ピント (Pinto) は、アメリカフォード・モーターが製造・発売していたサブコンパクトカーで、1971年から1980年まで販売された。同社の元社長であるリー・アイアコッカ開発責任者となっており、また構造上の欠陥が問題となったことで有名である。1907年以来最小のアメリカのフォード車であるピントは、北米でフォードが生産した最初のサブコンパクトカーであった。

フォード・ピント
フロント
Ford Pinto.jpg
製造国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カナダの旗 カナダ
販売期間 1971年 - 1980年
デザイン ロバート・エイドシュン
ボディタイプ 2ドアセダン
2ドアパネルバン
2ドアステーションワゴン
3ドアハッチバック
エンジン 1.6L kent 直列4気筒
2.0L EAO 直列4気筒
2.3L OHC 直列4気筒
2.8L Cologne V型6気筒
駆動方式 後輪駆動
変速機 3速AT/4速MT
全長 4,100 mm
全幅 1,760 mm
全高 1,300 mm
ホイールベース 2,390 mm
車両重量 914–1,030 kg
後継 フォード・エスコート (北米)
-自動車のスペック表-
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概要編集

ピントは北米市場向けに製造され、1970年9月11日に販売を始めた。当時アメリカのコンパクトカー市場はフォルクスワーゲンや、ダットサン日産自動車)、トヨタ自動車といった日本車メーカー、同じアメリカの自動車会社が競って参入する熾烈な状況となっており、この状況に対抗するため、同社のマーキュリー部品を共通化し、通常は約43ヶ月かける開発期間を僅か25ヶ月に短縮、市場へ投入されたが、後にこれが重大な問題(後述)となる。1972年にはステーションワゴンも発売され、価格も破格の2,000ドル以下ということで人気を博していった。その後数回の小規模なマイナーチェンジを繰り返し、1979年にはヘッドランプを角形とする変更を行い、翌年にフォード・エスコートにその座を譲り生産を終了した。姉妹車にマーキュリー・ボブキャットが存在する。

また、1973年から1974年にかけてピント・パングラと呼ばれる、ターボチャージャーデジタルメーターを装備したホットモデルも販売されていた(価格は5000ドル)。

当初販売面ではAMCが開発していた競合車種であるグレムリンに敗北したものの、そのグレムリンも売り上げこそ好調だったものの評価は良いとは言えず、後にピントが巻き返した。とはいえ、当時コスト削減のために品質が必然的に犠牲になった時代背景もあり、2005年NBCが行った「オールタイム・アメリカン・ワースト・カー」と呼ばれる調査において、同時期に発売されていた車種のほとんどがランクインしていることもまた事実である。

ピントはストックカーレースのベースとしても用いられ、大いに活躍した。

エンジン編集

  • 1971年モデル
    • 1.6 L (98 CID) OHV I4 - 75hp (56kW) and 96ft.lbf (130Nm)
    • 2.0 L (122 CID) SOHC I4 - 100hp (74.5kW)
  • 1972年モデル
    • 1.6 L Kent - 54hp (40kW)
    • 2.0 L EAO - 86hp (64kW)
  • 1973年モデル
    • 2.0 L EAO - 86hp (64kW)
  • 1974年モデル
    • 2.0 L EAO - 86hp (64kW)
    • 2.3 L OHC - 90hp (67kW)
  • 1975年モデル
    • 2.3 L OHC - 83hp (62kW)
    • 2.8 L (170 CID) V6 - 97hp (72kW)
  • 1976年モデル
    • 2.3 L OHC - 92hp (69kW)/121ft.lbf (163Nm)
    • 2.8 L Cologne - 103hp (77kW)/149ft.lbf (201Nm)
  • 1977年モデル
    • 2.3 L OHC - 89hp (66kW)/120ft.lbf (162Nm)
    • 2.8 L Cologne - 93hp (69kW)/140ft.lbf (189Nm)
  • 1978年モデル
    • 2.3 L OHC - 88hp (66kW)/118ft.lbf (159Nm)
    • 2.8 L Cologne - 90hp (67kW)/143ft.lbf (193Nm)
  • 1979年モデル
    • 2.3 L OHC - 88hp (66kW)/118ft.lbf (159Nm)
    • 2.8 L Cologne - 102hp (76kW)/138ft.lbf (186Nm)
  • 1980年モデル
    • 2.3 L OHC - 88hp (66kW)/119ft.lbf (160Nm)

