フランク・デ・ブール

オランダのサッカー選手

フランシスカス・デ・ブールFranciscus De Boer1970年5月15日 - )は、オランダホールン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー(センターバック、左サイドバック)。

フランク・デ・ブール Football pictogram.svg
FrankBoer.JPG
名前
本名 フランシスカス・デ・ブール
Franciscus de Boer
愛称 Frank
ラテン文字 Frank de BOER
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1970-05-15) 1970年5月15日(48歳)
出身地 ホールン
身長 180cm
体重 76kg
選手情報
ポジション DF
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1999 オランダの旗 アヤックス 328 (29)
1999-2003 スペインの旗 FCバルセロナ 143 (5)
2003-2004 トルコの旗 ガラタサライSK 19 (2)
2004 スコットランドの旗 レンジャーズFC 15 (2)
2004-2005 カタールの旗 アル・ラーヤンSC 16 (5)
2005-2006 カタールの旗 アル・シャマルSC 1 (0)
通算 519 (43)
代表歴
1990-2004 オランダの旗 オランダ 112 (13)
監督歴
2008-2010 オランダの旗 アヤックス・ユース
2008-2010 オランダの旗 オランダ代表 (アシスタントコーチ)
2010-2016 オランダの旗 アヤックス
2016 イタリアの旗 インテル・ミラノ
2017 イングランドの旗 クリスタル・パレス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

双子の兄弟のロナルド・デ・ブールもサッカー選手であり、フランクとは異なりフォワードとしてプレーした。

目次

経歴編集

選手時代編集

クラブ編集

AFCアヤックス

AFCアヤックスの下部組織出身であり、センターバックに転向する前は左サイドバックであった。1988年に兄弟のロナルドとともにトップチーム昇格を果たし、1991-92シーズンにはUEFAカップ、1994-95シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグでそれぞれ優勝した。AFCアヤックス黄金時代の中心選手として活躍し、AFCアヤックスにとって利益の見込めるオファーが兄弟の片方に来た場合、もし一方が残留するのならば一方は移籍できるという口約束をクラブと兄弟の間で結んでいたが、この一方ではUEFAチャンピオンズリーグで再び優勝するべく彼らふたりをチームに留めておくという固い約束を株主と交わしており、デ・ブール兄弟との口約束は取り消されたのであった[1]。このため、1998-99シーズンにはいったんは6年間の契約延長で合意していたが、契約を無効とする法的措置に成功した。

FCバルセロナ

1999年1月、移籍金2200万ポンドでFCバルセロナへ移籍し、1998-99シーズンのリーグ優勝を経験した。2001年夏にはキャプテンに就任したが、ドーピング検査で禁止薬物(筋肉増強剤ナンドロロン)が検出され、長期の出場停止処分を受けた[2]。同時期にはエドガー・ダーヴィッツもドーピング陽性反応が出て出場停止処分を受けている。

キャリア晩年

2003年夏にトルコ・シュペルリガガラタサライSKに移籍し、2004年1月にスコティッシュ・プレミアリーグレンジャーズFCに移籍した。UEFA EURO 2004終了後に弟のロナルドとともにレンジャーズFCを退団し、カタールのアル・ラーヤンSCに移籍した。2006年4月、現役引退を発表した。

代表編集

オランダ代表としては2度のFIFAワールドカップ (1994, 1998) と4度のUEFA欧州選手権 (1992, 1996, 2000, 2004) に出場した。

1990年9月6日イタリア戦でオランダ代表デビューした。1998 FIFAワールドカップ準々決勝のアルゼンチン戦では、ロスタイムにFWデニス・ベルカンプめがけて60ヤードのロングパスを通し、決勝点を演出した[3][4][5]。母国オランダとベルギーで共催されたUEFA EURO 2000では準決勝に進出したが、準決勝のイタリア戦では試合中のみならずPK戦でもキックをミスし、敗退の一因となった[6]2003年3月29日UEFA EURO 2004予選チェコ戦 (1-1) でオランダ代表としては初となる通算100試合出場を達成した。UEFA EURO 2004本大会にも出場したが、準々決勝のスウェーデン戦で負傷し[7]、1-2で敗れた準決勝のポルトガル戦には出場できなかった[8][9]。大会終了後、DFヤープ・スタムとともに代表から引退した。通算112試合に出場し[10]エドウィン・ファン・デル・サールに塗り替えられるまでは最多出場記録を保持していた。

