ブライアン・メイ (作曲家)

ブライアン・メイ: Brian May1934年7月28日 - 1997年4月25日)はオーストラリア映画音楽家指揮者で、1970年代から1980年代にかけて起こったオーストラリアン・ニュー・ウェーヴ英語版中に活躍したことで知られている。また映画音楽家としては、『マッドマックス』(1979年)と『マッドマックス2』(1981年)を手掛けたことが最も知られている[1]

Brian May
ブライアン・メイ
生誕 (1934-07-28) 1934年7月28日
オーストラリアの旗 オーストラリアアデレード
死没 1997年4月25日(1997-04-25)(62歳)
オーストラリアの旗 オーストラリアビクトリア州メルボルン
ジャンル 映画音楽
職業 作曲家指揮者
担当楽器 ピアノヴァイオリン
活動期間 1957年–1997年

キャリア 編集

メイは1934年7月28日にアデレードで生まれた[2]。その後、アデレードにあるエルダー音楽院英語版に進み、ピアニストヴァイオリニスト指揮者として研鑽を積んだ[2]

1957年にはABCアデレードに入り、ABCアデレード・ビッグバンド(The ABC Adelaide Big Band)の立ち上げ・指揮を請われたが、このバンドはABCの地方局が立ち上げた中で最高峰と言われるほどの本格的アンサンブルとなった。35歳でメイはメルボルンへ移り、ABCのメルボルン・ショウ・バンド(The ABC's Melbourne Show band)で編曲・指揮を担当した。ショウ・バンドは1969年3月13日に、ファースト・ネットワーク(the First Network)でラジオデビューを飾った。当時、オーストラリアのテレビでは背景音楽レコードから流されていたが、メイはこれを大きく変え、『ベルバード英語版』、『リターン・トゥ・エデン英語版』、『ザ・ラスト・フロンティア』"The Last Frontier"、『ア・デンジャラス・ライフ英語版』、『ダーリン・オブ・ザ・ゴッズ』"Darling of the Gods"(いずれも原題)などの番組でテーマの書き下ろし・編曲を行った[3]

メイにとってのブレイクスルーは、19世紀にビクトリア州で起こったビクトリアン・ゴールド・ラッシュ英語版を舞台にしたドラマシリーズ、『ラッシュ英語版』を手掛けたことであった。テーマ音楽はオーストラリアの音楽家ジョージ・ドレフュス英語版が作曲したものだったが、メイによるアレンジがショウ・バンドによって演奏・収録されると、すぐにオーストラリア・チャートの頂点に登り詰め(5位を記録)、10万枚以上を売り上げる大ヒットとなった[3]。当時このような成功を収めていたのは、大体がシャーベットスカイフックス英語版のようなポップグループであった。メイは大人気テレビ番組『カウントダウン英語版』のテーマも手掛けた(メルボルン・ショウ・バンドが演奏した)。彼は1984年にABCを離れ、映画音楽に関心を寄せるようになる。その後30本以上の作品を手掛けたが、担当作には『マッドマックス』(1979年)と『マッドマックス2』(1981年)のほか[4]、『誓い』(1981年)[5]、『エルム街の悪夢 ザ・ファイナルナイトメア』(1991年)、『Dr.ギグルス』(1992年)、『ハリウッド・ナイトメア』の1話分などがある。メイは、自身の楽譜を自らオーケストレーションすることを好んだ。

死とレガシー 編集

メイは1997年4月25日に62歳で亡くなった[6]。死に当たり、メイは自身の手書き楽譜をクイーンズランド工科大学に寄贈した。以来この楽譜はオーストラリア国立図書館によって管理されている[7]

彼の遺志は、オーストラリアの映画音楽家たちに南カリフォルニア大学で映画音楽について学ぶ機会を与える、慈善基金・ブライアン・メイ基金 (the Brian May Trust) を設立することであった。管財人たちは、南カリフォルニア大学のソーントン・スクール・オブ・ミュージック英語版で映画音楽を学ぶコース("Scoring for Motion Pictures and Television Graduate Certificate" と呼ばれる)へ派遣する奨学金制度の設立を決めた。ブライアン・メイ基金による奨学金制度は、2003年度に初めて行われた[6]。その後奨学制度の対象は、ニューヨーク大学シュタインハルト・スクール英語版に変更された[8]

フィルモグラフィ 編集

受賞とノミネート 編集

メイは『マッドマックス』でオーストラリア映画協会英語版賞(現・オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞)最優秀作曲賞を受賞している[9]。また、オーストラリア・パフォーミング・ライツ・アソシエーション英語版のゴールデン・アワード(the Golden Award)など、多数の賞を受賞している。

映画賞 対象作品 部門 結果
1979年 オーストラリア映画協会賞英語版 マッドマックス
Mad Max
最優秀作曲賞英語版 受賞[10]
1981年英語版 オーストラリア映画協会賞 ロードゲーム英語版
Roadgames
最優秀作曲賞 ノミネート[11]
1982年 オーストラリア映画協会賞 マッドマックス2
Mad Max 2
最優秀作曲賞 ノミネート[12]
1985年 オーストラリア映画協会賞 クエスト/伝説の冒険英語版
Frog Dreaming
最優秀作曲賞 ノミネート[13]

脚注 編集

  1. ^ Ivan Hutchinson, "Brian May", Cinema Papers, Feb-March 1985 p47-49, 88
  2. ^ a b About Brian May”. Brian May Scholarship. 2018年12月28日閲覧。
  3. ^ a b Hannan 2010, p. 59.
  4. ^ 『マッドマックス』三部作のサントラを収めたアナログレコード3枚組『Mad Max Trilogy』が4月発売”. amass.jp (2017年2月5日). 2018年12月28日閲覧。
  5. ^ Gallipoli (1981) - Music - TCM.com”. 2018年12月28日閲覧。
  6. ^ a b About Brian May”. Brian May Scholarship. 2012年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月19日閲覧。
  7. ^ & Hannan 2010.
  8. ^ Brian May Scholarship”. Steinhardt - Department of Music and Performing Arts Professions. New York University. 2015年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月19日閲覧。
  9. ^ Brian May (1934-1997)”. フィルム・スコア・マンスリー英語版 (1997年5月6日). 2015年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月19日閲覧。
  10. ^ Past Awards - 1979”. オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞. 2018年12月28日閲覧。
  11. ^ Past Awards - 1981”. オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞. 2018年12月28日閲覧。
  12. ^ Past Awards - 1982”. オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞. 2018年12月28日閲覧。
  13. ^ Past Awards - 1985”. オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞. 2018年12月28日閲覧。

参考文献 編集

外部リンク 編集