フィチン酸(フィチンさん、phytic acid)は生体物質の1種で、myo-イノシトールの六リン酸エステルイノシトール6リン酸 (inositol hexaphosphate)[1]、略称は IP6種子など多くの植物組織に存在する主要なリンの貯蔵形態であり、特にフィチン(Phytin: フィチン酸のカルシウムマグネシウム混合塩で、水不溶性)の形が多く存在する[2]キレート作用が強く、多くの金属イオンと強く結合する[2]。抗酸化物質、防腐剤[3]。ミオイノシトールと共通の作用を持つとされている[4]

フィチン酸
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フィチン酸の構造
識別情報
CAS登録番号 83-86-3 チェック
PubChem 890
ChemSpider 16735966 チェック
UNII 7IGF0S7R8I チェック
日化辞番号 J9.332G
E番号 E391 (酸化防止剤およびpH調整剤)
KEGG C01204
ChEBI
特性
化学式 C6H18O24P6
モル質量 660.04 g mol−1
外観 淡褐色油状液体
関連する物質
関連物質 イノシトール
イノシトールリン酸
特記なき場合、データは常温 (25 °C)・常圧 (100 kPa) におけるものである。

1967年には、中東での亜鉛欠乏症への注目から、フィチン酸がミネラルの吸収を妨げるとされてきたが[5]、1980年代以降の知見から、バランスのとれた食事がとれている場合には、そのような悪影響の証拠は発見できない[3]。それ以降では、がんや結石の予防に寄与している可能性がある食品成分としても研究されており[6]、2010年代の小規模な2つのランダム化比較試験では、乳がん治療の副作用を軽減している[7][8]

名称と化学組成 編集

フィチン酸は、ミオ-イノシトール1,2,3,4,5,6-ヘキサキスリン酸[2]myo-イノシトール-1,2,3,4,5,6-六リン酸とも呼ばれる。その略称がIP6[2]

  • myo-inositol-1,2,3,4,5,6-hexaphosphate
  • myo-inositol-1,2,3,4,5,6-hexakisphosphate[2]
  • myo-inositol-1,2,3,4,5,6-hexakis(dihydrogenphosphate))

表中の別称も参照。イノシトール6リン酸: inositol hexaphosphateとも[1]

フィチンはこれにカルシウム、マグネシウム、鉄などが結合した化合物の通称で、生物中での多くはリンと結合しフィチン酸の形態をとる[2]

分布 編集

フィチン酸は穀物や豆類といった特定の食物繊維の多い植物に豊富に含まれる[1]。精製後の穀物にも少量含まれているが、白米では炊飯により多くが分解される[9][10]

また、ほぼすべての哺乳動物の細胞にわずかに存在しており、細胞の分化、増殖、シグナル伝達といった重要な機能に関わっている[1]

利用 編集

鉄が酸化することを抑制し抗酸化物質となる[11]。フィチン酸は、ジュースや肉製品の防腐剤として使われる[3]

動物による利用 編集

フィチン酸の形のリンは、非反芻動物ではフィチン酸消化酵素であるフィターゼ英語版(フィチン酸を加水分解しリン酸を遊離する酵素)がないため、一般に吸収されにくい。一方反芻動物はルーメン(反芻胃)内の微生物によって作られるフィターゼがこれを分解するためフィチンを利用できる。

現在、非反芻動物(ブタニワトリなど)は、主にダイズトウモロコシなどの穀物で肥育されているが、これらに含まれるフィチンは動物に吸収されずに腸管を通過するため、自然界のリン濃度を上昇させ、富栄養化などの環境問題につながる恐れがある。飼料にフィターゼを添加することでフィチン由来のリンの吸収を増すことができる。

またいくつかの穀物で、種子のフィチン酸含量を大幅に低下させ無機リン含量を上昇させた品種が作出されている。しかし生育に問題があることからこれらの品種は広く利用されるに至っていない。

吸収や欠乏 編集

 
ピタ。これだけを主に食べている地域での観察によって、フィチン酸は子供の発育に悪影響を及ぼす可能性があるとされてきたが、その他の多くの地域では他の食材が豊富なので、そこまでにミネラルが欠乏するほどではない[12]

フィチン酸は、鉄、亜鉛、カルシウム、マグネシウムの吸収を妨げる可能性がある[3]。このことは、ミネラルの摂取量が著しく低い発展途上国の子供のような人々には好ましくない。1925年には、Mellanbyの研究によって、フィチン酸が動物にくる病(カルシウム欠乏で起こる)を起こすとし、1920年代から30年代のこうした研究は犬やマウスを使っていた[13]

フィチン酸はマグネシウム亜鉛など重要なミネラルの利用率を低下させると考えられてきたが、その背景にはイランのように、主にピタ(平らな小麦粉のパン)だけを食べている地域の観察によって子供の発育に悪影響が出ると考えられるようになったことがあるが、多くの他の地域では肉や魚、野菜や果物が豊富なのでそのような欠乏のおそれはない[12][14]