パワートレイン編集

エンジン名 利用可能な年 変位 馬力† トルク†
インライン4エンジン
フォードケント I4 1971–1973 98立方インチ (1.6 L)
  • 75 hp (56 kW; 76 PS) (1971)
  • 54 hp (40 kW; 55 PS) (1972–1973)
  • 96 lb·ft (130 N·m) (1971)
フォード<i id="mwAUA">EAO</i> I4 1971–1974 122立方インチ (2.0 L)
  • 100 hp (75 kW; 101 PS) (1971)
  • 86 hp (64 kW; 87 PS) (1972–1974)
フォード<i id="mwAUo">OHC I4</i> 1974–1980 140立方インチ (2.3 L)
  • 90 hp (67 kW; 91 PS) (1974)
  • 83 hp (62 kW; 84 PS) (1975)
  • 92 hp (69 kW; 93 PS) (1976)
  • 89 hp (66 kW; 90 PS) (1977)
  • 88 hp (66 kW; 89 PS) (1978–1980)
  • 110 lb·ft (150 N·m) (1975)
  • 121 lb·ft (164 N·m) (1976)
  • 120 lb·ft (160 N·m) (1977)
  • 118 lb·ft (160 N·m) (1978–1979)
  • 119 lb·ft (161 N·m) (1980)
V6エンジン
フォード<i id="mwAVc">ケルンV6</i> 1975–1979 170立方インチ (2.8 L)
  • 97 hp (72 kW; 98 PS) (1975)
  • 103 hp (77 kW; 104 PS) (1976)
  • 93 hp (69 kW; 94 PS) (1977)
  • 90 hp (67 kW; 91 PS) (1978)
  • 102 hp (76 kW; 103 PS) (1979)
  • 139 lb·ft (188 N·m) (1975)
  • 149 lb·ft (202 N·m) (1976)
  • 140 lb·ft (190 N·m) (1977)
  • 143 lb·ft (194 N·m) (1978)
  • 138 lb·ft (187 N·m) (1979)
†馬力とトルクの定格は、1971年モデル以降の正味出力です。

欠陥編集

ピントにまつわるエピソードとして最も有名なのがいわゆる「フォード・ピント事件」である。

先述の通り、短期間で市場に送り込むこととコスト削減の目的で、通常43ヶ月を要する開発期間を25ヶ月に短縮して市場に送り込まれたが、開発段階でスタイリング重視のためガソリンタンクとリアバンパーが近接した構造になったこと、およびリアバンパー及び取付部の強度が不足していたことにより、追突事故に対して非常に脆弱であるという欠陥が発覚した。しかし、フォードは欠陥対策にかかるコストと事故発生時に支払う賠償金額とを比較し、賠償金を支払う方が安価であると判断(事故予測180人が焼死、さらに180人が重症、その結果の賠償額4950万ドル。対し、ガソリンタンク対策費1台あたり11ドル。計1億3700万ドル)してそのまま放置した[1]。ただし、このメモはピントと直接関係しないとの指摘もある[2]

そんな折、市販された翌年の1972年にインターステートハイウェイを走行中のピントがエンストを起こし、約50マイル/h(約80km/h)で走行していた後続車に追突されて炎上し、運転していた男性が死亡、同乗者が大火傷を負う事故が発生した。この事故での陪審評決でフォードを退社した元社員らが欠陥を知りながら開発を進めた事実を証言し、コスト比較計算の事実も発覚した。その後フォードは陪審員裁判において総額1億2,780万ドル(当時の日本円換算で約260億円)もの巨額の懲罰的損害賠償を命じられることになり(後に裁判官により賠償額は350万ドル=当時の日本円換算で7億円に減額される)、より大きな経済的打撃を受けるだけでなく、製品の信頼性や同社の信用も失墜してしまう皮肉な結果となった。フォードは対策としてガソリンタンクの配置を後車軸上に変更し、ガソリンタンクとバンパーの強化を行う等の対策を取った。

