ピストル・パッキン・ママ

ピストル・パッキン・ママ」(Pistol Packin' Mama) は、アル・デクスター英語版が「ボイル・ゼム・キャベッジ・ダウン (Boil Them Cabbage Down)」の旋律をもとに歌詞を載せた1943年の曲[1]。この曲は、後のホット・カントリー・ソングス英語版・チャートの前身であるジューク・ボックス・フォーク・レコード (Juke Box Folk Records) のチャートで最初のナンバー・ワンとなった曲であった。

1944年、搭乗するB-17 フライングフォートレスに「ピストル・パッキン・ママ」と名付けた米空軍女性パイロット部隊英語版 (WASP) のパイロットたち。

ビング・クロスビーアンドリューズ・シスターズ[2]1943年9月27日デッカ・レコードのためにこの曲を録音し[3]、この盤は、ジューク・ボックス・フォーク・レコード・チャートで最初のナンバー・ワンとなり、これに1942年3月18日に録音されたアル・デクスターと彼のトゥルーパーズ (Al Dexter and His Troopers) のオリジナル盤[4]オーケー・レコード (Okeh 6708) が続いた[1]。ビング・クロスビーが録音した「ピストル・パッキン・ママ」はハーレム・ヒット・パレード( Harlem Hit Parade:Top R&B/Hip-Hop Singlesの前身)で最高3位となった[5]

アル・デクスター盤のB面に収録されていた「Rosalita」は、同年の遅い時期に同様に同じチャートの首位に立った。クロスビー盤と同じく、アル・デクスター盤もハーレム・ヒット・パレードに入り、最高5位 まで上昇した[6]

パティ・アンドリューズ (Patty Andrews) は後年の回想で、クロスビーがアドリブで「lay that thing down before it goes off and hurts somebody」(そいつを下ろしな、ぶっ放して誰かをケガさせないうちに)と歌ったのが可笑しくて、姉妹ともども吹き出しそうになったを堪えていた、と述べている[2]

その他の録音 編集

ジョー・スタッフォードをフィーチャーしたザ・パイド・パイパーズ英語版は、ポール・ウェストン英語版と彼の楽団とともに、キャピトル・レコード 140 として、この曲を1943年9月27日に録音した。

ルイ・ジョーダンは、1943年11月にロサンゼルスオルフェウス劇場英語版で「ヒルビリー調 (hillbilly rendition)」でこの曲を演奏し、笑いを誘った.[7]

ジーン・ヴィンセント1960年のバージョン全英シングルチャートで15位となったが[8]、このバージョンでピアノを弾いていたのはジョージィ・フェイムであった。

フレイミン・グルーヴィーズは、1969年のデビュー・アルバムSupersnazz』にこの曲を収録した。

ストンピン・トム・コナーズ英語版 は、1971年のアルバムでこの曲をタイトル曲として収録したd。

沖縄の歌手登川誠仁は、戦後に米軍基地で働いている間にこの曲を耳から聞き覚え、後に「ペストパーキンママ」と題して歌うことがあった。照屋林助とともに演奏したバージョンが、コンピレーション・アルバムIt's only セイ小 ベスト・オブ・登川誠仁 1975~2004』に収録されている。

その他の用例 編集

アーヴィング・バーリンが、ミュージカルアニーよ銃をとれ』のために書いた楽曲「ユー・キャント・ゲット・ア・マン・ウィズ・ア・ガン (You Can't Get a Man with a Gun)』には「A man's love is mighty, he'll even buy a nightie, for a gal who he thinks is fun. But they don't buy pajamas for pistol packin' mamas.」という一節がある。

この曲のコーラスの部分は、1970年代イギリスラウントリー・フルーツ・パスティルズ英語版テレビ・コマーシャルで使用され、決め台詞の行が韻を踏んだダジャレになって「Pastille Pickin' Mama, pass those pastilles round」と歌われていた[9]

スパイク・ミリガンが、自身の第二次世界大戦中や戦後直後の体験を踏まえて執筆した1986年の回顧録『Goodbye Soldier』では、この曲が何度も言及されている。そこではムッソリーニジャズ嫌いだったという話が語られ、彼が打倒された後、イタリア人たちはこぞってジャスにのめり込み、この曲も当時大人気を博したため、ミリガンたちのグループもしばしばこの曲を歌うリクエストとされたという。また彼によれば、この曲はイタリア人のジャズ・バンドが演奏する代表的な楽曲になっていたといい、中には、この曲しか演奏しないバンドすらあったという。

ブライアン・アダムスがボーカルとしてクレジットされているアルバム『A.P.C. Presents: The Unreleasable Tapes』にも、この曲が収録されている[10]

ビング・クロスビーとアンドリューズ・シスターズのバージョンは、ビデオゲームL.A.ノワール』や『Fallout 4』でゲーム内のラジオ局から流れ、テレビ・シリーズ『エージェント・カーター』のエピソード「The Atomic Job」でもこの曲が流される。

テレビのバラエティ番組『Hee Haw』の第151回では、バック・オーウェンスが率いるヒー・ホー・ギャング (Hee Haw Gang) が、藁の山の前でこの曲を歌う。

1964年、テレビ番組『McHale's Navy』の「The Rage of Taratupa」と題された回では、俳優ジェシー・ピアソン英語版が演じるハーレー・ハットフィールド (Harley Hatfield) という登場人物がこの曲を何度も歌う。

爆撃機の愛称 編集

B-17 フライングフォートレスの1機は、「ピストル・パッキン・ママ」と愛称が付けられていたが、1944年7月20日ライプツィヒ空襲の任務の際に失われた[11]

脚注 編集

  1. ^ a b Abrams, Steven and Settlemier, Tyrone. "The Online Discographical Project – Okeh (CBS) 6500 - 6747 (1941 - 45)". Retrieved February 21, 2011
  2. ^ a b Gilliland, John (1994). Pop Chronicles the 40s: The Lively Story of Pop Music in the 40s (audiobook). ISBN 978-1-55935-147-8. OCLC 31611854 Tape 1, side A.
  3. ^ A Bing Crosby Discography”. BING magazine. International Club Crosby. 2017年6月21日閲覧。
  4. ^ Whitburn, Joel (2004). The Billboard Book Of Top 40 Country Hits: 1944-2006, Second edition. Record Research. p. 535 
  5. ^ Whitburn, Joel (2004). Top R&B/Hip-Hop Singles: 1942-2004. Record Research. p. 139 
  6. ^ Whitburn, Joel (2004). Top R&B/Hip-Hop Singles: 1942-2004. Record Research. p. 157 
  7. ^ Billboard Nov 27, 1943. page 23
  8. ^ British Hit Singles & Albums (18 ed.). London: Guinness World Records Ltd. (2005). p. 534. ISBN 1-904994-00-8 
  9. ^ "Rowntree’s Fruit Pastilles (3): 1972" at eadington.org.uk
  10. ^ emusic.com
  11. ^ 42-31037B-17 FLYING FORTRESS”. American Air Museum in Britain / IWM. 2020年4月23日閲覧。

外部リンク 編集