フアン・マタ

スペインのサッカー選手
ファン・マタから転送)

フアン・マタ(Juan Mata)ことフアン・マヌエル・マタ・ガルシア(Juan Manuel Mata García、1988年4月28日 - )は、スペインカスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県ブルゴス出身のプロサッカー選手。元スペイン代表。ポジションはミッドフィールダー

フアン・マタ
名前
本名 フアン・マヌエル・マタ・ガルシア
Juan Manuel Mata García
愛称 ファニート
カタカナ フアン マタ
ラテン文字 Juan Mata
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1988-04-28) 1988年4月28日(35歳)
出身地 ブルゴス
身長 170cm
体重 63kg
選手情報
ポジション MF / FW
利き足 左足
ユース
1998-2003 スペインの旗 レアル・オビエド
2003-2006 スペインの旗 レアル・マドリード
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2007 スペインの旗 レアル・マドリードB 39 (10)
2007-2011 スペインの旗 バレンシア 129 (33)
2011-2014 イングランドの旗 チェルシー 82 (18)
2014-2022 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド 196 (34)
2022-2023 トルコの旗 ガラタサライ 16 (3)
2023 日本の旗 ヴィッセル神戸 1 (0)
代表歴2
2004  スペイン U-16 3 (2)
2004  スペイン U-17 2 (1)
2006-2007  スペイン U-19 13 (12)
2007  スペイン U-20 5 (3)
2007-2011  スペイン U-21 19 (5)
2012  スペイン U-23 4 (0)
2009-2016 スペインの旗 スペイン 41 (10)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年7月2日現在。
2. 2016年11月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラブ経歴 編集

レアル・マドリードCF 編集

父親がブルゴスCFに在籍していた関係でカスティーリャ・イ・レオン州ブルゴスに生まれたが、その後父親がレアル・オビエドに移籍したこともありアストゥリアス州オビエドで育ち、レアル・オビエドの下部組織でサッカーを始めた。3シーズンの間レアル・オビエドの下部組織に在籍し、15歳の時にレアル・マドリードの下部組織に移ると、カデテA、フベニールC、フベニールBと順調に昇格した。フベニールAではリーグ戦で18得点を挙げ、コパ・デ・カンペオネス・フベニールでは3得点を決めて優勝に貢献し、フベニール・カップでも3得点を決めた。2006-07シーズンはレアル・マドリード・カスティージャに昇格し、アルバロ・ネグレドの18得点に次ぐチーム2位の9得点を挙げたが、クラブはセグンダ・ディビシオンB(3部)に降格した。

バレンシアCF 編集

 
バレンシアでプレーするマタ

レアル・マドリードとの契約延長交渉が決裂し、2007年3月に4年契約でバレンシアCFに完全移籍した[1]ビセンテ・ロドリゲスの相次ぐ負傷やロナルド・クーマン監督の解任などが幸いして徐々にポジションを掴んだ。2008年3月20日のコパ・デル・レイ準決勝・FCバルセロナ戦では2得点し[2]、4月16日の決勝・ヘタフェCF戦では先制点を決めて3-1での優勝に貢献した[3]。2007-08シーズンの活躍からバレンシアCFのファンと選手が選ぶ最優秀若手選手賞に選ばれた。レアル・マドリードではトップチームに昇格できなかったが、バレンシアCFに移籍して花開くこととなった。

古巣レアル・マドリードと対戦した2008年のスーペルコパ・デ・エスパーニャでは1stレグで得点を決めて3-2で勝利したが、2ndレグでは2-4で敗れ、2試合合計5-6で敗れて準優勝に終わった。2008-09シーズンの出だしは好調で、RCDマジョルカとの開幕戦で先制点を決めたほか、CAオサスナ戦ではダビド・ビジャからのロングボールをゴールネットに沈めた。ビジャとの連携は試合ごとに改善し、2008年9月25日のマラガCF戦ではビジャが決めた2得点の両方をアシストした。3日後のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦では1得点3アシストと4得点すべてに絡む活躍を見せた[4]。終盤戦のスポルティング・ヒホン戦では決勝点となる3点目を決め、ホームでのセビージャFC戦では2-1の勝利を決めるPKを決めた(本来のキッカーであるビジャが負傷交代していたため)。2008-09シーズンは11得点13アシストという成績を残し、アシストランキングではFCバルセロナシャビ・エルナンデスに次いでリーグ2位を獲得した。

