フェラーリF2007 (Ferrari F2007) はスクーデリア・フェラーリ2007年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーで、アルド・コスタが中心となって設計した。2007年の開幕戦から最終戦まで実戦投入された。フェラーリとしてのコードナンバーは658。キミ・ライコネンにドライバーズタイトルをもたらしたマシンである。

フェラーリ F2007
2007年ブラジルGPでのF2007 キミ・ライコネンがドライブ
カテゴリー F1
コンストラクター フェラーリ
デザイナー アルド・コスタ
先代 フェラーリ・248F1
後継 フェラーリ・F2008
主要諸元
シャシー カーボンファイバー ハニカム コンポジット
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド, トーションバー
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド, トーションバー
エンジン フェラーリ Tipo056 2398cc 90度 V8 縦置き NA
トランスミッション フェラーリ製 7速 縦置き セミAT シーケンシャル
燃料 シェル
タイヤ ブリヂストン
主要成績
チーム スクーデリア・フェラーリマールボロ
ドライバー 5. フェリペ・マッサ
6. キミ・ライコネン
出走時期 2007年
コンストラクターズタイトル 1(2007年)
ドライバーズタイトル 1(2007年)
通算獲得ポイント 204
初戦 2007年オーストラリアGP
初勝利 2007年オーストラリアGP
最終戦 2007年ブラジルGP
出走優勝表彰台ポールFラップ
17922910
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開発 編集

 
ゼロキール(左)とシングルキール(右)の比較。ノーズ下のロワウィッシュボーン基部が廃止され、サスペンションのジオメトリーが大きく変化した。

2006年、皇帝と呼ばれたミハエル・シューマッハが引退し、チームを支えてきたテクニカル・ディレクターのロス・ブラウンやエンジン開発担当のパオロ・マルティネッリもチームを去るなど、2007年はフェラーリにとって大きな転換期となった。

F2007はシャーシ部門のアルド・コスタを中心に開発され、ゼロキール・フロントサスペンションを搭載するために空力面に大きな改良を施されている。マクラーレン発案のゼロキールが普及する中、フェラーリは保守的なシングルキールを採用してきたが、この年から転向することを決断した。リアのサスペンション、フロントウィングは当初は昨年の248F1を改良したものを使用。また、安全性を重視した2007年のF1レギュレーションに適合させるため、マシン構造の強化が図られている。名称も2005年シーズンまでと同様にF+西暦となった。

 
ホイールの絵柄が描かれたフロントホイールカバー

第4戦スペインGPには、サイドポンツーンの形状を完全に見直したBスペック車が投入された。従来のものより前縁を後方に移動させることで、ロングホイールベースと相まって空力性能を向上させた。

第9戦イギリスGPからは、リアタイヤに加えてフロントタイヤのホイールにもカバーを装着した。下側には切り欠きがあり、ここからブレーキ廃熱を放出してタイヤ周りの気流をコントロールすることを狙った[1]。このカバーはホイールから独立して回転しないため、レギュレーション違反の可動空力部品にはあたらないという見解だったが、実際にはステアリング操作でタイヤが動くのだから、やはり違反ではないかという意見もあった。

2007年シーズン 編集

マクラーレンから移籍してきたキミ・ライコネンの優勝によって2007年シーズンの幕が上がる。シーズンを通して表彰台の頂点に上るのはフェラーリかマクラーレンかどちらかのドライバーという2強体制となっていたが、マクラーレンの産業スパイ疑惑によって、フェラーリのコンストラクターズタイトルが確定した。ドライバーズタイトルもマクラーレンのルイス・ハミルトンが失速し、終盤4戦中3勝したキミ・ライコネンが奇跡の逆転で悲願のタイトルを獲得した。

