フアード・シニオラ

レバノン首相

フアード・シニオラ(もしくはセニオラアラビア語: فؤاد السنيوره, ラテン文字転写: Fouad SinioraFuʼād al-Sinyūra、またはFuad SinioraFouad SanyouraFouad Seniora)は、レバノン共和国政治家同国首相などを歴任した。日本のメディアでは「シニオラ」のほか「シニョーラ」、稀に「セニョーラ」とも表記される。

フアード・シニオラ
فؤاد السنيوره
フアード・シニオラ(2003年9月)
生年月日 (1943-04-14) 1943年4月14日(81歳)
出生地 大レバノンサイダ
出身校 ベイルート・アメリカン大学
所属政党 未来運動
配偶者 フダ・シニオラ

内閣 シニオラ内閣
在任期間 2005年7月19日 - 2009年11月9日
大統領 エミール・ラフード
ミシェル・スライマーン

在任期間 2007年11月23日 - 2008年5月25日
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元首相・実業家で、2005年2月14日暗殺英語版されたラフィーク・ハリーリーとは長年親しい関係にあった。

略歴 編集

2006年レバノン侵攻 編集

2006年のイスラエルによるレバノン侵攻に際しては、「レバノン南部統治の回復、市民軍、軍隊の武装解除が重要である」「シリアはレバノン国内に侵略しており、我々は十分な自衛力を持たない」などとコメントしている[2]

出典 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集

公職
先代
ナジーブ・ミーカーティー
  レバノン共和国首相
第64代:2005 - 2009
次代
サアド・ハリーリー
先代
エミール・ラフード
  レバノン共和国大統領
(代行)2007 - 2008
次代
ミシェル・スライマーン