ファブリツィオ・ジョヴァナルディ

ファブリツィオ・ジョヴァナルディ(2009年)

ファブリツィオ・ジョヴァナルディFabrizio Giovanardi1966年12月14日 – )は、イタリアモデナ出身のカーレースドライバーである。

現在イギリスツーリングカー選手権(BTCC)に参戦している。

経歴編集

1983年にカートを始め、1986年にイタリアカート選手権と世界カート選手権でチャンピオンとなった。

カートでは強さを見せたもののフォーミュラカーでの結果には恵まれず、1986年から参戦したイタリアF3では翌年のランキング3位が最高で、国際F3000には1989年から3年間参戦したがチームに恵まれなかったこともあっていずれもランキング10位と11位で終わった。

国際F3000と並行して1991年からプジョーを駆り参戦していたイタリアツーリングカー選手権ではランキング2位となり、翌年以降はツーリングカー一本に絞ることとなる。

この選択は的中し、1992年には早くもチャンピオンに輝き、1993年2位、1994年3位と上々の成績を残した。1995年からはアルファロメオを駆るようになり、しばしば他国の選手権にも並行して参戦した。

1998年に6年ぶりにイタリア選手権チャンピオンに返り咲くと翌年も連覇、2000年に後のヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)の前身であるヨーロッパスーパーツーリングカップに参戦、その年のタイトルを獲得すると、FIA主催となった2001年も連覇し、同選手権が改組され2002年に開催されたヨーロッパツーリングカー選手権の初年度をも制し、都合5連覇を達成した。

ここまでは順風だったが、2003年に長年在籍していたアルファロメオを離れてBMWに移籍した結果後輪駆動の車に苦戦することとなり、翌2004年にはアルファロメオに復帰した。

アルファロメオに復帰した2004年は同選手権で最終的なランキングこそ5位と悪くないものであったが、この年はBMW勢が躍進し、ポイントでも上位の4人、アンディ・プリオール(BMW)、ディルク・ミューラー(BMW)、ガブリエル・タルキーニ(アルファロメオ)、ヨルグ・ミューラー(BMW)に対して大きく遅れを取ったばかりか、アルファロメオの新人アウグスト・ファルフスにすら終盤追い上げられあわや逆転されるほど接近された状態となり、前年の移籍の失敗が響く形となった。

2005年ETCCは世界ツーリングカー選手権(WTCC)となり、この年は4勝し優勝回数でこそドライバー中最多だったが、ポイントではアンディ・プリオール、ディルク・ミューラーに及ばず、ランキング3位で終えた。

この間ボクスホールと契約し、翌年はイギリスツーリングカー選手権(BTCC)に移籍した。同選手権における初優勝を挙げるまでやや苦戦を強いられたがノックヒルサーキットで行われた第8ラウンド、シーズン第23戦で初優勝を挙げると、続く第9ラウンドブランズ・ハッチでも優勝し、ランキング5位を得た。なおノックヒルでの優勝はボクスホールにとってBTCCにおける100勝目であり、1999年にボクスホールの1勝目を挙げたジョン・クレランドに祝福されるという一幕があった。

世界ツーリングカー選手権にもインディペンデントクラスのJASスポーツから数戦スポット参戦し、マカオで開催されたギア・レースではホンダ・アコードを駆り、入賞すらほとんどない同車で予選で8位につけ、第1レースは5位、4番手スタートの第2レースでも6位でフィニッシュするという力走を見せた。

2007年も引き続きBTCCに参戦することが発表されている。この年はジェイソン・プラトを3ポイント差で逆転しBTCC初チャンピオンに輝いた。翌2008年も連覇を達成した。2009年は接戦の末にランキング3位となった。その後2014年までBTCCで戦った。

2018年は、世界ツーリングカー選手権とTCRインターナショナルシリーズが統合した「FIAワールド・ツーリングカー・カップ(WTCR)」にアルファロメオ・ジュリエッタで参戦。シーズン序盤はチームメイトジャンニ・モルビデリ共々低迷を強いられるが、第6戦スロバキアのレース1で5位、レース3で7位に入賞しここから勢いに乗るかと思われたが、その後の中国2連戦でも低迷し、第9戦鈴鹿を前にして所属チーム離脱を発表した。

外部リンク編集

先代:
ロベルト・ラヴァーリア(ETC, 1988年)
ヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)チャンピオン
2002年
次代:
ガブリエル・タルキーニ