指導者時代編集

 
オランダ代表のアシスタントコーチを務めるデ・ブール

2007年に古巣アヤックスのユースチームの監督に就任した。UEFA EURO 2008終了後にオランダ代表監督にベルト・ファン・マルワイクが就任すると、フィリップ・コクーとともにオランダ代表のアシスタントコーチに就任し、2010 FIFAワールドカップで準優勝の結果を残した[11]

2010年まで代表のアシスタントコーチとアヤックスのユースチームの監督を兼任していたが、2010年12月にアヤックスのマルティン・ヨル監督が辞任したため、12月6日、ウィンターブレークまでの契約で臨時監督に就任した。UEFAチャンピオンズリーグACミラン戦(アウェー2-0)が初采配試合となったが、デミー・デ・ゼーウトビー・アルデルヴァイレルトの得点で見事に勝利した[12]2011年1月3日に正式にトップチームの監督に就任し、1月の移籍期間にFWルイス・スアレスやFWウルビー・エマヌエルソンなどの主力の放出を余儀なくさせられたが、クリスティアン・エリクセンシーム・デ・ヨングなどの若手を抜擢してチーム状態を改善した。リーグ戦では就任時の4位からじりじりと順位を挙げ、2位で最終節を迎えると、首位FCトゥウェンテとの直接対決となった最終節に3-1で勝利し、「こんなに素晴らしい誕生日プレゼントは期待していなかったよ」と語って41歳の誕生日に成し遂げた7シーズンぶりのリーグ優勝を祝った[13]

2016年8月9日、退任したロベルト・マンチーニの後任として、インテルナツィオナーレ・ミラノの監督に就任[14]9月18日に行われたユヴェントスFCとのイタリアダービーでは4年ぶりの勝利をインテルにもたらしたが、その後はリーグ戦で3連敗を喫するなど低迷し、11月1日に解任された[15]

2017年6月26日クリスタル・パレスFCの監督に3年契約で就任したが、9月11日に解任された。リーグ開幕から僅か4試合後の出来事であり、長いプレミアリーグの歴史上でも最短の解任記録である。またこの4試合は無得点に終わったため、リーグ戦無得点で解任された史上初めての監督となってしまった。 このリーグ戦の間に開催されたフットボールリーグカップ2回戦で2部のイプスウィッチ・タウン相手に2-1で下したのが唯一の勝利である。

所属クラブ編集

タイトル編集

選手時代編集

アヤックス・アムステルダム
FCバルセロナ

指導者時代編集

アヤックス・アムステルダム

個人成績編集

クラブ成績 リーグ カップ リーグ杯国際大会 通算
シーズンクラブリーグ 出場得点出場得点 出場得点 出場得点 出場得点
オランダ リーグKNVB杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
1988-89 アヤックス・アムステルダム エールディヴィジ 27 0
1989-90 25 0
1990-91 34 1
1991-92 30 1
1992-93 34 3
1993-94 34 1
1994-95 34 9
1995-96 32 3
1996-97 32 4
1997-98 31 5
1998-99 15 3
スペイン リーグ国王杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
1998-99 FCバルセロナ ラ・リーガ 19 2
1999-00 22 0
2000-01 34 3
2001-02 34 0
2002-03 35 0
トルコ リーグトルコ杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2003-04 ガラタサライSK シュペルリガ 15 1
スコットランド リーグスコットランド杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2003-04 レンジャーズFC スコティッシュ・プレミア 15 2
カタール リーグアミール杯 クラウンプリンス杯 アジア 通算
2004-05 アル・ラーヤンSC カタールリーグ 16 5
2005-06 アル・シャマル カタールリーグ 1 0
通算 オランダ 328 30
スペイン 144 5
トルコ 15 1
スコットランド 15 2
カタール 17 5
総通算 519 43

代表での出場試合数編集

[16]


オランダ代表国際Aマッチ
出場得点
1990 3 0
1991 2 1
1992 7 0
1993 7 0
1994 14 0
1995 6 0
1996 5 1
1997 6 3
1998 15 1
1999 7 0
2000 13 4
2001 6 1
2002 7 1
2003 10 1
2004 4 0
通算 112 13