チェルシーFC 編集

2011-12シーズン、2011年8月21日にイングランドチェルシーFCに移籍することが発表された[5]。背番号はバレンシア時代と同じ10番。アンドレ・ビラス・ボアス率いるチェルシーでのデビュー戦となった2011年8月27日のノリッジ・シティFC戦で移籍後初ゴールを記録するなど、プレミアリーグへの適応の早さを見せた[6]チャンピオンズリーグ決勝バイエルン戦では、ドログバのヘディングによる同点ゴールをアシストし優勝に貢献した。またプレミアリーグでは、ダビド・シルバに次ぐ2位となる14アシストを記録した[7]

2012-13シーズン、12得点12アシストの成績を修めた。アシスト数は同年度プレミアリーグトップの成績である[8]年間トータルでは35アシストを刻んだ[9]。ヨーロッパリーグ制覇にも大きな役割を果たした[9]。同年はPFA年間最優秀選手賞候補にもノミネートされた[10]

2013-14シーズン、監督に復帰したジョゼ・モウリーニョ監督の戦術的志向もあって、スターティングメンバーから外れることも多く、2014年W杯に向け移籍を志願するようになった。

マンチェスター・ユナイテッドFC 編集

2014年1月24日、ジョゼ・モウリーニョはマタがマンチェスター・ユナイテッドFCのメディカルチェックを受けることを発表、同日マンチェスター・ユナイテッドがクラブ史上最高額でマタの移籍について合意したと発表した[11]。背番号は8番を着用することになった[12]。1月28日のカーディフ戦でマンチェスター・ユナイテッドFCの選手としてデビューし、アシストを記録し勝利に貢献した[13]

2014-15シーズン、3月にはリヴァプール戦でプレミアリーグのベストゴールにノミネートされるゴールを決めるなど、クラブのプレーヤーオブザマンスに選ばれた[14]

2015-16シーズン、9月には、リーグ戦の3試合で2ゴール2アシストを記録、3連勝に貢献し、クラブのプレーヤーオブザマンスに選ばれた[15]。FAカップ決勝クリスタル・パレス戦では同点ゴールを決め優勝に貢献した[16]

2016-17シーズンよりモウリーニョが監督に就任、シーズン前のコミュニティー・シールドではリンガードに代わり途中出場したが、ロスタイムにムヒタリアンと交代させられるなど、関係性が悪いとささやかれたが[17]、開幕戦でゴールを決めたり[18]、途中出場などから度々ゴールを決めるなど、徐々に先発出場も増え、フットボールリーグカップの優勝に貢献した。3月17日、ヨーロッパリーグ決勝トーナメント・ラウンド16のロストフ戦2ndレグにて決勝ゴールを決め8強入りに貢献したが[19]、怪我のため3月31日に手術を受け全治2か月となった[20]

2017-18シーズン、12月23日に行われたレスター・シティとのゲームでは、前半40分に得点、後半61分には直接FKを決め、この試合で2得点を決めたが、試合はレスターに追いつかれ、引き分けた。

2018-19チャンピオンズリーグのグループステージでのユヴェントス戦では直接FKを叩き込んだ。2019年6月18日、クラブとの契約を2021年まで延長した[21][22]。2019-20シーズンのFAカップ、ノリッジ戦でユナイテッドでの250試合出場を果たした[23]。2020-21シーズン、2020年9月30日、リーグカップ4回戦のブライトン戦ではマンチェスターUでの通算50ゴールを逹成、この試合の最優秀選手に選ばれた[24]。このシーズンのリーグ戦出場機会は僅か9試合であったが、2021年7月、1シーズンの契約延長を決めた[25]

2021-22シーズン、それまで僅かな出場時間しか与えられなかったが、ホーム最終節のブレントフォード戦でようやく先発起用され好プレーを披露した[26]。2022年6月2日、21-22シーズンをもってユナイテッドを退団する旨がユナイテッド公式サイトから発表された[27]。マンチェスター・ユナイテッドでの8シーズン半で285試合51ゴール47アシストを刻んだ[28]

ガラタサライ 編集

2022年9月8日、ガラタサライSKへ延長オプション付きの単年契約で加入することが発表された[29]。ガラタサライでは、公式戦18試合で3得点を挙げ、リーグ優勝も果たしたが、契約に付随していた1シーズンの契約延長OPを行わず退団を選んだ[30]

