フリッツ・マハループ(Fritz Machlup、1902年12月15日 - 1983年1月30日)は、オーストリアウィーナー・ノイシュタットで生まれ、アメリカで活躍した経済学者。専門は国際金融論、外国為替論、国際経済学のほか、企業理論、特許経済学、経済哲学と広範であった。バッファロー大学ジョンズ・ホプキンス大学プリンストン大学ニューヨーク大学で教授を務めた。オーストリア学派

フリッツ・マハループ
オーストリア学派
聖アルブレヒト大学創立300年記念式典にて(右がマハループ)
生誕 (1902-12-15) 1902年12月15日
ウィーナー・ノイシュタット
死没

1983年1月30日(1983-01-30)(80歳)


ニュージャージー州プリンストン
国籍 オーストリア
研究機関 ニューヨーク大学(1971-83)
プリンストン大学(1960-83)
ジョンズ・ホプキンズ大学(1947-59)
バッファロー大学(1935-47)
研究分野 企業理論、国際金融論、特許経済学
影響を
受けた人物
ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス
フリードリヒ・フォン・ヴィーザー
影響を
与えた人物
マートン・ミラー
エディス・ペンローズ
ジョン・ウィリアムソン
実績 マハループの衣裳箪笥説
情報社会(Information society)
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略歴 編集

業績 編集

1943年に『国際貿易と国民所得乗数』を出版した。

次いで、著名な論文「限界分析と経験的研究」(『アメリカン・エコノミック・レビュー』、1946年9月号)で、リチャード・レスターの批判から伝統的な企業の利潤極大化理論を防御した。レスターの論議が事実上正しいと述べた上で、正統派の企業の概念は典型的な企業として説明することであり、全行動を説明することではなく、控え目な抽象概念であるとのべた。企業理論に関して、自分の論議を説明する『販売競争の経済学』(1952年)と『独占の政治経済学』(1952年)を発表した。また、企業行動の理論について、重要な貢献である『基点価格制度』(1949年)を出した。  また、特許の経済学にも関心を持っており、『特許システムの経済学的検討』(1958年)が生まれた。

1960年にプリンストン大学に移籍したことが契機になって、若いころの主題である国際金融改革に関心が戻った。『国際金融システムの改革計画』(1962年)に続き、『国際通貨協定』(マハループとB・G・マルキール編集、1964年)、『国際収支の均衡維持と均衡回復』(1966年)、『国際金融制度の再構築』(1968年)、『経済統合に関する思想史』(1977年)が出版された。

マハループの衣裳箪笥説(The Cloakroom Rule)は「一国が最適と考える外貨準備水準は、あたかも一家の主婦が適当と考える箪笥の中の衣裳の枚数のようなものであり、外貨準備高もその国の伝統や面子などによって決められる」とする説である("The Cloakroom Rule of International Reserve Creation and Resources Transfer", QJE, 1965)。

マハループのもう1つのテーマは経済哲学であり、『経済的意義学』(1963年)、『経済学方法論と他の社会科学』(1978年)等がある。

また、G・ビトロス編『マハループ精選経済学著作集』(1976年)がある[1]

経済における情報の役割に注目した先駆者でもあり、『アメリカ合衆国における知識の生産と配分』(1962年・邦訳は高橋達男・木田宏共訳『知識産業』)がある。死の直前、さらに 'Knowledge: Its Creation, Distribution, and Economic Significance' と名付けられた10巻シリーズの著書の発行を進めていたが、3巻までで終わってしまった。

著作 編集

脚注 編集

  1. ^ 業績欄は『ケインズ以後の100大経済学者』(同文館)pp. 180-183を参照。