フランス・プルビュス (子)

フランス・プルビュス(Frans Pourbus de Jongere、1569年 - 1622年2月19日)はフランドルの画家である。肖像画家として働き、パリでフランス国王アンリ4世の王妃、マリー・ド・メディシス宮廷画家などを務めた。同名の画家の父親、フランス・プルビュス(Frans Pourbus de Oudere:1545-1581)と区別するためにde Jongere(the Younger)や2世などを付けて区別される。フランスの宮廷画家時代は、フランソワ・プルビュス(François Pourbus le Jeun)と自称した。

フランス・プルビュス (子)
Frans Pourbus de Jongere
Charles d'Arenberg and Anne de Croy with family by Frans Pourbus the Younger, detail, possibly a self portrait.jpg
作品の一部に描かれた自画像とされる部分
生誕1569年
アントウェルペン
死没1622年2月19日
パリ

略歴編集

アントウェルペンで、同名の肖像画家のフランス・プルビュス(Frans Pourbus de Oudere:1545-1581)の息子に生まれた。父親から絵を学ぶが、父親が1581年に亡くなると、有名な画家の祖父、ピーテル・プルビュス(1523-1584)が後見人になって父親の工房を引き継いだ。祖父も亡くなった後の1591年に聖ルカ組合に入会を認められた。1600年になる前にブリュッセルに移り、スペイン領ネーデルラントの宮廷で肖像画家として働き、君主アルブレヒト・フォン・エスターライヒと妃イサベル・クララ・エウヘニアの肖像画を描いた。

その後、イタリアに移り、1600年からマントヴァ公国の宮廷画家になった[1]。マントヴァで活動した後、インスブルックナポリに滞在し、1609年にマントヴァ公妃、エレオノーラ・デ・メディチの妹で、フランス王妃となった、マリー・ド・メディシスの宮廷画家に任じられパリに移った。1610年からパリに住み、1618年からフランス王、ルイ13世の宮廷画家になり、同時代で最も有名な画家になった。1622年にパリで没した。

作品編集

脚注編集

  1. ^ Furlotti, Barbara (2008). The Art of Mantua. Getty Publications.

参考文献編集

  • Joseph Eduard Wessely: Pourbus, Pieter. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 26, Duncker & Humblot, Leipzig 1888, S. 490–492. Darin auch Franz Pourbus der Ältere und Franz Pourbus der Jüngere biografiert.
  • Ludwig Burchard: Pourbus, Fras d. J. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 27: Piermaria–Ramsdell. E. A. Seemann, Leipzig 1933, S. 315–319.