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ブバスティスギリシア語: Βούβαστις Boubastis[1] または、Βούβαστος Boubastos[2]; コプト語ボハイラ方言: Ⲡⲟⲩⲃⲁⲥϯ Poubasti)は、アラビア語テル=バスタ、またはエジプト語ペル=バストとしても知られ、古代エジプトの都市の一つである。ブバスティスはしばしば聖書ピ・ベセトヘブライ語 פי־בסתPY-BSTエゼキエル書30章17節[3])に同定される。その属するノモスの首都であり、下エジプトデルタ地域のナイル川沿いに位置し、ネコ科の女神バスト崇拝の拠点で、それ故に、ネコのミイラのエジプトにおける主要な保管所であった。

ブバスティス
Βούβαστις
テル=バスタ
تل بسطة‎ (Tell-Basta)
Bubastis 011.JPG
ブバスティスの眺望
別名 Bubastis (ブバスティス)〔英語
Ⲡⲟⲩⲃⲁⲥϯ (プバスティ)〔コプト語
Βούβαστος (ブバストス)〔ギリシア語
Pr-Bȝśt.t / Per-Bast (ペル=バスト)〔エジプト語
所在地 エジプトシャルキーヤ県テル=バスタ
地域 下エジプト
座標 北緯30度34分13.4秒 東経31度30分49.5秒 / 北緯30.570389度 東経31.513750度 / 30.570389; 31.513750座標: 北緯30度34分13.4秒 東経31度30分49.5秒 / 北緯30.570389度 東経31.513750度 / 30.570389; 31.513750
種類 居住地
さらなる情報
状態 廃墟テル (遺丘)
テル=バスタ
テル=バスタの位置(エジプト内)
テル=バスタ
テル=バスタ
エジプトにおける位置
北緯30度34分13.4秒 東経31度30分49.5秒 / 北緯30.570389度 東経31.513750度 / 30.570389; 31.513750
 エジプト
等時帯 UTC+2 (EET)
 • 夏時間 +3
アヴァリス英語版を示す古代下エジプトの地図(ブバスティスなどの主要都市の位置も示してある)。
ブバスティス
ヒエログリフで表示
bAstt
niwt

その廃墟は、現代の都市ザガジグの郊外に位置している。

語源編集

エジプト語におけるブバスティスの名は“Pr-Bȝśt.t”で、通常は“Per-Bast”(ペル=バスト)と転写される。“PR”は「家」を意味し、2番目の語“Bȝśt.t”は女神バストすなわちバステトの名である。一句で「バステトの家」を意味し[4]、すなわち「バステトの神殿」という意味である[5]。コプト語ボハイラ方言では、Ⲡⲟⲩⲃⲁⲥϯ(プバスティ)、またはⲠⲟⲩⲁⲥϯ(プアスティ)、Ⲃⲟⲩⲁⲥϯ(ブアスティ)となっている。

歴史編集

 
ニコルソン博物館英語版展示のブバスティスの神殿のハトホルの柱頭

ブバスティスは、下エジプト第18ノモスブバスティス・ノモス、すなわちアム=ケント(Am-Khent[6])・ノモスの首都として機能した。タニスの南西、ナイルのペルシオン支流Pelusiac branch)の東岸に立地していた。このノモスと都市ブバスティスはエジプトの軍人カーストのうちカラシリエスの地区に割り当てられていた[7]

第22王朝最初の支配者で創設者であり、紀元前943年にファラオとなったシェションク1世以後、王室在所となった。ブバスティスはこの王朝と第23王朝の間、最盛期であった。それはカンビュセス2世による紀元前525年のペルシアの征服以後、下り坂となり、サイス第26王朝の終わりとアケメネス朝の始まりの先触れをなした。

エジプト第22王朝の君主は9人、または、エウセビオスによれば[8]、3人のブバスティスの王で構成されており、彼らの治世中には、この都市はデルタで最も顕著な場所だった。ブバスティスの南にはすぐに、プサメティコスイオニアカリアの傭兵の奉仕に褒賞とした土地が割り当てられており、都市の北側にはファラオネコ2世が始めた(が、決して成し遂げなかった)ナイルと紅海の間を通す運河が始まっている[9] 。ブバスティスがペルシアによって奪われた後、その市壁は取り壊された。この時代より、第2アウグスタムニカ英語版属州主教座英語版毎の教会編年誌[10]に現われるものの、次第に下り坂となった。ハドリアヌス時代のブバスティス製の硬貨が存在している。

以下はヘロドトスがブバスティスに割いた記述で、紀元前525年のペルシアの侵入後間もなくのことのようで、ハミルトンは、廃墟の見取り図がこの歴史家の目の当たりに目撃した正確さを顕著に保証している、と述べている[11]