1967年には、中東での亜鉛欠乏症から、生体での亜鉛の利用性に注目が集まり、イランの村での未発酵のピタが、都市部での発酵させたピタよりフィチン酸が多いことが判明した[5]

1980年代以降、バランスのとれた食事がとれている場合には、フィチン酸の摂取がミネラルの利用性に影響しないことが判明してきており、2000年代には、アスコルビン酸(ビタミンC)や有機酸発酵食品がフィチン酸によるミネラル吸収抑制を弱めることも判明し、栄養が十分に取れている場合にはフィチン酸が悪影響を及ぼすという証拠は発見できない[3]

フィチン酸のミネラル吸収抑制を減少させるには、調理、発芽、発酵、浸漬、消化といった方法がとれる[15]

1984年に大川らがフィチン酸の多い米ぬかを毎日10グラム、2年間にわたり高カルシウム血症の患者に投与した研究があるが、カルシウム、リン、マグネシウムの低下はなかった[16][14]

1980年代以降には、フィチン酸の摂取によって、脳や心臓組織中のフィチン酸が増加し、また組織中でフィチン酸が合成されていることからビタミンのような物質だと考えられるようになってきた[4]。肉とポテト、フィッシュ・アンド・チップスのようなフィチン酸欠乏食を食べていれば、フィチン酸は検出不可能になるが、フィチン酸が豊富な地中海食やサプリメントで補えば、尿と血中から検出されるようになる[17]

健康への有益作用 編集

単独に遊離されたサプリメントが流通している。

食事調査では、1960年代から食物繊維が大腸がんを予防するのではないかと考えられてきたが、1985年、がんを予防しているのは食物繊維ではなくて繊維に含まれるフィチン酸の摂取量が多い場合に大腸がんの発生率が少ないことが報告された[2]。その後、フィチン酸の単独投与によってがんの抑制作用が観察されていった。

全粒穀物、豆類、ナッツが豊富なことでフィチン酸が豊富である地中海食では、尿中に排泄されるフィチン酸が多かったため、これが病的な石灰化である結石や歯石、また癌の予防に関与している可能性がある[6]

1998年には京都で、フィチン酸などの米ぬか成分に関する国際シンポジウムが開かれ、フィチン酸の生理作用の研究報告がなされた[18]尿路結石腎結石の予防、歯垢形成の抑制、大腸がん、乳がん、肺がん、皮膚がんの予防に役立つ可能性がある[18]。抗がん作用や抗腫瘍作用、抗酸化作用による治療への応用が期待されて研究が進められている[18]。イノシトールと同時に摂取したほうが吸収されやすい。

2002年時点の文献探索によって、フィチン酸の抗がん作用の研究は人は対象とされておらず、主に動物を対象とした28研究が発見されている[19]。2006年にはヒトでの臨床試験を開始するのに十分な証拠が見つかっているとされる[1]

2004年以降、数種類のがんでの試験を経て、2010年の14名でのランダム化比較試験では、乳がんでの化学療法の副作用をフィチン酸とイノシトールを低用量の6グラムの服用で、副作用を改善し生活の質を向上した[7]。2017年の20名でのランダム化比較試験は、乳がん腫瘍摘出後にフィチン酸外用剤を用い、副作用を改善し生活の質を向上した[8]

摂取 編集

食品中のフィチン酸含有量

穀類のぬか胚芽および豆類に多く含まれている。

食品中のフィチン酸含有量
食品中のフィチン酸含有量[20]
食品 フィチン酸
[ g/100g(乾燥重量)]
とうもろこし(胚芽) 6.39
米() 2.56-8.7
小麦(ふすま) 2.1-7.3
亜麻仁 2.15-3.69
ゴマ 1.44-5.36
小麦(胚芽) 1.14-3.91
大豆 1.0-2.22
とうもろこし 0.72-2.22
いんげん豆 0.61-2.38
ライ麦 0.54-1.46
オート麦 0.42-1.16
小麦 0.39-1.35
アーモンド 0.35-9.42
えんどう豆 0.22-1.22
くるみ 0.20-6.69
カシューナッツ 0.19-4.98
ピーナツ 0.17-4.47
豆腐 0.1-2.29
0.06-1.08
推定摂取量
国別の推定摂取量[20]
対象 摂取量(mg/日)
イギリス 600-800
イタリア 平均 293
米国 平均 750
インド 成人 1290-2500
中国 都市部 781
中国 非都市部 1342
体内での分布

ラットにフィチン酸CaMg塩を摂取させた場合、脳に最も多く蓄積される。[20]

安全性 編集

詳細は出典参照のこと。

NOAEL[21][22][23]
ラット 経口 300mg/kg bw/day (2.5%未満 水溶液投与)
LD50[21][22][23]
ラット♂ 経口 405mg/kg bw
ラット♀ 経口 480mg/kg bw

参考文献 編集

  • アブルカラム・M. シャムスディン 著、坂本孝 訳『天然抗ガン物質IP6の驚異―革命的効果でガンの治療が変わる』講談社〈ブルーバックス〉、2000年。ISBN 978-4062573047 
  • 早川利郎、伊賀上郁夫 (1992). “フィチン酸の構造と機能”. 日本食品工業学会誌 39 (7). doi:10.3136/nskkk1962.39.647. https://doi.org/10.3136/nskkk1962.39.647. 

