フリゼット
フリゼット(Frizette、1905年 - 1930年)は、アメリカ合衆国で生産・調教されたサラブレッドの競走馬、および繁殖牝馬。20世紀初頭から現代にかけて続く牝系の祖として、現代競馬に強い影響を残した。
フリゼット | |
---|---|
欧字表記 | Frizette |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1905年 |
死没 | 1930年 |
父 | Hamburg |
母 | Ondulee |
母の父 | St. Simon |
生国 |
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生産 | James R. Keene |
馬主 |
James R. Keene(アメリカ) →J. A. Wernberg →Heman B. Duryea |
調教師 | James Rowe Sr.(アメリカ) |
競走成績 | |
生涯成績 |
36戦12勝 (アメリカ時代のみ) |
獲得賞金 | (不明) |
経歴編集
出生編集
父ハンブルク・母父セントサイモンというこの配合を組んだのは、19世紀アメリカの弁護士、および名オーナーブリーダーであったウィリアム・コリンズ・ホイットニーである。ホイットニーはセントサイモン産駒の牝馬オンドゥリーに、自身が所有する種牡馬ハンブルクを種付けした。
1904年2月2日にホイットニーが死去すると、彼の所有していた馬は競売にかけられた。オンドゥリーもハンブルクの仔を身籠ったまま同年10月にマディソンスクウェアガーデンでの競売にかけられ、ホイットニーにとって競馬・ビジネスの両面でライバル関係にあったジェームズ・ロバート・キーンに14000ドルで購入された。
ケンタッキー州レキシントンの近くにあったキーン所有の牧場・キャッスルトンスタッドに移されたオンドゥリーは、そこで1905年に幅広のたてがみを持つ鹿毛の牝馬を産んだ。それが後のフリゼットであった。
競走馬時代編集
ジェームズ・ロウ調教師はキーンと親しい調教師の一人で、以前にはコマンドを預託していた人物である。フリゼットはそのロウのもとにコリンやケルトなどとともに預けられ、1907年にデビューした。
その競走成績はそれほど際立ったものではなかった。2歳時は9戦して4勝、ローズデイルステークスなどステークス競走にも勝っているが、早くもクレーミング競走[1]へ出走させられていた。
その後クレーミング競走において、ブルックリンの弁護士J. A. ヴェルンベルクに2000ドルで譲渡された。3歳時、フリゼットはヴェルンベルク所有のもとで数多くの出走を経験した。その多くはクレーミング競走で、27戦で8勝2着6回の成績を残した。
1908年9月18日、グレーヴゼンド競馬場で行われた9ハロン戦シーブリーズステークスの後、フリゼットはヒーマン・B・デュリエーに購入された。デュリエーはニューヨーク競馬に携わっていたホースマンで、この当時成立が予期されていた賭博行為の禁止条例(後の1910年に成立、2年間施行された)によって苦境に立たされている人物の一人でもあった。デュリエーは新たな事業としてフランスでの馬産を計画し、その牧場の基礎牝馬としてフリゼットを購入したのであった。
1908年の年末、フリゼットは他の牝馬数頭とともにフランスへと渡航した。繁殖シーズンまではまだ期間があったため、繁殖に入る前にフランスで競走に出走、勝ちを収めている。
引退後編集
フリゼットは1909年の春に引退し、デュリエーの作ったノルマンディーの牧場で繁殖入りした。
同牧場における主要種牡馬に、かつてデュリエーがアメリカで所有していた馬の一頭・アイリッシュラッドがいた。フリゼットは初年度にこのアイリッシュラッドと交配され、翌年に鹿毛の牝馬を産んだ。この牝馬はバンシーと名付けられて競走馬デビューし、1913年のプール・デッセ・デ・プーリッシュ(フランス1000ギニー)に優勝、フリゼットの繁殖牝馬としての資質を証明した。後にバンシーも繁殖牝馬として牧場に繋養されている。
1916年にデュリエーが他界すると、デュリエー夫人は遺言に従って牧場を存続させたが、その規模を縮小させている。この頃、デュリエーの牧場からそう遠くない場所に、繊維業で財産を築いた事業者マルセル・ブサックが自身の牧場を建設しようとしていた。
1919年、デュリエー夫人とブサックは、夫人の牧場にいる1歳馬をブサックに売る契約を交わした。このときブサックが手に入れた馬の中には、フリゼットの産んだ父デュルバルの牝馬、そしてバンシーの産んだ父デュルバルの牝馬が含まれていた。後に両者はフランス牝馬クラシック路線を賑わす存在となり、前者はモルニ賞やフォレ賞に勝つデュルゼッタに、後者はグランクリテリウムやヴェルメイユ賞に勝つデュルバンとなった。そしてこれらはブサックの生産における基礎牝馬となり、ブサックのオーナーブリーダー業の礎となった。
フリゼットの産駒からは8頭の産駒が勝ち上がりを決め、そのうち5頭がステークス競走の勝ち馬となる堅実な繁殖成績を残したが、1920年生のオンデュレーションを出した後は競走勝ち馬を出すことはなかった。しかし、フリゼット産駒の価値はその競走成績よりも、牝系としてそれ以上の大きな貢献があったことで知られる。
