ピップ・パイルPip Pyle1950年4月4日 - 2006年8月28日[1]は、後にフランスに居住した、イギリス・ハートフォードシャー州のソーブリッジワース出身のドラマー。プログレッシブ・ロックカンタベリー・ロックにカテゴライズされるバンド、ゴングハットフィールド・アンド・ザ・ノースナショナル・ヘルスにおける活動で最もよく知られている[2]

ピップ・パイル
Pip Pyle
出生名 Phillip Pyle
生誕 1950年4月4日
出身地 イングランドの旗 イングランド
ハートフォードシャー ソーブリッジワース
死没 (2006-08-28) 2006年8月28日(56歳没)
ジャンル カンタベリー・ロック
プログレッシブ・ロック
職業 ミュージシャン
担当楽器 ドラム
共同作業者 デリヴァリー
ゴング
ハットフィールド・アンド・ザ・ノース
ナショナル・ヘルス
ソフト・ヒープ
ショート・ウェーヴ
イン・カフーツ
ピップ・パイルズ・エキップ・アウト

略歴 編集

パイルは、幼稚園からの友人であるフィル・ミラーと、その兄弟であるスティーヴと共にブルーノズ・ブルース・バンド(Bruno's Blues Band)結成に加わった。そしてバンドは急速に進化し、デリヴァリーというバンドに発展した。しかし、パイルはシンガーのキャロル・グライムスと仲違いし、1970年にバンドを去った。彼は一時的にブルース・バンドであるチキン・シャックに加入し、スティーヴ・ヒレッジのバンド、カーンで演奏した[3]

1971年、ドラマーのロバート・ワイアットがパイルに、デヴィッド・アレンのソロ・アルバム『バナナ・ムーン』の1曲で自分の代わりに演奏するように依頼した。これをきっかけに、パイルはアレンのバンド、ゴングに加入した。パイルは8ヶ月間、バンドにいる間、アルバム『カマンベール・エレクトリック』と『コンチネンタル・サーカス』の両作で演奏した。パイルはローリー・アランと交代したが、1990年代に再度、ゴングに参加している。

1972年、パイルは、ポール・ジョーンズ(マンフレッド・マンのシンガー)やイギリスの歌手、ブリジット・セント・ジョンと仕事した後、1972年にハットフィールド・アンド・ザ・ノースをミラー兄弟と一緒に結成した。最終的にラインナップは、パイル、フィル・ミラー、リチャード・シンクレア、そしてキーボード奏者のデイヴ・スチュワートとなった。1974年にアルバム『ハットフィールド&ザ・ノース』がリリースされ、翌年にはセカンド・アルバム『ザ・ロッターズ・クラブ』がリリースされた。ドラミングと同様に、パイルはバンドのために歌詞を数多く書いた。

ハットフィールド・アンド・ザ・ノースに続いて、パイルは、ミラー、スチュワートと共にナショナル・ヘルスに加わった。また、ヒュー・ホッパーエルトン・ディーンアラン・ゴーウェンと一緒にソフト・ヒープを含む他のプロジェクトにも参加した。さらに、スチュワートが関わったテレビ・シリーズ「The Young Ones」からのスピンオフであるニールの『カンタベリー・パーティ』(1984年)にも参加した。

1984年に、パイルはソフィア・ドマンシッチと出会い、2人は何年もの間、関係を持っていた。パイルはドマンシッチを含む彼自身のバンド、ピップ・パイルズ・エキップ・アウトを始動した。このバンドはアルバム『エキップ・アウト』『Up!』『インスタンツ』をリリースした。1998年には、ソロ・アルバム『セヴン・イヤー・イッチ』をリリースした。アルバムにはゲストとして、ミラー、シンクレア、スチュワート、ディーン(サクセロ)、ホッパー(ベース)、ジャッコ・ジャクジクバーバラ・ガスキンジョン・グリーヴス(ボーカル)、フランソワ・オヴィドフレッド・ベイカー(ベース)、ポール・ロジャース(ダブル・ベース)、リディア・ドマンシッチ(ピアノ、ソフィアの姉妹)、ディディエ・マレルブ(アルト・サックス)を迎えた。パイルはまた、1982年から2001年にかけてミラーのバンド、イン・カフーツで演奏し、『カッティング・ボース・ウェイズ』『スプリット・セカンズ』『ライヴ 1986-1989』『ライヴ・イン・ジャパン』『リーセント・ディスカバリーズ』『パラレル』『アウト・オブ・ザ・ブルー』の各アルバムに登場している。

