フランク・ウェルズ(Frank Wells、1932年3月4日 - 1994年4月3日)は、アメリカ合衆国弁護士実業家

フランク・ウェルズ
Frank Wells
生誕 フランク・G・ウェルズ
1932年3月4日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州コロナド英語版
死没 (1994-04-03) 1994年4月3日(62歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ネバダ州
死因 ヘリコプター墜落事故
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身校 オックスフォード大学
職業 実業家
肩書き ウォルト・ディズニー・カンパニー代表取締役社長兼COO
任期 1984年 - 1994年
前任者 ロン・ミラー
後任者 ロバート・A・アイガー
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生い立ち 編集

カリフォルニア州コロナド英語版生まれ。

ポモナ・カレッジを卒業したのちオックスフォード大学学士(教養)を取得、2年間の兵役ののちスタンフォード・ロー・スクールを卒業、弁護士になる。

弁護士をしていた時にクリント・イーストウッドと知り合い後まで交流を深めた。キニー社に買収されたワーナー・ブラザースに勤め、1969年から西海岸担当副社長、1973年から社長、1977年から退社する1982年まで副会長を務めた。

1984年、ウォルト・ディズニー・カンパニーに入社。これは、ディズニーの株主ロイ・E・ディズニーとスタンリー・ゴールドが、当時の社長兼CEOロナルド・W・ミラーを追放するために、マイケル・アイズナーを会長兼CEOに、ウェルズを社長兼COOに迎え入れた人事だった。ロイはアイズナーの性格に不安を感じていたが、大株主となったディック・バスが承認しウェルズ自身も強く推した事で、二頭体制がスタートした。

日本との関係では東京ディズニーシーのディズニー側責任者として交渉に臨んでいる。1991年9月5日、オリエンタルランドの高橋政知会長との会談で日本側より映画スタジオをテーマにした第二パーク計画の中止を正式に通知されると三年をかけたプロジェクトの変更に「我々のやってきた事はシシュフォスの石(the stone of Sisyphus賽の河原の意)に過ぎなかったのか」と正直に嘆じている。

冒険家としての顔も持ち、七大陸最高峰登頂を目標としていたが、エベレストのみ登頂の前日悪天候に見舞われ登頂はならなかった。彼の登山パートナーだったディック・バスは1985年に七大陸最高峰登頂を果たしている。1986年にはこれらの冒険を詳述した著書『Seven Summits』をバス、リック・リッジウェイとの共著で出版した。

1994年4月3日、ネバダ州のルビー山脈でのスキー旅行から帰宅途中、ヘリコプター墜落事故で死去。62歳没。没後ディズニー・レジェンドが贈呈され、1994年6月15日に公開された映画『ライオン・キング』は彼に捧げられた。カリフォルニア州バーバンクにあるウォルト・ディズニー・スタジオには彼の名を冠したビルが建設されている。

参考文献 編集

  • Smith, Dave (1998). Disney A to Z: The Updated Official Encyclopedia. New York: Hyperion Books. ISBN 0-7868-6391-9 

外部リンク 編集