この事件は今日まで大学での企業倫理系統の講義にしばしば題材として用いられ、20世紀フォックス1991年に製作した映画『訴訟』(原題: Class Action)の題材となっている。

燃料システムの火災、リコール、および訴訟編集

ピントの燃料システムの設計の安全性は重大な事件につながり、その後、リコール、訴訟、刑事訴追、および国民の論争をもたらした。 論争を取り巻く出来事は「画期的な物語」と言われている[3]。 元UCLA法学教授のゲーリー・T・シュワルツは、いくつかの重大な事実上の誤解と一般の理解への影響により、関連する法的事件を「神話的」と説明し [4] 多くの企業倫理[5] [6]および不法行為改革 [7] [8]ケーススタディで引用および議論されている。

自動車の燃料タンクの配置は、当時の保守的な業界慣行と、自動車の開発中および初期の販売期間中の不確実な規制環境の両方の結果であり、フォードは車が安全でないタンク配置を持っていることを知っていて、内部費用便益分析に基づいて設計変更を控えたと非難された。 2つの画期的な法的訴訟、 Grimshaw v。 フォードモーターカンパニーアンドインディアナv。 Ford Motor Co.は 、Pintosが関係する致命的な事故の結果である[9]

ピントがリリースされてから数十年後に発表された学術研究は、ケースを調査し、燃料システム設計に関連する実際の火災関連死者数に関する誤解「 ピントマッドネスなどで主張された野生的で支持されない主張」 [10]と関連する法的事件、グリムショーvsフォードモーターカンパニーの事実インディアナ州対フォードモーターカンパニー 、設計時の適用される安全基準、NHTSAの調査およびその後の車両リコールの性質 [11]といったピントの一般的な理解と自動車の安全性能と火災のリスクに関する論争の要約を提供していった。

脚注編集

  1. ^ フォード・ピントの悲劇~欠陥車がもたらした最悪の事件~(CarTube)
  2. ^ フォード・ピント事件をどう教えるべきか
  3. ^ Lee & Ermann 1999: The Pinto story has become a landmark narrative" (Nichols 1997:324), a definitive story used to support the construction of amoral corporate behavior as a pervasive social problem. This narrative was first stated publicly by investigative journalist Mark Dowie (1977) in a scathing Pulitzer Prize-winning exposé, "Pinto Madness," published in Mother Jones magazine.
  4. ^ Schwartz 1991: Having reflected on these invocations of the Ford Pinto case, I have arrived at two general observations. One is that several significant factual misconceptions surround the public's understanding of the case. Given the cumulative force of these misconceptions, the case can be properly referred to as "mythical."
  5. ^ Bazerman (2011年4月). “Ethical Breakdowns”. Harvard Business Review. 2015年2月28日閲覧。
  6. ^ Birsch, Douglas (October 25, 1994). The Ford Pinto Case. 
  7. ^ Woodyard, Chris (2011年3月28日). “Case: Lee Iacocca's Pinto: A fiery failure”. USA Today 
  8. ^ Kitman, Jamie (2011年3月24日). “Don't Like Government Regulation? How'd You Like Another Pinto?”. Cartalk.com 
  9. ^ Lee & Ermann 1999: Conventional wisdom holds that Ford Motor Company decided to rush the Pinto into production in 1970 to compete with compact foreign imports, despite internal pre-production tests that showed gas tank ruptures in low-speed rear-end collisions would produce deadly fires. This decision purportedly derived from an infamous seven-page cost-benefit analysis (the "Grush/Saunby Report" [1973]) that valued human lives at $200,000. Settling burn victims' lawsuits would have cost $49.5 million, far less than the $137 million needed to make minor corrections. According to this account, the company made an informed, cynical, and impressively coordinated decision that "payouts" (Kelman and Hamilton 1989:311) to families of burn victims were more cost-effective than improving fuel tank integrity. This description provides the unambiguous foundation on which the media and academics have built a Pinto gas tank decision-making narrative.
  10. ^ Danley, John R (2005). “Polishing Up the Pinto: Legal Liability, Moral Blame, and Risk”. Business Ethics Quarterly 15 (2): 205–236. doi:10.5840/beq200515211. 
  11. ^ Schwartz 1991

関連項目編集

外部リンク編集