マクラーレンMP4-22タイヤに厳しいマシン[2]であるのに対し、F2007はタイヤに優しいマシン[3]だとメディアで表現されていた。この対照的な性格を裏付けるように、サーキットによって得手不得手がハッキリと分かれ、ストップ&ゴーで、縁石を積極的に使うサーキット(モンテカルロ,ハンガロリンク,モンツァなど)はMP4-22に分があった。逆に、ダウンフォースを積極的に利用するために車体の姿勢変化が小さく、縁石の低いサーキット(カタロニア,スパ・フランコルシャン,インテルラゴスなど)ではF2007に分があった。シーズン中に風洞が故障したために空力に関するアップデートが滞る危機があったものの最終的には競り勝った。

カラーリング 編集

第5戦モナコGPからそれまでのソリッドな赤いカラーからメタリックな赤に変わった。しかし、F1チームのゼネラルディレクターであるジャン・トッドは以前からメタリックカラーを採用していたマクラーレンチームに倣っているように見えて好きではなかったという[4]

スペック 編集

シャーシ 編集

エンジン 編集

記録 編集

No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント ランキング
AUS
 
MAL
 
BHR
 
ESP
 
MON
 
CAN
 
USA
 
FRA
 
GBR
 
EUR
 
HUN
 
TUR
 
ITA
 
BEL
 
JPN
 
CHN
 
BRA
 
2007 5  マッサ 6 5 1 1 3 DSQ 3 2 5 2 13 1 Ret 2 6 3 2 204 1位
6  ライコネン 1 3 3 Ret 8 5 4 1 1 Ret 2 2 3 1 3 1 1

シーズン終了後 編集

2007年 編集

 
F2007でのテストの準備をするミハエル・シューマッハ(2007年10月24日)

10月24日、この日フィアット社の役員会が行われており、このためミハエル・シューマッハフィオラノサーキットでF2007のデモンストレーションランを行なった。

11月13日バルセロナで行われたF1合同テストにおいて、1年以上ぶりにミハエル・シューマッハがトラクションコントロールの無い同マシンをテストドライブ、トップタイムをマークした。ドライバーエイドのないマシンを経験してきたために今回のテストに参加することとなったが、半分は楽しみのためとのことである。64周をドライブし、テストドライバーのルカ・バドエルより約コンマ2秒速い1分21秒922のタイムで20人の参加ドライバー中トップタイムをマークした。このテストにおいてフェラーリ勢は電気系のテスト、来季用の新コンポーネントの開発作業を主に行った。

2009年 編集

2009年シーズン第10戦ハンガリーGPの予選中にマッサが負傷したことに伴い、その代役として次戦の第11戦ヨーロッパGPからシューマッハが出場することとなった[5]。(その後、シューマッハが首の筋力について不安を訴えたこともあり、実際はテストドライバーであるルカ・バドエルが出走した)。そのテストのためにF2007が使用され、ムジェロ・サーキットでテストが行われた[6]。このF2007は個人所有のものであり、GP2用のスリックタイヤを装着してテストが行われた[7]

脚注 編集

  1. ^ "Ferrari F2007 - front rim shields". The Official F1 Website.(2007年7月7日)2013年4月1日閲覧。
  2. ^ サスペンションの接地効率が高いことによるメカニカルグリップ重視。常に一定以上の負荷がタイヤにかかる。
  3. ^ ダウンフォースでマシンを接地させるエアログリップ重視。低速でダウンフォースが少ないと荷重も減ることで負荷が少ない。
  4. ^ F1速報 PLUS (プラス)Vol.12 2009年 09月号『Scuderia Ferrari 60年の光と影』 45頁。
  5. ^ “フェラーリ ミハエル・シューマッハの起用を正式発表”. F1-Gate.com. (2009年7月30日). http://f1-gate.com/ferrari/f1_4341.html 2009年8月1日閲覧。 
  6. ^ “フェラーリ シューマッハのF60でのテストを要請”. F1-Gate.com. (2009年8月1日). http://f1-gate.com/ferrari/f1_4360.html 2009年8月1日閲覧。 
  7. ^ “ミハエル・シューマッハ F2007でのテストに満足”. F1-Gate.com. (2009年8月1日). http://f1-gate.com/schumacher/f1_4364.html 2009年8月1日閲覧。