フェオドラ・サルタコヴナ
フェオドラ・サルタコヴナ(ロシア語: Феодора Сартаковна、? - 1273年12月20日)は、ベロオゼロ公グレプ(ru)の妻である。
フェオドラ・サルタコヴナ Феодора Сартаковна | |
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称号 | ベロオゼロ公妃 |
死去 |
1273年12月20日 |
配偶者 | ベロオゼロ公グレプ |
子女 |
デミアン ミハイル |
家名 | ジョチ・ウルス |
父親 | サルタク? |
フェオドラは1257年にキリスト教の洗礼を受け、ベロオゼロ公グレプと結婚した。その父はジョチ・ウルスのサルタクという貴族である。このサルタクがバトゥの息子のサルタクであると断言できる史料はないが、G.ヴェルナドスキー(ru)はその著書の中で、バトゥの息子サルタクの娘であるとみなしている[1]。
フェオドラはロストフで16年間を過ごし、グレプとの間にデミアンとミハイルの2人の子をなした。1273年の末に死亡し、ロストフ主教イグナティー(ru)によって埋葬された。
出典編集
- ^ Г. В. Вернадский. Правление Менгу-Тимура // Монголы и Русь. — М.: ЛЕАН, Аграф, 2004.
参考文献編集
- Феодора, княгиня ростовская // Большая биографическая энциклопедия