ヴィッセル神戸 編集

2023年9月3日、ヴィッセル神戸と契約したことが発表された[31]。しかし、監督の吉田孝行は走り続けられる選手を優先的に起用したため、チームはリーグ優勝を果たしたものの自身の出場時間はわずか10分間に留まり、オフに退団した[32]。また、監督と経営陣の強化方針の不一致が浮き彫りとなった[33][34]

代表経歴 編集

 
UEFA EURO 2012トロフィーを掲げるマタ(中央)

2006年のUEFA U-19欧州選手権にはスペイン代表の主力として参加し、 アルベルト・ブエノに次ぐ4得点を挙げて優勝に貢献した[35]。2007年2月1日、まだ18歳10カ月であったがイニャキ・サエス監督によってU-21スペイン代表に追加招集され、U-21イングランド代表との親善試合に出場した。この時のチームメイトにはFWロベルト・ソルダード、MFホセ・マヌエル・フラド、DFセルヒオ・サンチェス、DFミゲル・トーレス、MFエステバン・グラネロアントニオ・アダンなどがいた。

2008年11月14日、ビセンテ・デル・ボスケ監督によってスペインA代表に招集された。この時のチリとの親善試合では出場機会がなかったが、2009年3月28日の2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選トルコ戦で63分にFWダビド・ビジャとの途中交代で初キャップを記録した。2009年6月にはFIFAコンフェデレーションズカップ2009に出場し、グループリーグのイラク戦で先発出場の機会を得た。準決勝のアメリカ戦ではMFアルベルト・リエラに代わって途中出場したが、0-2で敗れて3位に終わった。9月9日の2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選・エストニア戦で初得点を記録した。本大会ではグループリーグのホンジュラス戦でFWフェルナンド・トーレスとの途中交代で出場した20分間しか出場機会がなかったが、世界チャンピオンのトロフィーに名を刻んだ。

2014 FIFAワールドカップに出場するスペイン代表メンバーに選出され[36]、グループリーグのオーストラリア戦でゴールを決めた。2016年、3月27日のルーマニア戦には出場したが、UEFA EURO 2016ではメンバーから外れた。大会終了後は代表に復帰し、11月15日のイングランド戦に出場したが以降は代表から遠ざかっている。

人物 編集

マドリード工科大学で身体運動科学とジャーナリズムを専攻している。趣味は卓球[37]と読書で、元チームメイトのエステバン・グラネロの影響で日本文学に興味を持ち、村上春樹の小説を愛好する[38]

父親のフアン・マヌエル・マタ・ロドリゲスレアル・オビエドブルゴスCFUDサラマンカ等でプレーした元サッカー選手であり、FIFA公式代理人資格も持っている彼は息子の代理人を務めている[39]

慈善活動 編集

慈善活動でも知られている[40]。2017年8月4日、自身の収益の1%を寄付する慈善団体「コモン・ゴール」(en:Common Goal (charity))の共同設立者となり、同年の間だけでも各国の30人以上のサッカー選手が参加した[41]

個人成績 編集

2022/6/30現在
クラブ シーズン リーグ リーグ戦 カップ戦 リーグ杯 国際大会 その他 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
バレンシア 2007–08 プリメーラ 24 5 8 4 - 1 0 0 0 33 9
2008-09 37 11 2 1 - 6 1 2 1 47 14
2009-10 35 9 2 0 - 14 5 0 0 51 14
2010-11 33 8 3 0 - 7 1 0 0 43 9
通算 129 33 15 5 - 28 7 2 1 174 46
チェルシー 2011-12 プレミアリーグ 34 6 7 4 1 0 12 2 0 0 54 12
2012-13 35 12 6 1 5 2 14 4 4 1 64 20
2013-14 13 0 0 0 2 1 2 0 0 0 17 1
通算 82 18 13 5 8 3 28 6 4 1 135 33
マンチェスター・ユナイテッド 2013-14 プレミアリーグ 15 6 - - - 0 0 15 6
2014-15 33 9 2 1 0 0 - 0 0 35 10
2015-16 38 6 4 3 1 0 11 1 0 0 54 10
2016-17 25 6 3 0 3 2 10 2 1 0 42 10
2017-18 28 3 5 0 1 0 6 0 0 0 40 3
2018-19 22 3 3 1 1 1 6 1 0 0 32 6
2019-20 19 0 4 1 3 0 11 2 0 0 37 3
2020-21 9 1 1 0 2 2 6 0 0 0 18 3
2021-22 7 0 1 0 1 0 3 0 0 0 12 0
通算 196 34 23 6 12 5 53 6 1 0 285 51
総通算 407 85 51 16 20 8 109 19 7 2 594 130
クラブ シーズン リーグ リーグ戦 合計
出場 得点 出場 得点
レアル・マドリード・カスティージャ 2006-07 セグンダ 39 10 39 10
総通算 39 10 39 10

