フォーカス (バンド)

オランダのプログレッシブ・ロックバンド

フォーカスFocus)は、1970年に結成されたオランダ出身のプログレッシブ・ロック・バンド。「ショッキング・ブルー」などと並んで、国際的に成功したオランダのロック・バンドの最古参としても知られる。

フォーカス
Focus
2014年のグループショット
基本情報
出身地 オランダの旗 オランダ 北ホラント州 アムステルダム
ジャンル プログレッシブ・ロック
フュージョン
ハードロック
活動期間 1969年 - 1978年
1985年1990年1999年
2002年 - 現在
レーベル インペリアル・レコード
ポリドール・レコード
サイアー・レコード
アトコ・レコード
EMI
ヴァーティゴ
ムゼア
Red Bullet
Eastworld Recordings
チェリー・レッド・レコード
公式サイト [1]
メンバー タイス・ファン・レール (Key/Vo/Fl)
ピエール・ファン・デル・リンデン (Ds)
メンノ・ホーチェス (G)
ウド・パンネケート (B)
旧メンバー ヤン・アッカーマン (G)
ベルト・ライテル (B)
ほか 別記参照

1970年代にはタイス・ファン・レール[注釈 1]キーボードフルートボーカル)とヤン・アッカーマンギター)を中心メンバーとして活動した。1978年に解散したが、2002年にファン・レールが新しいメンバーを集めてフォーカスとして正式に活動を再開した。

略歴

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1969年 - 1978年

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若き日の創始者タイス・ファン・レール(Key, Fl, Vo) 1971年11月
 
1974年全盛期のグループ・ショット(左からヤン・アッカーマン、ベルト・ライテル、タイス・ファン・レール、コリン・アレン)
 
若き日のヤン・アッカーマン(G) 1974年2月

1969年、ファン・レールがハンス・クルフェール(ドラムス)、マーティン・ドレスデン(ベース)と「トリオ・タイス・ファン・レール」を結成[1]。数か月後、元ブレインボックスのアッカーマンが合流[2]して、同年秋に「フォーカス」が誕生した[3]

1970年9月、オランダでアルバムFocus Plays Focus[注釈 2]でデビュー。1971年1月にシングルとして発表したアッカーマン作の新曲「ハウス・オブ・ザ・キング英語版」がヨーロッパでヒット。アッカーマンの主張により、ドラマーをクルフェールからアッカーマンのブレインボックスでの同僚だったピエール・ファン・デル・リンデン [注釈 3][4]、ベーシストをドレスデンからシリル・ハフェルマンスに代えた[5]

1971年10月、イギリスのブルース・ロック・ミュージシャンの作品の制作に携わってきたマイク・ヴァーノン英語版をプロデューサーに迎えて[注釈 4]、2作目のアルバム『ムーヴィング・ウェイヴス[注釈 5]を発表。ファン・レールとアッカーマンの共作「悪魔の呪文 (Hocus Pocus)」は、ハードでキャッチーなギターのリフと、ヨーデルを用いたボーカルが合体した非常にインパクトの強い楽曲で、シングル・カットされて世界的なヒットを記録した。彼等は一躍人気バンドとなり、イギリスやアメリカでも注目されるようになる。9月、ハフェルマンスがソロ活動の為に脱退したので、後任にベルト・ライテルを迎えた。

1972年11月、3作目で2枚組のアルバム『フォーカスIII』を発表。ファン・レール作の「シルヴィア英語版」は、翌1973年には全英シングル・チャートで4位を記録する大ヒットとなった[6]。彼等はイギリスで絶大な人気を得て、この年の『メロディ・メイカー』誌の人気投票のギタリスト部門では、それまで10年連続でトップに選ばれたエリック・クラプトンに代わってアッカーマンが栄冠を手にした[7]

1973年3月から4月にかけて大規模なアメリカ・ツアーを行い、続いてロンドンのレインボウ・シアター英語版での5月4日と5日の2日連続の公演を皮切りにイギリス・ツアーを行った。10月には5月5日の演奏を収録した初のライブ・アルバム『フォーカス・アット・ザ・レインボー』を発表。ファン・デル・リンデンが脱退して、イギリス人のブルース・ロック・ミュージシャンのコリン・アレンがヴァーノンに推薦されて加入。1974年5月に4作目のスタジオ・アルバム『ハンバーガー・コンチェルト』を発表して、6月に初の日本公演[注釈 6]を行った。

イギリスでの高い人気で日本でも知名度が上昇し、アッカーマンは各音楽誌のギタリストの人気投票でクラプトン、リッチー・ブラックモアジミー・ペイジらと並んで上位にランクされる存在となった。1974年1975年の2年連続で来日し、イギリスやアメリカのロック以外のユーロ・ロックにも注目が集まる契機となる。