監督成績編集

クラブ 就任 退任 記録
試合 勝ち 分け 負け 勝率 %
アヤックス 2010年12月6日 2016年5月11日 262 158 57 47 060.31
インテル 2016年8月9日 2016年11月1日 14 5 2 7 035.71
クリスタル・パレスFC 2017年6月26日 2017年9月11日 5 1 0 4 020.00
合計 281 164 59 58 58.36

脚注編集

  1. ^ The de Boers tackle contract law New York Times、1999年7月29日
  2. ^ “De Boer takes on Uefa”. BBC Sport. (2001年8月28日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/1513407.stm 2009年10月9日閲覧。 
  3. ^ “Oranje in 1998 voor het laatst in kwartfinale”. De Gelderlander. (2010年6月28日). http://www.gelderlander.nl/sport/wkvoetbal/6903024/Oranje-in-1998-voor-het-laatst-in-kwartfinale.ece 2010年7月14日閲覧。 
  4. ^ "Dutch defender Frank de Boer plays a sixty-metre pass, which finds a gap on the right side of the Argentina defence. At an unpromising angle, the ball drops from its high arc towards Holland's player of the age, Dennis Bergkamp, ..." Winner, David (2002). Brilliant orange: the neurotic genius of Dutch soccer. Overlook Press. ISBN 9781585672585. 
  5. ^ Ginanjar, Asep; Asep Ginanjar, Agung Harsya. 100+ Fakta Unik Piala Dunia. Penerbit Serambi. ISBN 9789790242128. 
  6. ^ Ruizenaar, Theo (2010年6月25日). “Dutch must keep their eye on the prize, say coaches”. The Province. http://www.theprovince.com/sports/Dutch+must+keep+their+prize+coaches/3201636/story.html 2010年7月14日閲覧。 
  7. ^ “Euro 2004 lijkt voorbij voor Frank de Boer”. Voetbal International. (2004年6月27日). オリジナル2013年1月12日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/20130112073027/http://www.vi.nl/nieuws/60457/Euro-2004-lijkt-voorbij-voor-Frank-de-Boer.htm 2010年7月14日閲覧。 
  8. ^ “Dutch play on without captain; Frank de Boer's international career likely over because of injury to ankle”. The Kitchener: p. C.9. (2004年6月29日) 
  9. ^ “SOCCER REPORT; Dutch Defender De Boer Injured”. Los Angeles Times. (2004年6月29日). http://pqasb.pqarchiver.com/latimes/access/656617661.html?dids=656617661:656617661&FMT=ABS&FMTS=ABS:FT&type=current&date=Jun+29%2C+2004&author=&pub=Los+Angeles+Times&desc=SOCCER+REPORT%3B+Dutch+Defender+De+Boer+Injured&pqatl=google 2010年7月14日閲覧。 
  10. ^ “Career Stats”. http://www.wereldvanoranje.nl/profielen/profiel.php?id=1072 2010年7月14日閲覧。 
  11. ^ “Denken aan, maar nog niet dromen over 1998”. BN/De Stem. (2010年6月28日). http://www.bndestem.nl/sport/wk2010/6900470/Denken-aan-maar-nog-niet-dromen-over-1998.ecehttp://www.bndestem.nl/sport/wk2010/6900470/Denken-aan-maar-nog-niet-dromen-over-1998.ece 2010年7月14日閲覧。  [リンク切れ]
  12. ^ “Immediate departure for Martin Jol”. AFC Ajax. (2010年12月6日). オリジナル2010年12月10日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101210162910/http://english.ajax.nl/News/Archive/Article/Immediate-departure-for-Martin-Jol.htm 2010年12月7日閲覧。 
  13. ^ “Ajax sink Twente to seal 30th Eredivisie title”. Berend Scholten on UEFA.com. (2011年5月15日). http://www.uefa.com/memberassociations/association=ned/news/newsid=1631415.html 2011年5月15日閲覧。 
  14. ^ デ・ブール氏がインテルの監督に就任 - uefa.com 2016年8月
  15. ^ わずか84日で…インテル、デ・ブール監督解任を発表 - フットボールチャンネル 2016年11月1日
  16. ^ http://www.rsssf.com/miscellaneous/fdeboer-intl.html

関連項目編集

外部リンク編集