ピオネール (пионе́р) は、ソ連共産圏少年団のこと。原義は「斥候」「偵察兵[矛盾]」。

レーニンと“何時でも準備よし!”が彫られたメンバーのピン

概要編集

ロバート・ベーデン=パウエル卿による創成期のボーイスカウト運動が旧ソ連に伝わった後、国策・党策に合わせてその方針、形態が変化したもの。ピオネールとは「開拓者」の意味(英単語ではパイオニアが該当)[矛盾]。上位組織としてはピオネール修了者より更に厳正選抜され入団が認められていたコムソモール(青年団)、下位組織として対象年齢に達した全児童が無条件に強制入団させられたオクチャブリャータ(露:октябрята 直訳すると十月の子。十月革命にちなむ)がある。 ピオネールは、基本的にコムソモールの指導下に置かれていた。

およそ10歳から15歳を対象とし、入団式にはピオネール宮殿においてレーニン像の前で宣誓文を読む儀礼があった。団の編成は学校単位になっている。

スローガンはボーイスカウト(Be prepared、備えよ常に)を真似てВсегда готов!フシグダー・ガトーフ。“(何時でも)全ての準備よし!”)である。偶然だがアメリカ沿岸警備隊の「常に備えあり」と同じ。

ピオネールのシンボルマークは、レーニンの横顔とピオネールのスローガンが描かれた赤い星と焚火の炎を組み合わせたものの他、そのマークの入った旗を下げたホルンと赤い星のあしらわれた焚き火のマークも存在する。ホルンを吹く少年少女もシンボリックに取り扱われ、ソ連国内にあったピオネール宮殿前にはその銅像が建てられていた。

建前上、参加は自由意志とされていたが、ソ連の場合は後述の通り段階を踏んだ上で入団希望者を少しずつ受け入れ、最終的に所属できるのは全児童の二割程であった。3年生になると入団が認められるが、最初に入団できるのは「優秀な」子どもたちのみとされる。数週間後に「次に『行いの良い』」子どもたちの入団が認められ、「出来が悪い」とされた子どもたちでも入団選抜の対象とされるのは4年生以降とされていた。自由意志による入団を原則としながらも、共産党の意を汲んだ学校教員による優等生への勧誘に対し、当該児童に入団意思が無い場合であっても(児童の家族共々)疑念の目が向けられる事となった為、結局は児童自身が忖度して入団する流れが一般的であった(1980年時点で約2000万人[1])。

ピオネールは、プロレタリアート出身で、健康、学力優秀、品行方正な青少年の中から選抜される、言わば共産主義社会における将来の幹部候補としてのエリート的な存在であった。性別による区分はない。団員のシンボルは赤いネッカチーフ

ウクライナ共和国においては男女二人組になり銃を持ち「大祖国戦争独ソ戦無名兵士の碑」の衛兵としての任務を果たした。

旧ソ連の教員養成制度では、教育実習は1年間となっており、うち9ヶ月は学校における実習、3ヶ月はピオネールにおける実習に充てられた。
また、夏季休暇期間にはラーゲリと呼ばれるキャンプがあり、やはりキャンプファイヤー(露:Костёр、カスチョール)が恒例であった。

また、ソ連の衛星国であったいわゆる「東側」の共産主義国などでも同様の団体が組織された。東欧諸国では、ボーイスカウトやガールスカウト組織も伝統を有していたため、社会主義体制移行後にピオネールが設立された際、特にカトリック教会が影響力をもつポーランドなどでは、キリスト教会などのスカウト組織もピオネールの枠組みのなかで存続した事例もあった[2]。1989年の民主化の後、旧東欧諸国ではピオネールの名称は消滅し、ボーイスカウトやガールスカウトに改組されるなどした[2]

関連書籍編集

上記はすべてピオネールの登場する書籍である(旧ソ連の児童文学が多い)。

そのほか、ピオネールを含む少年団の研究として、以下が挙げられる。

関連映像作品編集

脚注編集

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  1. ^ 増山均、松井康浩「ピオネール」『ロシアを知る事典』新版、平凡社、2004年。
  2. ^ a b 白木太一「ピオネール」『東欧を知る事典』新訂増補版、平凡社、2001年。

関連項目編集