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フランシスコ・ヘント

スペインのサッカー選手
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はヘント第二姓(母方の)はロペスです。

フランシスコ・ヘント・ロペスFrancisco Gento López1933年10月21日 - )は、スペインサンタンデール県グアルニソ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは左ウイング。愛称はパコPaco)、カンタブリアの突風Galerna del Cantábrico)。

フランシスコ・ヘント Football pictogram.svg
Paco Gento (cropped).png
名前
本名 フランシスコ・ヘント・ロペス
Francisco Gento Lopez
愛称 パコ (Paco)
カンタブリアの突風 (Galerna del Cantábrico)
ラテン文字 Francisco GENTO
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1933-10-21) 1933年10月21日(85歳)
出身地 グアルニソ
身長 171cm[1]
選手情報
ポジション WG
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1952-1953 スペインの旗 ラシン・サンタンデール 10 (2)
1953-1971 スペインの旗 レアル・マドリード 428 (126)
代表歴
1955-1969 スペインの旗 スペイン 43 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

目次

概要編集

現役時代、レアル・マドリードにて1950-60年代にアルフレッド・ディ・ステファノフェレンツ・プスカシュらと共に6度チャンピオンズカップを制した[2]。小柄であったが体が強く、卓越した俊足を持つだけでなく技術にも優れ、さらに左ウイングとしては比較的高い得点能力も併せ持っていた[3]ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で82位に、国際サッカー歴史統計連盟の20世紀世界最優秀選手ではジュスト・フォンテーヌと並んで30位に選出された。

フリオ、アントニオという2人の弟もサッカー選手であり、レアル・マドリードでプレーしていたこともあったが、兄のフランシスコほどの成功は手にできなかった。甥であるフランシスコ・ジョレンテやその息子であるマルコス・ジョレンテもレアル・マドリードに所属したサッカー選手である[4]

経歴編集

現役時代編集

ラーヨ・カンタブリアなどでユース時代を過ごし、1952-53シーズンにラシン・サンタンデールの選手としてプリメーラ・ディビシオンにデビューした。その翌シーズンにはレアル・マドリードと契約を結んだ。

 
左からヘント、ホルン、ディ・ステファノとヴィルケス(1959年)

レアル・マドリードでは、いずれも個人では単独での歴代最多記録となる12回のリーガ・エスパニョーラ優勝[5]と6回のUEFAチャンピオンズカップ優勝、さらにパオロ・マルディーニと並んで最多記録となる8回のUEFAチャンピオンズカップ決勝への出場を果たした。レアル・マドリードではクラブ記録となる23個のタイトルを獲得した。

1950年代にはアルフレッド・ディ・ステファノらを擁した第1次黄金期の一員としてチャンピオンズカップ5連覇を達成。とりわけディ・ステファノからの信頼は厚く、移籍直後は他クラブにレンタルされる予定だったヘントをレアル・マドリードに留まらせ、さらにプレーしやすいようにエクトル・リアルの獲得もクラブに進言した[6]。また、チャンピオンズカップ5連覇のうち最も苦労したと言われる第3回大会決勝では、「ディ・ステファノのファイナル」と呼ばれるほど孤軍奮闘し、疲弊し切ったディ・ステファノが延長時に「もう決められるのはお前しかいない、お前が決めろ」と話し、その後ヘントが決勝点を奪ってクラブを優勝に導いたという逸話もある[7]

1960年代中頃には、すっかり選手が入れ替わってピッリアマンシオ・アマロら若手選手が多く、俗にイエイエ・マドリードと呼ばれたチームにあって9シーズンの間キャプテンを務め、1966年に数年ぶりのチャンピオンズカップ優勝を果たした。チャンピオンズカップでは1955年から1969年までの間に通算43試合に出場して5得点を挙げた。国内でもリーグ優勝を12回も経験した他、長年にわたって数多くのタイトル獲得に貢献。シーズン2桁得点を10シーズン記録し、1965-66シーズンにはチーム得点王となった。