代表歴 編集

出場大会 編集

試合数 編集

国際Aマッチ 41試合 10得点(2009年- )


スペイン代表国際Aマッチ
出場得点
2009 7 3
2010 3 0
2011 6 2
2012 4 1
2013 12 3
2014 2 1
2015 4 0
2016 3 0
通算 41 10

ゴール 編集

出典[42]
# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1 2009年9月9日   メリダ   エストニア 3–0 3–0 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
2 2009年10月10日   エレバン   アルメニア 2–1 2–1 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
3 2009年10月14日   ゼニツァ   ボスニア・ヘルツェゴビナ 5–0 5–2 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
4 2011年3月29日   カウナス   リトアニア 1-3 1-3 UEFA EURO 2012予選
5 2011年10月7日   プラハ   チェコ 0-1 0-2 UEFA EURO 2012予選
6 2012年7月1日   キエフ   イタリア 4-0 4-0 UEFA EURO 2012決勝
7 2013年6月11日   ニューヨーク   アイルランド 2-0 2-0 親善試合
8 2013年6月20日   リオデジャネイロ   タヒチ 7-0 10-0 FIFAコンフェデレーションズカップ2013
9 2013年10月15日   アルバセテ   ジョージア 2–0 2–0 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
10 2014年6月23日   クリチバ   オーストラリア 0–3 0–3 2014 FIFAワールドカップ

