ファン・マヌエル・ロペス
ファン・マヌエル・ロペス(Juan Manuel López Rivera、1983年6月30日 - )は、プエルトリコの男性プロボクサー。元WBO世界スーパーバンタム級王者。元WBO世界フェザー級王者。世界2階級制覇王者。アマチュア時代にはプエルトリコ代表として2004年のアテネオリンピックに出場した。
基本情報 | |
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本名 | ファン・マヌエル・ロペス・リベラ |
通称 | ファンマ (Juanma) |
階級 | スーパーフェザー級 |
身長 | 166cm |
リーチ | 175cm |
国籍 | プエルトリコ |
誕生日 | 1983年6月30日(41歳) |
出身地 | リオ・ピエドラス |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 43 |
勝ち | 36 |
KO勝ち | 32 |
敗け | 6 |
獲得メダル | ||
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プエルトリコ | ||
男子 ボクシング | ||
中央アメリカ・カリブ海大会 | ||
銅 | 2002 サンサルバドル | バンタム級 |
来歴
編集周囲の反対の中3人の子持ち女性と付き合い始める。女性はマネージャーやトレーナーとしても関わりロペスをサポート、子供を2人授かり2010年7月に結婚式を挙げる、しかしわずか7ヵ月後に離婚届を提出して関係が破綻した。
アマチュア時代
編集10歳のころからボクシングを始め、2000年から2004年までアマチュアの国内チャンピオン(バンタム級)に君臨した。
2001年、北アイルランドベルファストで開催された2001年世界ボクシング選手権大会にフライ級(51kg)で出場するが1回戦で敗退する[1]。
2002年、エルサルバドルで開催された中央アメリカ・カリブ海競技大会にバンタム級(54kg)で出場するが準決勝でアブネル・マレスに敗退した[2]。
2003年、ドミニカ共和国サントドミンゴで開催されたパンアメリカン競技大会にバンタム級(54kg)で出場、準々決勝でアブネル・マレスに敗退した[3]。
2004年、ギリシャアテネで開催されたアテネオリンピックにプエルトリコ代表としてバンタム級に(54kg)出場するが1回戦で敗退した[4]。
アマチュア戦績は126勝24敗[5]。
プロ時代
編集2005年1月29日、プロに転向しデビュー戦を1RKOで勝利。
2006年9月30日、14戦目で空位のWBOラテンアメリカスーパーバンタム級王座をホセ・アロンソと争い、3RTKOで勝利する。この王座は4度防衛。
2008年6月7日、WBO世界スーパーバンタム級王者ダニエル・ポンセ・デ・レオン(メキシコ)を相手に世界タイトル初挑戦。ここまで無敗のロペスであったが、同じサウスポーのハードパンチャーで35戦34勝30KOという戦績を誇るポンセ・デ・レオンの方が戦前の評価は高かった。試合は初回にロペスがポンセ・デ・レオンから2度のダウンを奪いTKO勝ちを収めて王座獲得。大きな番狂わせを起こした。
2008年10月4日と12月6日に立て続けに防衛戦を行い、いずれも1RKO勝ち。世界戦3連続1RKO勝ちとなった。
2009年4月25日、プエルトリコのルーベン・ロドリゲス・コロシアムでジェリー・ペニャロサ(フィリピン)と3度目の防衛戦を行い、9R終了TKO勝利を収めた。
2009年6月27日、アメリカのボードウォーク・ホールでオリビエ・ロンチ(カナダ)に9R終了TKO勝利を収めて4度目の防衛に成功した[6]。
2009年10月10日、ロジャース・ムタグワ(タンザニア)と対戦。最終12回には立っているのがやっとなほどのダメージであったが、3-0の判定勝ちで5度目の防衛に成功した[7]。その後王座返上。
2010年1月23日、WBO世界フェザー級王者スティーブン・ルエバノ(アメリカ)に挑戦し、7回TKO勝ちを収め2階級制覇に成功した[8]。
2010年7月11日、地元プエルトリコにてバーナベ・コンセプション(フィリピン)と対戦し、初回からお互いにダウンを奪い合う展開となり、続く2回で2度ダウンを奪ったところでレフェリーストップ。TKO勝ちで初防衛に成功した[9]。
2010年11月6日、元IBF世界バンタム級王者で元WBC世界スーパーバンタム級王者のラファエル・マルケス(メキシコ)と対戦し、マルケスが8回終了時に右肩の異常を訴えたために8回終了TKO勝ちで2度目の防衛に成功した[10]。
2011年4月16日、同級9位のオルランド・サリド(メキシコ)と対戦。最初の4ラウンドは連取するが5回に右フックをもらってダウンを喫した。何とか立て直したロペスだったが、8回に連打をもらってレフェリーストップがかかり試合終了。8回1分30秒逆転TKO負けで3度目の防衛に失敗、王座から陥落した[11]。なお試合後のジャッジのスコアはドローだった(3者とも66-66)。