1926年、デュエリー夫人は牧場、およびそこに残っていたすべての馬を売却した。そのなかには21歳になったフリゼットも含まれており、ブサックによって買い取られた。フリゼットはブサックの馬産の基本となる牝馬たちの祖になるという大きな功績を残した基礎牝馬であったが、ブサックが手にしたときにはすでに高齢で、特に最後の2年間は高齢のため産駒を出すこともできなかった。
フリゼットは24歳の時、見切りをつけたブサックによって屠殺場へと送られ、屠殺処分という形でその生涯を終えた。
繁殖成績編集
生年 | 馬名 | 性 | 毛色 | 父 | 戦績・繁殖成績 |
---|---|---|---|---|---|
1910 | Banshee | 牝 | 鹿毛 | Irish Lad | プール・デッセ・デ・プーリッシュなど 繁殖牝馬。Durban(モルニ賞)、Heldifann(ヴェルメイユ賞)などを出す。2代先に名種牡馬Tourbillonがいる。 |
1911 | Frizzle | 牡 | 栗毛 | Biniou | ステークス競走勝ち馬 種牡馬 |
1913 | Crimper | 牡 | 栗毛 | Maintenon | 一般競走勝ち馬 種牡馬 |
1914 | Tranby | 牡 | 鹿毛 | Irish Lad | 未勝利馬 |
1915 | Mary Maud | 牝 | 栗毛 | Irish Lad | ジュヴェナイルステークスなど 繁殖牝馬。3代先に馬術競技の殿堂馬Sinjonがいる。 |
1916 | Frizeur | 牝 | 栗毛 | Sweeper | 一般競走勝ち馬 繁殖牝馬。Black Curl、PairbyPair、Crowning Glory、Myrtlewoodのステークス勝ち馬4頭を出す。 |
1917 | Lespredeza | 牝 | 栗毛 | Durbar II | 一般競走勝ち馬 繁殖牝馬。 |
1918 | Durzetta | 牝 | 栗毛 | Durbar II | モルニ賞など 4代先にプール・デッセ・デ・プーリッシュ優勝馬Djelfaがいる。 |
1919 | Princess Palatine | 牝 | 栗毛 | Prince Palatine | 未出走 2代先にCCAオークス優勝馬Vagrancyがいる。 |
1920 | Ondulation | 牝 | (不明) | Sweeper | ノネット賞など 4代先にDahliaがいる。 |
1921 | Antar | 牡 | (不明) | Durbar | 未勝利馬 |
1922 | Frizelle | 牝 | 鹿毛 | Durbar | 未出走 2代先にジョッケクルブ賞優勝馬Cillasがいる。 |
1924 | Freebar | 牡 | (不明) | Durbar | 未勝利馬 |
1927 | Arabesque | 牝 | (不明) | Ramus | 未勝利馬 |
主な牝系活躍馬編集
フリゼットの牝系から出た代表産駒の一頭に、ブサックの馬産における傑作のひとつトウルビヨンがいる。種牡馬としてフランス競馬界の頂点に長期間君臨したトウルビヨンには、フリゼットが持っていたレキシントンの血統が流れていた。レキシントンはジェネラルスタッドブックに遡れない血統を持っている馬の一頭で、当時存在したジャージー規則によってサラブレッドとして認められなかった馬であり、その子孫はイギリスに輸入することができなかった。しかしその「サラブレッドとして認められない馬」であるはずのトウルビヨン産駒の活躍は顕著で、これが後にその規則を見直す契機となり、1949年になってジャージー規則は撤廃されている。
このほかでは、20世紀前半ではアメリカ殿堂馬にもなったマートルウッド、20世紀後半では同じくアメリカ殿堂馬ダリアやミスタープロスペクター、シアトルスルーなどが出ている。日本でもこの牝系から出た名馬は多く、プリテイキャストやサクラチトセオーなどがここを出身としている。
フリゼット系編集
- Stray Shot (1872 Toxophilite) --- 13-c
- Shotover (1879 Hermit)
- Ornis (1890 Bend Or)
- Ondulee (1889 St. Simon)
- Frizette ---←(改行)
- ---↓フリゼット牝系
- Frizette (1905 Hamburg)
- |Banshee (1910 Irish Lad)
- ||Durban (1918 Durbar)
- || Tourbillon (牡、1928 Ksar)
- ||Heldifann (1921 Durbar)
- | |Coronis (1935 Tourbillon)
- | | Calonice (1940 Abjer)
- | | Paleo (1953 Pharis)
- | | *Partholon (牡、1960 Milesian)
- | |Djezima (1933 Asterus)
- | Tourzima (1939 Tourbillon)
- | |Albanilla (1951 Pharis)
- | | *Marilla (1957 Marsyas)
- | | Kelty (1965 *Venture)
- | | Delsy (1972 Abdos)
- | | |Darara (1983 Top Ville)
- | | | River Dancer (せん、1999 Sadler's Wells)
