79 39.6 .455 .702 15.1 2.8 17.4
1967–68 82 39.0 .462 .717 13.4 3.1 15.6
1968–69 80 36.6 .453 .677 14.2 3.7 11.8
1969–70 82 39.9 .475 .734 14.4 4.2 14.8
1970–71 82 38.3 .458 .639 15.0 2.9 11.9
1971–72 14 39.0 .381 .705 13.6 2.9 9.5
PHI 64 34.5 .509 .702 13.5 2.5 13.2
1972–73 10 37.6 .376 .708 12.2 2.3 14.0
LAL 72 34.6 .479 .700 10.9 2.7 9.8
1973–74 65 27.9 .421 .707 7.7 2.3 .9 .5 8.4
1974–75 17 18.1 .351 .533 5.5 1.6 .4 .3 3.3
1974–75 GSW 15 7.2 .417 .250 2.7 .3 .3 .0 2.1
Career 926 33.3 .442 .693 11.9 2.8 .7 .4 11.9
All-Star 3 17.7 .813 .182 4.7 2.0 9.3

プレーオフ 編集

Year Team GP MPG FG% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1963 STL
ATL
11 18.5 .427 .741 7.8 .8 9.3
1964 12 20.0 .313 .632 7.0 2.0 5.3
1965 4 36.3 .356 .667 16.8 2.3 13.0
1966 10 42.1 .506 .721 14.9 2.8 20.3
1967 9 41.0 .375 .672 18.8 2.4 15.7
1968 6 36.0 .507 .720 12.8 2.3 15.7
1969 11 40.2 .442 .708 16.2 3.4 15.6
1970 9 42.3 .400 .593 17.1 3.2 11.6
1971 5 45.8 .397 .333 20.8* 1.0 9.8
1973 LAL 17 34.2 .419 .776 9.3 1.7 8.9
1974 5 28.8 .293 .462 6.0 1.2 1.4 .0 6.0
1975 GSW 14 10.6 .435 .286 3.5 .5 .6 .3 1.6
Career 113 31.2 .419 .673 11.5 1.9 .8 .2 10.5

関連項目 編集

脚注 編集

外部リンク 編集