フランソワーズ・ド・ロレーヌ

フランソワーズ・ド・ロレーヌFrançoise de Lorraine, 1592年11月 - 1669年9月8日)は、フランスのメルクール公爵家の女子相続人。メルクール女公およびパンティエーヴル女公(在位:1602年 - 1669年)。フランス王アンリ4世の庶長子であるヴァンドーム公セザールの妻。

フランソワーズ
Françoise
メルクール女公
パンティエーヴル女公
晩年のヴァンドーム公爵夫人フランソワーズ
在位 1602年 - 1669年

出生 1592年11月
フランス王国
ナント
死去 (1669-09-08) 1669年9月8日(76歳没)
フランス王国
パリ
配偶者 セザール・ド・ブルボン
子女 ルイ2世
エリザベート
フランソワ
家名 ロレーヌ家
父親 メルクール公フィリップ=エマニュエル
母親 マリー・ド・リュクサンブール
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生涯 編集

ロレーヌ公爵家の流れをくむメルクール公フィリップ=エマニュエルと、パンティエーヴル公爵家の女子相続人マリー・ド・リュクサンブール(リュクサンブール=リニー家)の間の長女として生まれた。父方の伯母ルイーズはフランス王アンリ3世の妃である。両親にとって唯一成育した子供であり、フランスで最も裕福な女子相続人の1人だった。

ユグノー戦争末期、ブルターニュ地方の知事だった父フィリップ=エマニュエルは、敵対していたナバラ王がアンリ4世としてフランス王位に就くと、スペインの支援を得てナントに独立政権を樹立し、ブルターニュ公国を再建しようとした。妻マリーがブルターニュ公爵位請求者だったことも、その野心を後押しした。フィリップ=エマニュエルは1598年3月にアンリ4世に降伏したが、同年5月にフランス、スペインの間で結ばれたヴェルヴァン条約では、6歳のフランソワーズと、アンリ4世が愛妾のガブリエル・デストレとの間にもうけた非嫡出子で4歳のセザールとの婚約が明記されていた。

フランソワーズは1602年に父を亡くし、メルクール公爵位およびパンティエーヴル公爵位を継承した。1609年7月19日にセザールとの結婚式が執り行われ、婚姻契約によりフランソワーズの領地の管理権はセザールに移った。1669年、パリにおいて77歳で亡くなった。

子女 編集

  • ルイ2世(1612年 - 1669年) - ヴァンドーム公爵、メルクール公爵、パンティエーヴル公爵
  • エリザベート(1614年 - 1664年) - 1643年、ヌムール公シャルル・アメデと結婚
  • フランソワ(1616年 - 1669年) - ボーフォール公爵

脚注 編集

参考文献 編集

  • Martha Walker Freer, History of the Reign of Henry IV, King of France and Navarre: Part 3. The last decade of a glorious reign. Vol. II., Hurst and Blackett, 1863. [1]
先代
フィリップ=エマニュエル
メルクール公
パンティエーヴル公
1602年 - 1669年
次代
ルイ・ジョゼフ