フラビオ・サンドナ

アルゼンチンのサッカー選手

フラビオ・ガブリエル・サンドナ(Flavio Gabriel Zandoná, 1967年4月8日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州出身のプロサッカー選手。ポジションはディフェンダーJリーグでの登録名はサンドナ (Zandoná) 。

フラビオ・サンドナ
名前
本名 フラビオ・ガブリエル・サンドナ
Flavio Gabriel Zandoná
愛称 Chino
ラテン文字 Flavio ZANDONÁ
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1967-04-08) 1967年4月8日(57歳)
出身地 サラテスペイン語版
身長 184cm
体重 84kg
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1979-1991 アルゼンチンの旗 サン・ロレンソ 116 (11)
1992-1999 アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド 142 (9)
1998 メキシコの旗 ベラクルス (loan)
2000 日本の旗 アビスパ福岡 0 (0)
2000 パラグアイの旗 セロ・ポルテーニョ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロではセンターバックでプレイしていたが、CAベレス・サルスフィエルド移籍後は右サイドバックで起用されることが多かった。ベレスではリーグ戦においては1995年アペルトゥーラ[1]、1996年クラウスーラ[2]、1998年クラウスーラ[3]に優勝したほか、1994年にはコパ・リベルタドーレスで優勝し[4]、同年のトヨタカップでもサンドナ自身はサブで出場はなかったがクラブはACミランを破り優勝した[5]。また1996年にスーペルコパ[6]、1996年にコパ・インテラメリカーナ[7]、1997年にレコパ・スダメリカーナ[8]に優勝した。

2000年3月1日、アビスパ福岡への加入が同クラブより発表された[9]。契約期間は1年[9]。福岡は井原正巳前田浩二の獲得に失敗し、センターバックの補強が急務となっていた[9][10]。名門チームでの経験豊富なDFという触れ込みでに加入し、練習試合などでも高い評価を受けていた[11]が、妊娠中の夫人が日本での生活に馴染めず、体調不良を訴えるなど帰国精神的に不安定な状況に陥った為、3月14日に夫人と一緒にアルゼンチンに帰国[10]。3月23日に退団が発表された[12]

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 福岡 26 J1 0 0 0 0 - 0 0
通算 日本 J1 0 0 0 0 - 0 0
総通算 0 0 0 0 - 0 0

出典 編集

  1. ^ Títulos: Torneo Apertura 1995”. CAベレス・サルスフィエルド. 2017年6月5日閲覧。
  2. ^ Títulos: Torneo Clausura 1996”. CAベレス・サルスフィエルド. 2017年6月5日閲覧。
  3. ^ Títulos: Torneo Clausura 1998”. CAベレス・サルスフィエルド. 2017年6月5日閲覧。
  4. ^ Títulos: Copa Libertadores 1994”. CAベレス・サルスフィエルド. 2017年6月5日閲覧。
  5. ^ Títulos: Copa Intercontinental 1994”. CAベレス・サルスフィエルド. 2017年6月5日閲覧。
  6. ^ Títulos: Supercopa 1996”. CAベレス・サルスフィエルド. 2017年6月5日閲覧。
  7. ^ Títulos: Copa Interamericana 1996”. CAベレス・サルスフィエルド. 2017年6月5日閲覧。
  8. ^ Títulos: Recopa Sudamericana 1997”. CAベレス・サルスフィエルド. 2017年6月5日閲覧。
  9. ^ a b c “DFサンドナ獲得 守りのかなめだ アルゼンチン・リーグで4度V 経験、闘志兼ね備え 3日来日”. 西日本スポーツ (西日本新聞社). (2000年3月2日). オリジナルの2007年5月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070527200058/http://www.nishinippon.co.jp/nishispo/avispa/bn/00kiji/0003kiji.html#003 2017年6月5日閲覧。 
  10. ^ a b “サンドナ退団か 身重の夫人容体悪化 一緒に帰国 新DF獲得へ”. 西日本スポーツ (西日本新聞社). (2000年3月17日). オリジナルの2007年5月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070527200058/http://www.nishinippon.co.jp/nishispo/avispa/bn/00kiji/0003kiji.html#024 2017年6月5日閲覧。 
  11. ^ “サンドナ完ぺき 福教大と練習試合 初の実戦 「問題ないね」と余裕 足のマメと言葉以外は… 正確なポジショニングとパス”. 西日本スポーツ (西日本新聞社). (2000年3月8日). オリジナルの2007年5月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070527200058/http://www.nishinippon.co.jp/nishispo/avispa/bn/00kiji/0003kiji.html#008 2017年6月5日閲覧。 
  12. ^ “サンドナ退団発表 “第3の外国人”緊急補強へ”. 西日本スポーツ (西日本新聞社). (2000年3月24日). オリジナルの2007年5月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070527200058/http://www.nishinippon.co.jp/nishispo/avispa/bn/00kiji/0003kiji.html#030 2017年6月5日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集