また、1955年にスペイン代表に初招集され、その後も長年活躍した。ワールドカップにも2度出場し、代表キャップ数43は当時のスペイン最多出場記録だった。晩年は、武器であるスピードが衰えてなお強力な選手であり続けた[3]

スペイン代表での得点編集

# 日付 会場 対戦チーム スコア 結果 大会
1. 1959年10月13日 エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ  マドリード   ポーランド 3 - 0 3 - 0 1960 欧州ネイションズカップ
2. 1961年4月2日 エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ  マドリード   フランス 2 - 0 2 - 0 親善試合
3. 1963年10月30日 ウィンザー・パーク  ベルファスト   北アイルランド 0 - 1 0 - 1 1964 欧州ネイションズカップ
4. 1966年6月23日 エスタディオ・デ・リアソール  ア・コルーニャ   ウルグアイ 1 - 1 1 - 1 親善試合
5. 1963年5月30日 サン・マメス  ビルバオ   トルコ 2 - 0 2 - 0 UEFA欧州選手権1968予選

現役引退後編集

1971年に引退した後は監督業を始め、カスティージャCFを率いた。その後も1974年にCDカステリョン、1977年から1980年までパレンシアCF、1980-81シーズンにはグラナダCFといくつかの下部リーグのクラブで監督を歴任した。その後は、ヨーロッパにおけるレアル・マドリードのアンバサダーという職を引き受けた。また1997年よりスペインの一地方選抜チームである、カンタブリア州代表の監督も兼任した。

2016年10月、ディ・ステファノの後任としてレアル・マドリードの名誉会長に就任した[8]

成績編集

シーズン クラブ 国内リーグ 国内カップ 国際カップ1 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
1952-53 ラシン・サンタンデール 10 2 4 0 0 0 14 2
1953-54 レアル・マドリード 17 0 4 0 0 0 21 0
1954–55 24 6 3 0 2 0 29 6
1955–56 29 7 6 3 7 1 42 11
1956–57 27 7 3 0 10 4 40 11
1957–58 28 7 5 1 6 3 39 11
1958–59 21 7 5 2 8 1 34 10
1959–60 27 14 5 3 6 2 38 19
1960–61 28 9 8 3 3 2 39 14
1961–62 25 6 9 4 9 2 43 12
1962–63 25 7 5 1 2 1 32 9
1963–64 24 12 2 0 9 3 35 15
1964–65 23 4 3 0 6 5 32 9
1965–66 28 10 3 2 9 3 40 15
1966–67 20 11 5 0 5 0 30 11
1967–68 24 8 0 0 7 5 31 13
1968–69 26 8 2 1 2 0 30 9
1969–70 24 3 4 1 3 3 31 7
1970–71 7 0 2 0 6 0 15 0
レアル・マドリード通算 427 126 74 21 100 35 601 182
通算 437 128 78 21 100 35 615 184

1インターコンチネンタルカップ, ラテン・カップ, UEFAチャンピオンズカップUEFAカップウィナーズカップ.

獲得タイトル編集

スペイン代表
レアル・マドリード

脚注編集

  1. ^ Gento, Francisco - national football teams
  2. ^ 特集 各国歴代最強イレブン【21】スペイン(2) - 時事ドットコム
  3. ^ a b クリストファー・ヒルトン 『欧州サッカーのすべて』 野間けい子、大栄出版、1995年ISBN 4886825850
  4. ^ 名門一家出身…レアルの20歳MFがデビュー「普段通りのプレーできた」 ワールドサッカーキング、2015年10月20日
  5. ^ http://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20130515/110212.html バルサのシャビ、リーガ優勝回数で現役最多とクラブ新記録を樹立
  6. ^ フィル・ボール 『レアル・マドリー ディ・ステファノからベッカムまで』 野間けい子、ネコパブリッシング、2004年ISBN 4-7770-5036-X
  7. ^ 西部謙司 『欧州サッカー 「最強クラブ」伝説』 PHP文庫2011年ISBN 978-4-569-67747-7
  8. ^ パコ・ヘント、レアル・マドリード名誉会長に就任 - realmadrid.com

外部リンク編集