フィリピン第四共和国

マルコス政権下のフィリピン
フィリピン共和国
Republika ng Pilipinas (フィリピノ語)
República de Filipinas (スペイン語)
フィリピンの歴史 (1946年-1965年) 1965年 - 1986年 フィリピン暫定政府 (1986年-1987年)
フィリピンの国旗 フィリピンの国章
国旗国章
国の標語: Maka-Diyos, Maka-Tao, Makakalikasan at Makabansa
(神、国民、自然、国への愛情のために)
国歌: Lupang Hinirang(タガログ語)
最愛の地
フィリピンの位置
東南アジアにおけるフィリピンの位置
公用語 タガログ語スペイン語英語
首都 マニラ
大統領
1965年 - 1986年フェルディナンド・マルコス
1986年 - 1992年コラソン・アキノ
副大統領
1965年 - 1972年 フェルディナンド・ロペス
1986年 - 1992年サルバドール・ラウレル
首相
1978年 - 1981年フェルディナンド・マルコス
1986年 - 1986年サルバドール・ラウレル
変遷
マルコス就任 1965年
エドゥサ革命1986年
通貨フィリピン・ペソPHP
時間帯UTC +8(DST: 無し)
フィリピン標準時
ccTLD無し(後に.phができる)
国際電話番号63
現在フィリピンの旗 フィリピン
単に「マルコス政権」とも呼ばれる。

フィリピン第四共和国(フィリピンだいよんきょうわこく)は、フィリピンの歴史の中で特に1965年から1986年までのフェルディナンド・マルコスによる政権を指す用語であり、単に「マルコス政権」とも呼ばれる。

フィリピンの歴史

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フィリピン ポータル

概要 編集

1965年12月30日大統領に当選したマルコスは経済発展を第一に掲げ、外国資本を導入して工業化を実現する一方、農産物輸出して外貨を獲得するなど農業工業の両方を重視する政策を進め、また政治面では中央集権化を推し進め、所謂「開発独裁」と呼ばれる体制を作り上げた[1]

外交面ではアメリカとの関係を重視してベトナム戦争に参戦する一方で、社会主義国とも関係を樹立するなど硬軟織り交ぜた外交政策をとった。

しかし、憲法で三選が禁止されているにもかかわらず戒厳令を布告して強引に三選を果たすなど、独裁的な政治を行ったため国民の不満が爆発[2]1986年コラソン・アキノらがエドゥサ革命を起こし、マルコス政権は崩壊した[3]

脚注 編集

  1. ^ マルコス政権とは”. コトバンク. 2022年2月24日閲覧。
  2. ^ マルコス”. 世界史の窓. 2022年2月24日閲覧。
  3. ^ フィリピンで民衆革命 マルコス政権崩壊”. 日本放送協会. 2022年2月24日閲覧。