フリードリヒ (ヴァルデック侯)

フリードリヒFriedrich, 1865年1月20日 - 1946年5月26日)は、ヴァルデック侯国最後の(在位:1893年 - 1918年)。ゲオルク・ヴィクトルの長男。

フリードリヒ
Friedrich
ヴァルデック=ピルモント侯
在位 1893年 - 1918年

全名
出生 (1865-01-20) 1865年1月20日
ヴァルデック侯国
アーロルゼン
死去 (1946-05-26) 1946年5月26日(81歳没)
連合国軍占領下のドイツ
アーロルゼン
配偶者 バティルディス
子女
家名 ヴァルデック家
父親 ゲオルク・ヴィクトル
母親 ヘレーネ
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生涯 編集

 
きょうだい達とフリードリヒ(前列左、1880年頃)

1865年1月20日、ヴァルデック侯ゲオルク・ヴィクトルとその最初の妃であったナッサウヴィルヘルムの娘ヘレーネ(1831年 - 1888年、後のルクセンブルク大公アドルフの異母妹)の間に第6子としてアーロルゼン(現ヘッセン州ヴァルデック=フランケンベルク郡バート・アーロルゼン)で生まれた。全名はフリードリヒ・アドルフ・ヘルマン(Friedrich Adolf Hermann)。姉にオランダウィレム3世妃となったエンマイギリス王子レオポルド妃となったヘレーネがいる。

ゲッティンゲン大学ライプツィヒ大学で学んだのち、プロイセン王国の近衛部隊に勤めた。

1893年に父の死去によって侯位を嗣ぎ、1895年ボヘミアナーホトで、シャウムブルク=リッペ侯子ヴィルヘルムの娘バティルディス(1873年 - 1962年)と結婚した。

1918年ドイツ革命が発生すると他の王侯たちとともに退位し、君主権を失った。退位後もアーロルゼンで暮らし、1946年5月26日に同地で死去した。

子女 編集

妃のバティルディス・ツー・シャウムブルク=リッペとの間には以下の三男一女をもうけた。

関連項目 編集

  ウィキメディア・コモンズには、フリードリヒ (ヴァルデック侯)に関するカテゴリがあります。

先代
ゲオルク・ヴィクトル
ヴァルデック侯
1893年 - 1918年
次代
ドイツ革命により退位)
先代
ゲオルク・ヴィクトル
ヴァルデック=ピルモント家家長
1918年 - 1946年
次代
ヨシアス