1975年2月にアレンが去り、アメリカ人のドラマーのデヴィッド・ケンパーが参加して5作目『マザー・フォーカス』を制作。同年6月に行なわれた2度目の日本公演[注釈 7]にはファン・デル・リンデンが参加した。1976年にアッカーマンが脱退し、後任にジャズ界で知名度のあったフィリップ・カテリーンが加入。ファン・レール、ライテル、ケンパー、カテリーンの顔ぶれでライブ活動を行った[注釈 8]1977年には、ファン・レール、ライテル、カテリーン、ギタリストのエーフ・アルベルツオランダ語版、ドラマーのスティーヴ・スミス[注釈 9]、ボーカリストのP. J. プロビー英語版[注釈 10] が参加してアルバム『新しき伝説英語版』を制作した。

1978年に解散。

1985年 - 1999年

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1985年、ファン・レールとアッカーマンが「ヤン・アッカーマン & タイス・ファン・レール(Jan Akkerman & Thijs Van Leer)」名義でアルバム『青い旅路・フォーカス英語版』を発表するが商業的には失敗に終わった。

1990年、ファン・レール、アッカーマン、ファン・デル・リンデン、ライテルの顔ぶれで一時的に再結成。オランダのラジオ局Radio Veronicaの番組Oud Van Goudの為にアペルドールンのAmericahalで約40分間のライブ演奏を披露。この模様はテレビで放映された[8]

1993年にも「ヤン・アッカーマン & タイス・ファン・レール」の連名でライブ活動をしたものの、再結成に至らず。1997年には、ファン・レール、クルフェール、ライテルがギタリストのメンノ・ホーチェスと再結成を試みたが、1999年に失敗に終わる[9]

2002年 - 現在

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2002年、ファン・レールはフォーカスのトリビュート・バンドのメンバーたちを招いてフォーカスを正式に再結成し、翌年に27年ぶりのアルバム『フォーカス8英語版』をリリース。

以降『フォーカス9 / ニュー・スキン英語版』(2006年)[10]、『X英語版』(2012年)[11]、『ゴールデン・オールディーズ英語版』(2014年)[12]などコンスタントに作品を発表し、メンバー交代を繰り返しながらも活発な活動を続けている。2004年にはファン・デル・リンデンが復帰し、2010年にはホーチェスが加入した。

メンバー

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タイス・ファン・レール(Key/Vo/Flu) 2014年
 
ピエール・ファン・デル・リンデン(Ds) 2012年

現ラインナップ

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旧メンバー

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ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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ライブ・アルバム

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コンピレーション・アルバム

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日本公演

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出典[14]

1974年

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  • 6月30日 東京・東京厚生年金会館
  • 7月1日 東京・東京厚生年金会館
  • 7月2日 大阪・大阪厚生年金会館
  • 7月3日 名古屋・名古屋市公会堂

1975年

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  • 6月14日 東京・サンプラザホール
  • 6月15日 東京・サンプラザホール
  • 6月16日 名古屋・名古屋市公会堂
  • 6月19日 大阪・大阪厚生年金会館
  • 6月20日 京都・京都会館
  • 6月22日(昼) 東京・サンプラザホール
  • 6月22日(夜) 東京・サンプラザホール

2003年

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  • 4月10日 川崎・CLUB CITTA'川崎
  • 4月11日 川崎・CLUB CITTA'川崎
  • 4月12日 川崎・CLUB CITTA'川崎

2019年

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  • 4月22日 川崎・CLUB CITTA'川崎
  • 4月23日 川崎・CLUB CITTA'川崎

脚注

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注釈

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  1. ^ 名字はLeerではなくvan Leer。「ティッジス・ヴァン・レール」「ティジス・ファン・レール」「ターツ・ファン・レール」「タイス・ファン・レア」「タイス・ヴァン・レアー」といった表記も存在する。
  2. ^ オランダ国外では、1971年1月に発表した「ハウス・オブ・ザ・キング」が新たに加えられて、異なるジャケットと新しいタイトル『イン・アンド・アウト・オブ・フォーカス』で発表された。
  3. ^ 名字はvan der Linden。「ピエール・ヴァン・ダー・リンデン」という表記も存在する。
  4. ^ ヴァーノンは以後、1974年に発表された『ハンバーガー・コンチェルト』まで、プロデューサーを務めた。
  5. ^ オランダ盤のタイトルは『フォーカスII』。
  6. ^ 2020年に発表されたCDボックスの『50イヤーズ: アンソロジー 1970-1976』には、1974年7月2日の大阪公演で録音された「バース」が収録された。
  7. ^ 『50イヤーズ: アンソロジー 1970-1976』には、1975年6月21日に日本武道館で録音された4曲が収録された。
  8. ^ 1976年5月にBBC Radio 1で放送されたライブが、2004年にLive at the BBCとして発表された。
  9. ^ 当時、ジャズ・ヴァイオリニストのジャン=リュック・ポンティと活動。後年、ジャーニーに参加。
  10. ^ アメリカ人で1960年代前半からイギリスで活動。1964年と1965年に数曲がトップ20を記録。1968年には唯一のビルボード100を記録。

出典

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引用文献

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  • Johnson, Peet (2015), Hocus Pocus: The Strife and Times of Rock's Dutch Masters, Tweed Press, ISBN 978-0-646-59727-0 

外部リンク

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