フランソワ・オマン=ビイク

カメルーンのサッカー選手

フランソワ・オマン=ビイク(François Omam-Biyik、1966年5月21日 - )は、カメルーン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元カメルーン代表。ポジションはフォワード1987年1990年1991年には、アフリカ年間最優秀選手賞で3位にノミネートされた。

フランソワ・オマン=ビイク
名前
ラテン文字 François Omam-Biyik
基本情報
国籍 カメルーンの旗 カメルーン
フランスの旗 フランス
生年月日 (1966-05-21) 1966年5月21日(57歳)
出身地 カメルーンの旗 サックバイェメ
身長 184㎝
選手情報
在籍チーム 引退
ポジション FW
背番号 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986-1987 カメルーンの旗 キャノン・ヤウンデ (?)
1987-1990 フランスの旗 スタッド・ラバル 81 (27)
1990-1991 フランスの旗 スタッド・レンヌ 38 (14)
1991-1992 フランスの旗 カンヌ 35 (7)
1992 フランスの旗 オリンピック・マルセイユ 1 (0)
1992-1995 フランスの旗 ランス 53 (18)
1994-1997 メキシコの旗 クラブ・アメリカ 75 (49)
1997 メキシコの旗 アトレティコ・ユカタン 21 (10)
1997-1998 イタリアの旗 サンプドリア 6 (0)
1998-1999 フランスの旗 プエブラ 17 (5)
1999-2000 フランスの旗 シャトールー 3 (0)
代表歴
1986-1998 カメルーンの旗 カメルーン 63 (21)
監督歴
2013 トーゴの旗 ゴミド
2013- ガボンの旗 ビタム
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラブ 編集

1986年カメルーンキャノン・ヤウンデでキャリアをスタート。そこで1年ほどプレーした後、フランススタッド・ラヴァルに移籍し、3シーズンで81試合27得点という記録を残した。1990年イタリアワールドカップでカメルーン代表として成功を収めた後、スタッド・レンヌに移籍し、1シーズンで38試合14得点を記録。1991年ASカンヌへ移籍。35試合7得点を記録し、オリンピック・マルセイユに移籍するが、わずか2試合しか出番はなく、RCランスに移籍。3シーズンプレイした後、メキシコクラブ・アメリカで3シーズンプレーし、75試合で49得点の活躍。その後はアトレティコ・ユカタンUCサンプドリアプエブラFCへと移籍し、2000年LBシャトールーでキャリアを終えた。

代表 編集

フランソワ・オマン=ビイクは、1986年からカメルーン代表に選ばれ、63試合に出場し、21得点。 FIFAワールドカップでは、90年94年98年の3大会に出場し、11試合2得点という記録を残している。 中でも90年大会、アルゼンチンとの開幕戦では、驚異的な高さからのヘディングで得点を挙げ、アルゼンチンを下すという大番狂わせを起こした[1]

個人成績 編集

クラブ 編集

シーズン クラブ リーグ 出場 得点
1996 キャノン・ヤウンデ プレミア・ディビジョン
1997
1987—1988 スタッド・ラヴァル リーグ・アン 24 11
1988—1989 25 4
1989—1990 32 12
1990—1991 スタッド・レンヌ リーグ・アン 38 14
1991—1992 ASカンヌ リーグ・ドゥ 35 7
1992 マルセイユ リーグ・アン 2 0
1992—1993 RCランス リーグ・アン 26 11
1993—1994 24 7
1994—1995 3 0
1994—1995 クラブ・アメリカ リーガMX 36 33
1995—1996 28 13
1996—1997 12 3
1997 アトレティコ・ユカタン リーガMX 21 10
1997—1998 UCサンプドリア セリエA 6 0
1998—1999 プエブラFC リーガMX 17 5
1999—2000 LBシャトールー リーグ・ドゥ 3 0

代表 編集

出場大会 編集

カメルーン代表

タイトル 編集

クラブ 編集

RCランス
オリンピック・マルセイユ
キャノン・ヤウンデ 

代表 編集

カメルーン代表

家族 編集

息子のエミリオ・オマン=ビイク、兄のアンドレ・カナ=ビイク、甥のジャン=アルメル・カナ=ビイク、いとこのフランシス・エリエゼル・オマンもサッカー選手。

出典 編集

  1. ^ 1990 cameroon argentina”. 2016年5月17日閲覧。

外部リンク 編集