ブバスティスのものよりも宏壮で贅を尽くした神殿はあるが、これほど見る目に快いものは一つとしてない。その様式は以下の通りである。その入り口を除いては、水に囲まれており、2本の運河が川から枝分かれしてきて、神殿への入り口まで走っており、どちらの運河も互いに入り交じることはないのだが、一方はその片側を走り、もう一方もそのようになっている。それぞれの運河は100フィートの幅があり、その土手は樹々に覆われて走っている。プロピュライアは高さが60フィートあり、素晴らしく見事な出来映えの彫刻で(おそらく陰刻の浮彫)9フィートの高さにわたって飾り立てられている。この神殿は市の中央にあるので、周囲を巡りながら、どの側からでも眺められる。このことは、神殿自体は動かされたことがないが、その元の場所にそのままである一方で、市がかさ上げされてきたことによる。神殿のすぐ周囲には、彫刻で飾り立てられた壁が巡らされている。その囲いの内側には、(バストの)彫像のある壮大な建物の回りに植えられた相当背の高い樹々の木立がある。その神殿の形は、一辺がそれぞれ長さ1スタディオンの方形である。入り口に接して、3スタディオンの長さにわたって公衆市場[12]を貫いて東方へと導く石で築かれた道がある。この道はおよそ400フィートの広さがあり、並外れて背の高い樹々が配されている。それはヘルメスの神殿へと導いている。

宗教編集

 
ファラオアメノピス2世のレリーフ、赤花崗岩製。アメン神を崇めるファラオを描写したもの。第18王朝、およそ紀元前1430年頃から。セトス1世(およそ紀元前1290年頃)による追加の碑銘付き。元ブバスティスより、大英博物館所蔵[13]

ブバスティスはネコ科の女神バスト[14]崇拝の拠点であり、古代ギリシア人はそれをアルテミスに比定した。ネコ神聖英語版にしてバステト特有の動物で、ネコまたは雌ライオンの頭部で表現され、記念碑の碑銘において、しばしば神柱プタハに付き従っている。従って、ブバスティスにおける墳墓は、ネコのミイラ英語版のエジプトにおける主要な保管所であった。[15][16]

ブバスティスの町とノモスのその最も顕著な特徴は、バストの神託とその女神の壮麗な神殿、彼女に敬意を表する例年の行進であった。神託は、ギリシア人定住者のデルタへの流入の後、バストのアルテミスとの比定が、現地のエジプト人も外国人もその殿堂に引き付けたため、人気を増し重きを加えた。

ブバスティスの祭は、ヘロドトスによって描写されている通り、全てのエジプトの歳時記の中で最も楽しげで豪華なものだった。

男女でいっぱいになり、ナイルに浮かべられてのんびりと下る全ての種類の艀や川舟。男たちはロートスの笛を吹き続けた。女たちはシンバルやタンバリン。そしてこのように、音楽に合わせて手拍子や踊り、その他の楽しげな身振りや、楽器を持たなかったりしたものはいなかった。彼らは河の上にいる間そのようにしたが、その土手にある町に差し掛かると艀は早められ、巡礼者たちは下船し、女たちは歌い、はしゃぎながらその町の女たちを冷やかし、服を頭の上にまでまくり上げる。彼らはブバスティスに着くと、驚くべきほど物々しい祝宴を開く。その年の残りの全ての期間におけるよりも多くの葡萄酒がこの日々に飲まれるのである。この祭の流儀はこのようなものなのである。そして、バストの饗宴を同時に祝するための巡礼者たちは、知られているだけでも70万の多数に上るのだと言われている。[17]

キリスト教区編集

現存の文献が、4世紀と5世紀のブバスティスの3人のキリスト教司教の名を述べている。[18][19][20]

発掘物編集

後期新王国宰相イウティ英語版の墳墓が、エジプト考古学者シャフィク・ファリドによってブバスティスの「貴人の墓地」で1964年12月に発見された。

 
アメンホテプ3世の公式像の上半身、一組の彫像の一方。エジプト、ブバスティス(テル=バスタ)より。アメリア・エドワーズ・コレクションより。ロンドンのエジプト考古学ピートリー博物館。

2008年以降、ドイツ=エジプトの「テル=バスタ・プロジェクト」が、ブバスティスでの発掘を指揮している。以前には、2004年3月に、よく保存されたカノプス勅令の写しがこの都市で発見された。[21]

