ファビオ・アウヴェス・フェリックス

ブラジルのサッカー選手

ファビーニョ (Fabinho) こと、ファビオ・アウヴェス・フェリックス(Fábio Alves Félix、1980年1月10日 - )は、ブラジルサンパウロ州サンベルナルド・ド・カンポ出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダーボランチ)。

ファビーニョ
名前
本名 ファビオ・アウヴェス・フェリックス
Fábio Alves Félix
ラテン文字 FABINHO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1980-01-10) 1980年1月10日(44歳)
出身地 サンベルナルド・ド・カンポ
身長 186cm
体重 77kg
選手情報
ポジション MF (DH)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2001 ブラジルの旗 ADサンカエターノ
2001-2004 ブラジルの旗 コリンチャンス
2005 日本の旗 セレッソ大阪
2006 ブラジルの旗 サントスFC
2006-2008 フランスの旗 トゥールーズFC
2008-2009 ブラジルの旗 コリンチャンス
2009-2010 ブラジルの旗 クルゼイロEC
2011 日本の旗 横浜FC
2011-2012 ブラジルの旗 ECバイーア
2013-2014 ブラジルの旗 ADサンカエターノ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

生まれつき両手の指が6本ある。

2005年シーズンはセレッソ大阪に在籍し、攻守両面で活躍して、優勝争いの原動力ともなった。最終節を首位で迎えたがチームは優勝できず、試合後には「勝ち負けはサッカーに付きものだが、コメントしにくいくらい辛いモノがある。」と悔しさをにじませ涙を流した。[1]。現役引退後に「日本では問題が山積みで帰りたかった。同僚は僕が求める事を何も理解しない。1人暮らしで体重が激減し人生で初めて膝を怪我した。でも最高の通訳ガンジー(白沢敬典)とクラブが助けてくれた。あの最終節は泣いた。セレッソには強い愛情がある。スタッフとしてタイトルをもたらすかもね」と振り返っている。

前年大きな活躍を見せたにもかかわらず、2006年はタイトル獲得に執着していたセレッソの契約内容が前年と変わらなかった事、一人暮らしに適応できず本人の希望でブラジルに帰国、サントスFCのオファーを受けてサントスでプレーした。

2006-07シーズンからはフランスのトゥールーズFCに移籍、欧州初挑戦ながら優勝争いを繰り広げチームの上位進出に貢献、当時のトゥールーズは強豪クラブとなった。2007-08シーズンも活躍していたが、シーズンの途中で離脱、その後チームは史上初の欧州チャンピオンズリーグ出場権を獲得。

2007-08シーズンの途中で再びブラジルに戻り、全国選手権2部に降格した古巣SCコリンチャンス・パウリスタに所属していたが、2009年5月にクルゼイロECに移籍した。

2011年より横浜FCに所属。6年ぶりのJリーグでのプレーとなったが、6月23日に家族の都合で帰国し[2]、そのまま再来日せず7月20日ECバイーアへ移籍した[3]。その後、2013年にADサンカエターノに移籍。

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1999 サンカエターノ
2000
2001
2001 コリンチャンス 21 1
2002 22 1
2003 37 4
2004 37 6
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2005 C大阪 5 J1 23 7 6 0 - 29 7
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2006 サントス 5 0
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
2006-07 トゥールーズ 6 リーグ・アン 30 4
2007-08 17 10 1
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2008 コリンチャンス 32 セリエB
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011 横浜FC 8 J2 4 1 - - 4 1
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2011 バイーア
通算 ブラジル
日本 J1 23 7 6 0 - 29 7
日本 J2 4 1 - - 4 1
フランス リーグ・アン 40 5
総通算 67 13

脚注 編集

  1. ^ MATCHES 試合”. 2022年12月25日閲覧。
  2. ^ MFファビーニョ選手一時帰国について 横浜FCオフィシャルサイト 2011年6月23日
  3. ^ MFファビーニョ選手ECバイーア(ブラジル)へ完全移籍のお知らせ 横浜FCオフィシャルサイト 2011年7月20日

関連項目 編集

外部リンク 編集