タイトル 編集

クラブ 編集

バレンシアCF
チェルシーFC
マンチェスター・ユナイテッドFC
ガラタサライ
ヴィッセル神戸

代表 編集

U-19スペイン代表
スペイン代表

個人 編集

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ El Valencia le quita al Real Madrid al prometedor y cotizado Mata” (Spanish). Marca (2007年3月17日). 2010年12月23日閲覧。
  2. ^ Mata seizes final chance for Valencia”. UEFA.com (2008年3月20日). 2010年12月23日閲覧。
  3. ^ Morientes glad as Valencia get relief”. UEFA.com (2008年4月16日). 2010年12月23日閲覧。
  4. ^ Villa goals ensure Valencia victory”. UEFA.com (2008年9月28日). 2010年12月23日閲覧。
  5. ^ MATA DEAL AGREED”. Chelsea FC. 2011年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月26日閲覧。
  6. ^ MATA: LONG-TERM AIMS”. チェルシーFC公式サイト (2011年9月15日). 2011年11月27日閲覧。
  7. ^ Chelsea Statistics 2011/12”. KickOff.co.uk. KickOff.co.uk. 2017年4月10日閲覧。
  8. ^ Barclays Premier League Stats: Assists Leaders - 2012-13 (英語) プレミアリーグ公式サイト 2013.6.15 02:25 (UTC) 閲覧
  9. ^ a b 英国で輝きを放った“スペインの小さな魔法使い” 35アシストを記録した12-13シーズンの記憶”. The World (2022年3月14日). 2022年5月21日閲覧。
  10. ^ PFA Players' Player Of The Year 2013 Nominees Announced (英語) sport.co.uk 2013.6.15 02:31 (UTC) 閲覧
  11. ^ ユナイテッド、マタ加入でクラブ間合意と発表”. Goal (2014年1月25日). 2014年1月25日閲覧。
  12. ^ マンU加入のマタ、背番号は8番に決定「すばらしい番号だ」”. サッカーキング (2014年1月28日). 2020年5月26日閲覧。
  13. ^ Manchester United 2–0 Cardiff”. BBC Sport (2014年1月28日). 2017年4月10日閲覧。
  14. ^ Thompson, Gemma (2015年3月27日). “Juan Mata wins Player of the Month award”. manutd.com. 2015年3月28日閲覧。
  15. ^ Mata wins September Player of the Month award”. manutd.com (2015年10月15日). 2016年7月14日閲覧。
  16. ^ Crystal Palace 1–2 Manchester United (aet)”. BBC Sport (2016年5月21日). 2016年5月24日閲覧。
  17. ^ Manchester United midfielder Juan Mata's latest row with Jose Mourinho may mean no more Mr Nice Guy”. Telegraph (2016年8月8日). 2017年4月2日閲覧。
  18. ^ Bournemouth 1-3 Manchester United:Jose Mourinho made a winning Premier League start as Manchester United manager”. BBC Sports (2016年8月14日). 2017年4月10日閲覧。
  19. ^ Manchester United 1 FC Rostov 0 (agg 2-1): Juan Mata's goal adds gloss to forgettable performance as United reach quarter-finals”. Telegraph.co.uk (2017年3月17日). 2017年4月2日閲覧。
  20. ^ Juan Mata injury blow for Manchester United after groin surgery”. metro.co.uk (2017年3月31日). 2017年4月2日閲覧。
  21. ^ Juan Mata to stay at Manchester United after agreeing contract extension”. www.telegraph.co.uk (2019年6月18日). 2019年6月25日閲覧。
  22. ^ Juan Mata: Manchester United midfielder agrees new contract”. www.bbc.co.uk (2019年6月18日). 2019年6月25日閲覧。
  23. ^ UNITED’S TOP 10 OVERSEAS PLAYERS”. マンチェスター・ユナイテッド (2020年7月9日). 2021年7月15日閲覧。
  24. ^ 1G1Aで通算50ゴール達成のマタ、アシストしたファン・デ・ベークを絶賛「とても賢い選手」”. 超サッカー (2020年10月1日). 2022年5月21日閲覧。
  25. ^ フアン・マタがマンUと新たに1年契約 出場減少も若手のお手本” (2021年7月2日). 2021年7月15日閲覧。
  26. ^ なぜマンUは“134分間”しか起用しなかった? 34歳の小さな魔術師・マタがずっとベンチだった謎-ザワールド
  27. ^ マタがこの夏ユナイテッドを退団』(プレスリリース)マンチェスター・ユナイテッド、2022年6月2日https://www.manutd.com/ja/news/detail/juan-mata-to-leave-man-utd-in-june-20222022年6月2日閲覧 
  28. ^ マンチェスター・U、ベテランMFマタの退団を発表…2014年からプレーし285試合に出場”. Soccre King (2022年6月2日). 2022年6月2日閲覧。
  29. ^ ガラタサライが移籍市場最終日にイカルディ&マタら一挙5選手補強!”. 超ワールドサッカー (2022年9月9日). 2022年9月9日閲覧。
  30. ^ 35歳のマタ、ガラタサライを退団…昨季加入で18試合3ゴール”. 超ワールドサッカー (2023年7月2日). 2023年9月5日閲覧。
  31. ^ MFフアン マタ選手 完全移籍加入のお知らせ”. ヴィッセル神戸 (2023年9月3日). 2023年9月3日閲覧。
  32. ^ MFフアン マタ選手 契約満了のお知らせ”. ヴィッセル神戸. 2024年1月12日閲覧。
  33. ^ 【神戸】永井秀樹SDが吉田監督続投の意向示す 昨年同様に交渉難航の可能性を指摘する声も”. 2023年11月26日閲覧。
  34. ^ 【神戸】初V導いた吉田孝行監督「妥協できなかった」王様イニエスタ外す決断、ぶれずに信念貫く”. 2023年11月26日閲覧。
  35. ^ Spain sweep into U19 final”. UEFA.com (2006年7月26日). 2010年12月23日閲覧。[リンク切れ]
  36. ^ W杯連覇目指すスペイン、23名発表…トーレスやD・コスタら”. サッカーキング (2014年5月31日). 2020年5月26日閲覧。
  37. ^ Juan Manuel Mata's biography” (Spanish). 公式サイト. 2009年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月2日閲覧。
  38. ^ “VALENCIA バレンシア 16 フアン・マタ”. OCNスポーツ. http://www.ocn.ne.jp/sports/liga/valencia.html 2010年12月2日閲覧。 
  39. ^ “Valencia contract to complete Barcelona move”. Football Directa. (2009年8月5日). http://footballdirecta.com/2009/08/05/mata-could-buy-out-valencia-contract-to-complete-barcelona-move/ [リンク切れ]
  40. ^ “J1神戸のマタが小学校訪問 ゴール数に応じてボール寄贈”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年10月12日). https://www.daily.co.jp/soccer/2023/10/12/0016909817.shtml 2023年10月14日閲覧。 
  41. ^ 香川真司が旧友マタが立ち上げた慈善団体「コモン・ゴール」に参加”. ワールドサッカーキング (2017年10月26日). 2018年3月21日閲覧。
  42. ^ Mata, Juan”. National-Football-Teams.com. 2017年3月2日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集