2011年10月1日、WBOラテンアメリカフェザー級暫定王座決定戦でマイク・オリバー(アメリカ)と対戦し、2回TKO勝ちを収め王座獲得[12]。
2012年3月10日、プエルトリコ・サンフアンのロベルト・クレメンテ・コロシアムで、WBO世界フェザー級王者オルランド・サリドと再戦した。5回に右フックでサリドの両手がキャンバスに着くダウンを奪ったが、その後はサリドに猛反撃を受け、10回にコンビネーションでダウンを奪い返される。なんとか起き上がるも足元がふらつきレフェリーストップがかかり10回32秒TKO負け[13]。試合後、レフェリーを務めた地元のロベルト・ラミレス・シニアに「ストップのタイミングを賭けていてサリドを助けた」と言って掴みかかり、WBOから罰金2000ドルと1年間の出場停止処分(その後9か月に軽減)と100時間の奉仕活動を課せられた。
2013年2月2日、プエルトリコ・バヤモンのルーベン・ロドリゲスコロシアムで、アルディミール・シルバ・サントス(ブラジル)と128ポンド契約のノンタイトル戦を行い、9回1分4秒TKO勝ちで約11ヶ月振りの復帰戦を白星で飾った。
2013年4月20日、メキシコシティでビクトル・テラサス対クリスチャン・ミハレスの前座で登場し、エウヘニオ・ロペス(メキシコ)と対戦し、2回59秒で相手をマットに沈めた[14]。
2013年6月15日、ダラスのアメリカン・エアラインズ・センターでミゲル・アンヘル・ガルシアが保持するWBO世界フェザー級王座に挑戦する予定だったが、前日計量でガルシアが2ポンドのオーバーの128ポンド(58.06キロ)を計測し再計量も拒否した為、体重超過で王座を剥奪され[15]、ロペスが勝った場合にだけ王座を獲得する変則のタイトルマッチとして行われた。試合は計量失格となったガルシアに2回と4回にダウンを奪われ2度目のダウンでロペスが失神したためレフェリーストップ。4回1分43秒TKO負けを喫し王座返り咲きに失敗、王座は空位となった[16]。
2014年3月15日、バヤモンのルーベン・ロドリゲス・コロシアムにてダニー・ガルシアVSマウリシオ・ヘレーラの前座でWBOインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦をダニエル・ポンセ・デ・レオンと行った。初回に左フックで先制のダウンを奪われるも、2回には左フックでダウンを奪い返す、続けて右フックで痛烈なダウンを奪い最後は連打をまとめるとレフェリーが試合をストップ。2回2分44秒TKO勝ちでスーパーフェザー級での初戦を勝利で飾った。ロペスはこの試合からオスカー・デ・ラ・ホーヤのゴールデンボーイ・プロモーションズに所属になった。
2014年7月12日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでサウル・アルバレスvsエリスランディ・ララの前座でWBO世界スーパーフェザー級2位でNABF北米スーパーフェザー級王者フランシスコ・バルガスと対戦するが、3回に打ち合いの中で被弾し、フラフラになりながらもなんとかこのラウンドを凌ぐが、インターバル中にセコンドが棄権を申し出て3回終了TKO負けを喫しWBOインターナショナル王座の初防衛とNABF王座獲得に失敗した[17]。
2014年9月11日、ハードロック・ホテル・アンド・カジノ内ザ・ジョイントでWBA世界フェザー級暫定王者のヘスス・クエジャルと対戦するが、クエジャルの圧力に圧倒されて最後はフック連打でロペスは頭から沈み失神。2回1分36秒KO負けを喫しフェザー級2連敗となった[18]。この試合を最後に引退した。
2015年10月31日、妻を暴行したとして家庭内暴力容疑で逮捕された。妻とは別居中で不仲だった[19]。
2016年10月29日、引退を撤回して約2年ぶりの試合をロベルト・クレメンテ・コロシアムでウィルフレド・バスケス・ジュニアとスーパーフェザー級契約12回戦を行い、11回2分29秒TKO勝ちを収めた。試合後、リング内に乱入してきたバスケス陣営と拳を交える後味の悪いものとなった[20][21]。
2018年3月3日、約1年4カ月ぶりの試合をジェイソン・ベレスと対戦し、12回TKO負けを喫した[22]。
2021年9月8日、元恋人を暴行したとして家庭内暴力容疑で逮捕される。2015年に起こした家庭内暴力事件とは別の女性に対してのもので、女性はロペスがアルコール依存であると訴えた[23]。その後、家庭内暴力容疑に関連した7つの容疑で起訴された[24]。
戦績
編集- アマチュアボクシング:150戦126勝24敗
獲得タイトル
編集脚注
編集- ^ “11.World Championships - Belfast, Northern Ireland - June 3-10 2001”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2013年12月1日閲覧。