関連項目編集

注釈編集

  1. ^ ヘロドトス歴史』第2巻59節・137節。
  2. ^ ストラボン地理誌英語版』第17巻1章、ディオドロス歴史叢書英語版』第16巻51節、プリニウス博物誌』第5巻9章、プトレマイオス地理学』第4巻5章52節。
  3. ^ エゼキエル書』30章17節:“.בחורי און ופי־בסת, בחרב יפלו; והןה, בשבי תלכןה‎” 「オンとピ・ベセトの若者たちは剣に倒れ、彼女らは囚われの身へと赴くであろう」。“הןה‎”「彼女ら」が若者たちを指すことはあり得ないので、これらの都市を指すはずである。ヘブライ語で「都市」を意味する語は、一般に女性名詞(עיר, קריה‎)である。〔補足:新共同訳聖書では「オンとピ・ベセトの若者たちは剣(つるぎ)に倒れ、他の人々は捕囚として連れ去られる。」(※斜体と下線による強調は引用者によるもの)となっており、このヘブライ語の三人称複数女性形代名詞הןה‎”をそれらの都市の住民たちを指すものと解釈している。これに対して岩波書店旧約聖書翻訳委員会訳では「オンとピ・ベセトの若者たちは剣に斃(たお)れ、女たちは連行されて行くであろう。」(※斜体と下線による強調は引用者によるもの)としており、都市住民のうち、男子が殺されて女子が捕囚となる、と解釈している(脚注には「原文『彼女たち』」とある)〕
  4. ^ Bakr, Mohamed I.; Brandl, Helmut (2010). “Bubastis and the Temple of Bastet”. In Bakr, M.I.; Brandl, H.; Kalloniatis, F. (英語). Egyptian Antiquities from Kufur Nigm and Bubastis. Vol. 1. カイロベルリン: M.i.N. Museums in the Nile Delta” [M.i.N. ナイル・デルタにおける博物館] (英語). project-min.de. フンボルト大学ベルリン考古学研究所エジプト学および北東アフリカ考古学. 2015年1月8日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年1月8日閲覧。. pp. 27-36. ISBN 978-3-00-033509-9. 
  5. ^ 「○○の家」とは古代オリエントで幅広く用いられていた慣用表現で、○○が人名であれば国家や王朝(通常は開祖の王の名前が○○となる)を意味し、神名であれば神殿を意味する。
  6. ^ イメティ=ケンティ(Imety-Khenty)とも転写される。ノモス (エジプト)#ノモスの一覧参照。
  7. ^ ヘロドトスは『歴史』において、エジプトには“カラシリエス”(Καλασίριες Calasiries)と“ヘルモテュビエス”(Ἑρμοτύβιες Hermotybies)という軍人カーストが存在し、それぞれ決められた州(ノモス)の出身者から成っていたと記している。ブバスティスはテーベやタニス等と共に、カラシリエスの出身州であると記されている。カラシリエスおよびヘルモテュビエスの語義については明らかでない。(ヘロドトス『歴史』第2巻164 - 166節)。
  8. ^ 年代記英語版
  9. ^ ヘロドトス『歴史』第2巻158節
  10. ^ 〔補足:「教会編年誌」の原文は ecclesiastical annals
  11. ^   Smith, William, ed. (1854–1857). "Bubastis". Dictionary of Greek and Roman Geography. London: John Murray. Retrieved 2012-01-28. (ヘロドトス『歴史』第2巻137-138節)。
  12. ^ 〔補足:「公衆市場」の原文は public market だが、松平千秋訳『ヘロドトス 歴史』〈岩波文庫〉によればアゴラのこと〕
  13. ^ 大英博物館収集品
  14. ^ 女神バストは、バステトBastet)とも呼ばれ〔エジプト語表記“Bȝśt.t”の“-t.t”の表記は、本来、女性形語尾-t”を強調したもので、末尾の“.t”は実際には発音されていなかった可能性がある〕、もしくは(都市にちなんで)ギリシア語でブバスティスとも呼ばれる。
  15. ^ Evans, Elaine A.. “Cat Mummies” [猫のミイラたち] (英語). マクラング自然史文化博物館. マクラング自然史文化博物館英語版. 2018年4月8日閲覧。
  16. ^ Scott, Nora E. (1958). “The Cat of Bastet” (英語) (PDF). メトロポリタン美術館紀要 (ニューヨーク: メトロポリタン美術館) (SUMMER): 1-8. https://www.metmuseum.org/pubs/bulletins/1/pdf/3258805.pdf.bannered.pdf 2018年4月8日閲覧。. 
  17. ^   Smith, William, ed. (1854–1857). "Bubastis". Dictionary of Greek and Roman Geography. London: John Murray. Retrieved 2012-01-28. (ヘロドトス『歴史』第2巻60節)。
  18. ^ Gams, Pius Bonifacius (1931) (ラテン語). Series episcoporum Ecclesiae Catholicae. ライプツィヒ: Hiersemann K. W.. p. 461. http://www.wbc.poznan.pl/dlibra/doccontent?id=65154&dirids=1 2014年8月20日閲覧。. 
  19. ^ Le Quien, Michel (1740). “IV. ECCLESIA BUBASTI (coll. 559-562)” (ラテン語). Oriens christianus in quatuor Patriarchatus digestus. Tomus Secundus (II). パリ: Typographia Regia. pp. 80-81. https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=mwJhAAAAcAAJ&q=BUBASTI#v=snippet&q=BUBASTI&f=false 2014年8月20日閲覧。. 
  20. ^ Worp, Klaas A. (1994). “A Checklist of Bishops in Byzantine Egypt (A.D. 325 - c. 750)” (英語) (PDF). Zeitschrift für Papyrologie und Epigraphik (ライデンボン: ライデン大学/Dr. Rudolf Habelt有限会社) (100): 283-318. https://openaccess.leidenuniv.nl/bitstream/handle/1887/8214/5_039_223.pdf?sequence=1 2014年8月20日閲覧。. 
  21. ^ テル=バスタ・プロジェクトエジプト調査学会(EES)/ゲッティンゲン大学考古最高評議会) - エジプト調査学会(EES)

外部リンク編集