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ピエール・メスメル(Pierre Messmer, 1916年3月20日 - 2007年8月29日)は、フランスの政治家。ドゴール派に属し、ジョルジュ・ポンピドゥ大統領の下で、1972年から1974年まで首相を務めた。セーヌ県(現ヴァル=ド=マルヌ県ヴァンセンヌ出身。

ピエール・メスメル
Pierre Messmer
Pierre Messmer01.JPG

任期 1972年7月6日1974年5月27日
元首 ジョルジュ・ポンピドゥー大統領

出生 1916年3月20日
フランスの旗 フランス共和国、セーヌ県(現ヴァル=ド=マルヌ県ヴァンセンヌ
死去 (2007-08-29) 2007年8月29日(91歳没)
政党 共和国民主連合(UDR)

経歴編集

1871年に自らの帰属をフランスに選んだアルザスの家系に生まれた。フランス海外領学校(ENFOM)、フランス国立東洋言語文化研究所を経て、パリ大学を卒業。

植民地で公務員上級職として勤務していたが、祖国がナチス・ドイツに降伏すると1940年7月、シャルル・ド・ゴールに呼応し自由フランスに参加する。北アフリカ戦線ビル・ハケイムの戦いに従軍している。戦後、植民地行政に戻り、第一次インドシナ戦争では身柄を拘束されたりした。1950年代にはアフリカで勤務した。1956年帰国し、海外領土相ガストン・ドフェールの下で勤務した。

1959年、大統領となったド・ゴールの下で陸軍大臣に就任する。同時にドゴール派に参加し、1968年モゼル県から立候補して国民議会議員となった。メスメルはゴーリストの中でも右派に所属し、ジャック・シャバンデルマス首相の提唱した新社会計画を批判した。

1971年海外領土相。同年サールブール市長となった(1989年まで)。翌1972年ポンピドゥー大統領とシャバンデルマス首相の対立の結果、シャバンデルマスが辞任し、後継首相に就任する。ゴーリスト正統派のメスメルは厳粛かつ控えめな秩序を重んじる人間であり、ポンピドゥー大統領の忠実な「中尉」(代理人の意)として振舞った。ポンピドゥー大統領が病気がちであったため、大統領権限も代行することがあった。1974年ポンピドゥーが死去すると、周囲が後任の大統領選挙への立候補を勧める中、これを峻拒し首相も辞した。2007年に91歳で死去

作家のモーリス・ドリュオンが入閣し、文化大臣を務めている。

外部リンク編集