- ^ “19.Central American and Caribbean Games - San Salvador, El Salvador - November 29th - December 6th 2002”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2013年12月1日閲覧。
- ^ “14.Panamerican Games - Santo Domingo, Dominican Republic - August 1-16 2003”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2013年12月1日閲覧。
- ^ “28.Olympic Games Athens, Greece August 14-29, 2004”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2013年12月1日閲覧。
- ^ プエルトリコ出身の“カリブの新たな伝説” ファン・マヌエル・ロペスの試合をWOWOWで放送! WOWOW プレスリリース 2010年7月9日
- ^ フアンマ磐石の強さ 9回TKOでV4 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年6月29日
- ^ フアンマ命拾い 大乱戦制す ボクシングニュース「Box-on!」 2009年10月12日
- ^ フアンマ2階級制覇 ガンボア圧勝 MSGで ボクシングニュース「Box-on!」 2010年1月24日
- ^ ファンマ、倒し、倒され、また倒す WBOフェザー級 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年7月12日
- ^ ロペス、マルケスをストップ WBOフェザー級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年11月7日
- ^ ショック!フアンマ・ロペスTKOで落城 WBOフェザー級 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年4月17日
- ^ フアンマ・ロペス、序盤TKOで再起 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年10月3日
- ^ 激闘再び サリドがフアンマを返り討ちに ボクシングニュース「Box-on!」 2012年3月13日
- ^ フアンマ・ロペス敵地で圧勝 ボクシングニュース「Box-on!」 2013年4月22日
- ^ マイキー2ポンド超でベルト喪失 ボクシングニュース「Box-on!」 2013年6月15日
- ^ マイキー、フアンマを4回TKO ボクシングニュース「Box-on!」 2013年6月16日
- ^ マレス再起、ファンマ3回終了TKO負け Boxing News(ボクシングニュース) 2014年7月13日
- ^ オルティス初回ストップ勝ち、フアンマ2回で沈む Boxing News(ボクシングニュース) 2014年9月12日
- ^ “Juan Manuel Lopez Facing Domestic Violence Charges”. Boxing Scene.com (2015年10月31日). 2015年11月2日閲覧。
- ^ ファンマTKO勝ち、バスケスJrとの同国対決制す Boxing News(ボクシングニュース) 2016年10月30日
- ^ Juan Manuel Lopez knocks Wilfredo Vazquez Jr. out in 11th round ESPN.com 2016年10月31日
- ^ “Jayson Velez Knocks Out Juanma Lopez in Twelfth Round”. Boxing Scene.com (2018年3月4日). 2018年7月12日閲覧。
- ^ “Juan Manuel Lopez Arrested After Claims of Domestic Abuse”. Boxing Scene.com (2021年9月8日). 2021年9月14日閲覧。
- ^ “Juan Manuel Lopez Charged With Seven Counts Of Domestic Violence, Out On Bail And Under House Arrest”. Boxing Scene.com (2021年9月9日). 2021年9月14日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集前王者 ダニエル・ポンセ・デ・レオン |
WBO世界スーパーバンタム級王者 2008年6月7日 - 2010年1月23日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ウィルフレド・バスケス・ジュニア |
前王者 スティーブン・ルエバノ |
WBO世界フェザー級王者 2010年1月23日 - 2011年4月16日 |
次王者 オルランド・サリド |