メインメニューを開く
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はリージョ第二姓(母方の)はディエスです。

フアン・マヌエル・'フアンマ'・リージョ・ディエスJuan Manuel 'Juanma' Lillo Díez , 1965年11月2日 - )は、スペイントロサ出身のサッカー指導者。

フアン・マヌエル・リージョ Football pictogram.svg
名前
本名 フアン・マヌエル・リージョ・ディエス
Juan Manuel Lillo Díez
愛称 フアンマ
ラテン文字 Juan Manuel Lillo
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1965-11-02) 1965年11月2日(53歳)
出身地 トロサ
監督歴
チーム
1981-1985 スペインの旗 アマロスKE
1985-1988 スペインの旗 トロサCF
1988-1991 スペインの旗 CDミランデス
1991-1992 スペインの旗 クルトゥラル・レオネサ
1992-1996 スペインの旗 UDサラマンカ
1996-1997 スペインの旗 レアル・オビエド
1998 スペインの旗 CDテネリフェ
2000 スペインの旗 レアル・サラゴサ
2003-2004 スペインの旗 シウダ・デ・ムルシア
2004-2005 スペインの旗 テッラーサFC
2005-2006 メキシコの旗 ドラドス・シナロア
2008-2009 スペインの旗 レアル・ソシエダ
2009-2010 スペインの旗 UDアルメリア
2014 コロンビアの旗 ミジョナリオスFC
2015-2016 チリの旗 チリ (アシスタント)
2016-2017 スペインの旗 セビージャFC (アシスタント)
2017 コロンビアの旗 アトレティコ・ナシオナル
2018-2019 日本の旗 ヴィッセル神戸
2019- 中華人民共和国の旗 青島黄河
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

目次

来歴編集

15歳で指導者の道に進んだ[1]。1995-96シーズンにはUDサラマンカにおいて、プリメーラ・ディビシオン最年少監督(29歳)として注目を集めた[1]。しかし、同シーズンは最下位で降格となっている。レアル・オビエドCDテネリフェレアル・サラゴサなどでも、好成績は残せなかった。

2005年メキシコドラドス・デ・シナロア監督に就任するも、シーズン途中に辞任。この際、オビエド時代から親交があり指導者養成学校に通っていたジョゼップ・グアルディオラをクラブに招いた。2008年4月、セグンダ・ディビシオンレアル・ソシエダ監督に就任したが、昇格を達成できなかった。2009年12月、ウーゴ・サンチェスの後任としてプリメーラで低迷するUDアルメリア監督に就任し、パスワーク主体のサッカーで13位、残留に導いた。

2010年11月21日FCバルセロナに0-8で歴史的大敗をした事が原因で、チームから解任が発表された[2]。この試合は、リージョを師と仰ぐグアルディオラとの対決でもあった。

その後はコロンビアやチリ、スペインで監督やアシスタントコーチを勤めていた。

2018年9月17日Jリーグヴィッセル神戸監督就任が発表された[3]。就労環境が整うまでの期間は林健太郎が暫定的に指揮を執ったが、この内9月29日のJ1第28節・鹿島アントラーズ戦ではコーチとして役員登録され[4]、ベンチ入りした。その後就労環境が整い、10月4日にリージョ体制の始動が発表された[5]

2019年4月17日、「私と家族にとってはこうする事がベスト」と本人の意向により、神戸との契約を解除した[6]

エピソード編集

  • ジョゼップ・グアルディオラとの親交で知られ、グアルディオラは「最も影響を受けた指導者の一人」としてリージョを賞賛している[2][1]
  • 優れた戦術理論家として有名である。パスワーク主体の攻撃重視サッカーを理想としている。Sportiva誌2009年9月号にて、サッカー日本代表について分析を述べている。[要出典]

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集