出典 編集

  1. ^ a b c d e Vucenik I, Shamsuddin AM (2006). “Protection against cancer by dietary IP6 and inositol”. Nutr Cancer 55 (2): 109–25. doi:10.1207/s15327914nc5502_1. PMID 17044765. 
  2. ^ a b c d e f g 早川利郎、伊賀上郁夫、「フィチン酸の構造と機能」 『日本食品工業学会誌』 Vol. 39 (1992) No. 7 P 647-655, doi:10.3136/nskkk1962.39.647
  3. ^ a b c d e Silva EO, Bracarense AP (June 2016). “Phytic Acid: From Antinutritional to Multiple Protection Factor of Organic Systems”. J. Food Sci. 81 (6): R1357–62. doi:10.1111/1750-3841.13320. PMID 27272247. https://doi.org/10.1111/1750-3841.13320. 
  4. ^ a b 岡崎由佳子、片山徹之、「フィチン酸の栄養的再評価 ミオイノシトールとの共通性を中心に」『日本栄養・食糧学会誌』 Vol.58 (2005) No.3 P.151-156, doi:10.4327/jsnfs.58.151
  5. ^ a b Gibson RS (November 2012). “A historical review of progress in the assessment of dietary zinc intake as an indicator of population zinc status”. Adv Nutr 3 (6): 772–82. doi:10.3945/an.112.002287. PMID 23153731. https://doi.org/10.3945/an.112.002287. 
  6. ^ a b Prieto RM, Fiol M, Perello J, Estruch R, Ros E, Sanchis P, Grases F (September 2010). “Effects of Mediterranean diets with low and high proportions of phytate-rich foods on the urinary phytate excretion”. Eur J Nutr 49 (6): 321–6. doi:10.1007/s00394-009-0087-x. PMID 20108098. 
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  9. ^ 森治夫、「本邦産穀類及び穀類製品のフィチン酸の研究(第1報)」『栄養と食糧』 Vol. 12 (1959-1960) No. 4 P.254-257, doi:10.4327/jsnfs1949.12.254
  10. ^ 本邦産穀類及び穀類製品のフィチン酸の研究 (第2報) 数種の穀類及び穀類製品のフィチン酸含有量について」『栄養と食糧』 Vol.12 (1959-1960) No.4 P.258-260, doi:10.4327/jsnfs1949.12.258
  11. ^ Graf E, Eaton JW (1990). “Antioxidant functions of phytic acid”. Free Radic. Biol. Med. 8 (1): 61–9. PMID 2182395. 
  12. ^ a b Weisburger JH, Reddy BS, Rose DP, Cohen LA, Kendall ME, Wynder EL (1993). “Protective mechanisms of dietary fibers in nutritional carcinogenesis”. Basic Life Sci. 61: 45–63. PMID 8304953. 
  13. ^ 土屋重義「フィチン酸に關する榮養學的研究:第1報本邦健康成人に於ける高フィチン酸食實験」『栄養と食糧』第6巻第3号、1953年、120-126頁、doi:10.4327/jsnfs1949.6.120 
  14. ^ a b アブルカラム・M. シャムスディン 2000, pp. 143–145.
  15. ^ Urbano G, López-Jurado M, Aranda P, Vidal-Valverde C, Tenorio E, Porres J (September 2000). “The role of phytic acid in legumes: antinutrient or beneficial function?”. J. Physiol. Biochem. 56 (3): 283–94. PMID 11198165. 
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  18. ^ a b c アブルカラム・M. シャムスディン.
  19. ^ Fox CH, Eberl M (December 2002). “Phytic acid (IP6), novel broad spectrum anti-neoplastic agent: a systematic review”. Complement Ther Med 10 (4): 229–34. PMID 12594974. 
  20. ^ a b c “Phytate in foods and significance for humans: Food sources, intake, processing, bioavailability, protective role and analysis”. Molecular Nutrition & Food Research 53 (Supplement S2): Table.9. (2009). doi:10.1002/mnfr.200900099. PMID 19774556. 
  21. ^ a b フィチン酸”. 日本医薬品添加剤協会. 2017年10月2日閲覧。
  22. ^ a b “Carcinogenicity study in rats of phytic acid ‘Daiichi’, a natural food additive”. Food and Chemical Toxicology 30 (2). (1992). doi:10.1016/0278-6915(92)90146-C. PMID 1555793. 
  23. ^ a b 既存添加物の安全性評価に関する調査研究(平成8年度調査) 別添1”. 公益財団法人 日本食品化学研究振興財団. 2017年10月2日閲覧。

外部リンク 編集