- | | |Darshaan (牡、1981 Shirley Heights)
- | |Bielka (1960 Coaltown)
- | Stoyana (1976 Abdos)
- | Sidama (1982 Top Ville)
- | Sinntara (1989 Lashkari)
- | Sinndar (牡、1997 Grand Lodge)
- |Durzetta (1918 Durbar II)
- | Galicienne (1926 Lemberg)
- | Cingalaise (1931 Grazing)
- | Cynthia (1940 Thor)
- | Djelfa (1948 Djebel)
- |Frizeur (1916 Sweeper)
- ||Black Curl (1924 Friar Rock)
- || Black Wave (1935 Sir Gallahad)
- || Jet Pilot (牡、1944 Blenheim)
- ||Bluelarks (1937 Blue Larkspur)
- || Lita's Agent (1944 Special Agent)
- || Larks War (1949 War Relic)
- || Flag Raiser (牡、1962 Rough'n Tumble)
- ||Janet Blair (1921 Sir Martin)
- || Spur Flower (1933 Blue Larkspur)
- || Meadow Flower (1947 Bull Lea)
- || Lester's Pride (1957 Model Cadet)
- || Shecky Greene (牡、1970 Noholme)
- ||Myrtlewood (1932 Blue Larkspur)
- | |Crepe Myrtle (1938 Equipoise)
- | ||Myrtle Charm (1946 Alsab)
- | || Fair Charmer (1959 Jet Action)
- | || My Charmer (1969 Poker)
- | || |Lomond (牡、1980 Northern Dancer)
- | || |*Seattle Dancer (牡、1984 Bold Reasoning)
- | || |Seattle Slew (牡、1974 Bold Reasoning)
- | ||Spinosa (1956 Count Fleet)
- | | Masked Lady (1964 Spy Song)
- | | Who's to Know (1970 Fleet Nasrullah)
- | | Jolie Jolie (1980 Sir Ivor)
- | | Jolie's Halo (牡、1987 Halo)
- | |Durazna (1941 Bull Lea)
- | ||Manzana (1948 Count Fleet)
- | || Journalette (1959 Summer Tan)
- | || *Typecast (1966 Prince John)
- | || プリテイキャスト (1975 カバーラップ二世)
- | ||Querida (1951 Alibhai)
- | | Dear April (1958 My Babu)
- | | Highest Trump (1972 Bold Bidder)
- | | Wasnah (1987 Nijinsky II)
- | | Bahri (牡、1992 Riverman)
- | |Miss Dogwood (1939 Bull Dog)
- | Sequence (1946 Count Fleet)
- | Gold Digger (1962 Nashua)
- | |Mr. Prospector (牡、1970 Raise a Native)
- | |Myrtlewood Lass (1972 Ribot)
- | |Amelia Bearhart (1983 Bold Hour)
- | | Chief Bearhart (牡、1993 Chief's Crown)
- | |Joy of MyrtleWood (1984 Northern Jove)
- | *Silver Joy (1993 Silver Deputy)
- | オウケンブルースリ (牡、2005 ジャングルポケット)
- |Frizelle (1922 Durbar II)
- | Orlanda (1929 Craig An Eran)
- | Cillas (牡、1935 Tourbillon)
- |Ondulation (1920 Sweeper)
- | Gilded Wave (1938 Gallant Fox)
- | Adorada (1947 Hierocles)
- | Charming Alibi (1963 Honeys Alibi)
- | |Dahlia (1978 Vaguely Noble)
- | ||*Dahar (牡、1981 Lyphard)
- | ||Dahlia's Dreamer (1989 Theatrical)
- | || Racey Dreamer (せん、1999 A. P. Indy)
