フィリップ・ワッツSir Phillip Watts1846年5月30日 - 1926年3月15日)はイギリスの軍艦設計技師である[1]

Philip Watts in Vanity Fair, 1910

アームストロング・ホイットワース在職中に日本の八島初瀬を設計するなどウィリアム・ヘンリー・ホワイトに次ぐ名技師としてその名を知られるようになった[1]

1902年ホワイトの退官に伴い海軍省造船局長・主任設計者となり、ドレッドノートインヴィンシブルクイーン・エリザベスタイガーなど多数の弩級戦艦超弩級戦艦を設計した[1]。戦艦金剛もその指導に負うところが多い[1]

1912年ユースタス・テニスン・ダインコートに職を譲って退官した[1]

出典 編集

  1. ^ a b c d e 『日本戦艦物語I』p.59-61『戦艦史をかざる四人の造艦設計者』

参考文献 編集