彼の最後のプロジェクトは、フランス人ギタリストのパトリス・メイヤー、ベースのフレッド・ベイカーと、キーボードのアレックス・マグワイアと組んだ自身のグループ、ピップ・パイルズ・バッシュ(Bash!)であり、また、ハットフィールド・アンド・ザ・ノースの再結成であった(マグワイアと共演)。ピップ・パイルズ・バッシュはライブ・アルバム『Belle Illusion』(キュニフォーム・レコード)をリリースしたが、合計5本のライブ・ショー(カンタベリーのフェスティバルであるProgman Comethを含む)でしか演奏しなかったため、会場から興味を引くのは困難であった。

2005年に、パイルはフィル・ミラー、リチャード・シンクレアと共にハットフィールド・アンド・ザ・ノースの再結成に参加した。キーボードはアレックス・マグワイアが担当。1月29日、ウィスタブルのホースブリッジ・アーツ・センターで行ったギグでは、パイルがリチャード・シンクレアのバンドといくつかの懐かしいナンバー(「Above And Below」「Share It」「Halfway Between Heaven And Earth」「Didn't Matter Anyway」)を奏で、15年ぶりにメンバー3人が再会した。勢いづくハットフィールド・アンド・ザ・ノースは、2005年3月18日にロンドンのミーン・フィドラーで公式にライブ・デビューを果たし、6月には短いヨーロッパ・ツアーを続けた。2005年から2006年にかけては、日本、メキシコ、アメリカ、ヨーロッパでの日程を含む、より多くのワールド・ツアーが続いた。2006年8月26日、パイルは、オランダのフィーワード(フローニンゲン)で最後のライブを行った。

彼は2006年8月28日にパリで亡くなった[1]

バンド年表 編集

  • 1966年 - 1971年 デリヴァリー (Delivery)
  • 1971年 - 1971年 ゴング (Gong)
  • 1972年 - 1975年 ハットフィールド・アンド・ザ・ノース (Hatfield and the North)
  • 1975年 - 1976年 ウェイトウォッチャーズ (The Weightwatchers) ※with エルトン・ディーンキース・ティペット
  • 1977年 - 1983年 ナショナル・ヘルス (National Health)
  • 1977年 - 1988年 ソフト・ヒープ (Soft Heap)
  • 1980年 - 1981年 ラピッド・アイ・ムーヴメント (Rapid Eye Movement)
  • 1982年 - 2002年 イン・カフーツ (In Cahoots)
  • 1984年 - 1995年 ピップ・パイルズ・エキップ・アウト (Pip Pyle's Equip'Out)
  • 1990年 - 1996年 ゴング (Gong) ※再結成
  • 1991年 - 1996年 ショート・ウェーヴ (Short Wave)
  • 1998年 - 2006年 アブソリュート・ゼロ (Absolute Zero)
  • 2002年 - 2006年 ピップ・パイルズ・バッシュ (Pip Pyle's Bash!)
  • 2005年 - 2006年 ハットフィールド・アンド・ザ・ノース (Hatfield and the North) ※再結成

ディスコグラフィ 編集

ソロ・アルバム 編集

  • 『エキップ・アウト』 - L'Équipe Out (1986年) ※ピップ・パイルズ・エキップ・アウト名義
  • Up! (1991年) ※ピップ・パイルズ・エキップ・アウト名義
  • 『セヴン・イヤー・イッチ』 - 7 Year Itch (1998年)
  • Belle Illusion (2004年) ※ピップ・パイルズ・バッシュ名義
  • 『インスタンツ』 - Instants (2004年) ※ピップ・パイルズ・エキップ・アウト名義

脚注 編集

  1. ^ a b Philip, Phil Howitt (2006年9月20日). “Pip Pyle Obituary”. The Guardian. https://www.theguardian.com/news/2006/sep/20/guardianobituaries.artsobituaries 
  2. ^ Allmusic biography
  3. ^ Biography at Calyx, the Canterbury music website

外部リンク 編集