- | ||Delegant (牡、1984 Grey Dawn)
- | ||Rivlia (牡、1982 Riverman)
- | |Golden Alibi (1978 *Empery)
- | Dockage (1984 Riverman)
- | Docklands (1989 Theatrical)
- | Rail Link (牡、2003 Dansili)
- |Princess Palatine (1919 Prince Palatine)
- Valkyr (1925 Man O'War)
- |Vagrancy (1939 Sir Gallahad)
- ||Natasha (1952 Nasrullah)
- || Natashka (1963 Dedicate)
- || |Arkadina (1969 Ribot)
- || | *First Act (1986 Sadler's Wells)
- || | ヘヴンリーロマンス (2000 *Sunday Silence)
- || |Truly Bound (1978 In Reality)
- || *Bound to Dance (1986 Northern Dancer)
- || シルクプリマドンナ (1997 *Brian's Time)
- ||Vulcania (1948 Some Chance)
- | |Abeyance Lass (1955 Ambiorix)
- | | *Clare Bridge (1967 Quadrangle)
- | | Ferdinand (牡、1983 Nijnsky II)
- | |Legato (1956 Dark Star)
- | Banja Luka (1968 Double Jay)
- | サクラクレアー (1982 *Northern Taste)
- | サクラチトセオー (牡、1990 Tony Bin)
- |Valkara (1937 Gallant Fox)
- *Falker (1948 Alsab)
- ブラックターキン (1954 Ribot)
- シャダイターキン (1966 *Guersant)
- ダイナターキン (1979 *Northern Taste)
- レッツゴーターキン (牡、1987 *Targowice)
評価編集
主な勝鞍編集
- 1907年(2歳) 9戦4勝
- ローリエイトステークス、ローズデイルステークス、トロイクレーミングステークス
- 1908年(3歳) 27戦8勝(※アメリカ時代のみ)
表彰編集
- 1945年 - ベルモントパーク競馬場に、フリゼットの名を冠したフリゼットステークスが創設される。
血統表編集
フリゼットの血統(グレンコー系(ヘロド系) / Vandal 父内5x5=6.25%、 Lexington 父内5x5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 Hamburg 1895 鹿毛 アメリカ |
父の父 Hanover1884 栗毛 アメリカ |
Hindoo | Virgil | |
Florence | ||||
Bourbon Belle | Bonnie Scotland | |||
Ella D | ||||
父の母 Lady Reel1886 鹿毛 アメリカ |
Fellowcraft | Australian | ||
Aerolite | ||||
Mannie Gray | Enquirer | |||
Lizzie G | ||||
母 Ondulee 1898 鹿毛 イギリス |
St. Simon 1881 青鹿毛 イギリス |
Galopin | Vedette | |
Flying Duchess | ||||
St. Angela | King Tom | |||
Adeline | ||||
母の母 Ornis1890 栗毛 イギリス |
Bend Or | Doncaster | ||
Rouge Rose | ||||
Shotover | Hermit | |||
Stray Shot F-No.13-c |
父ハンブルクは1890年代に活躍した馬で、2歳では135ポンド(約61.2キログラム)を背負ってグレートイースタンハンデキャップに勝ち、3歳時にはローレンスリアライゼーションステークスで優勝している。競走馬として活躍した産駒も多く、代表産駒にアメリカ殿堂馬アートフルなどがいる。
母オンドゥリーがキャッスルトンスタッドで産んだ産駒はフリゼットのみで、その直後アルゼンチンへと売却された。フリゼットのほかの産駒に、種牡馬になったマラトン(ケンタッキーダービー優勝馬ビヘイブユアセルフの父)、アルゼンチンの競走馬ジグザグなどがいる。
三代母ショットオーヴァーは、2000ギニー、ダービーステークスの二冠を達成し、イギリスクラシック三冠に挑んだ史上唯一の牝馬である。
脚注編集
- ^ 出走馬の売却を前提とした競走。出走馬に対して他の馬主から購入希望があった場合、所有者はその馬を売らなければならない。
外部リンク編集
- Thoroughbred Heritage - Frizette - Thoroughbred Heritage (英語)
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