ブラウンシュヴァイク

紋章 地図
Braunschweiger Stadtwappen Lage der kreisfreien Stadt Braunschweig in Deutschland
基本情報
連邦州: ニーダーザクセン州
郡: 郡独立市
緯度経度: 北緯 52度16分09秒
東経 10度31分16秒
標高: 海抜 75 m
面積: 192.13 km²
人口:

251,364人(2015年12月31日現在) [1]

人口密度: 1,308 人/km²
郵便番号: 38100 - 38126 (旧: 3300)
市外局番: 0531, 05300, 05307, 05309, 05341
ナンバープレート: BS
自治体コード: 03 1 01 000
市の構成: 20 市区
ウェブサイト: www.braunschweig.de
行政
上級市長: Ulrich Markurth (SPD)
多数派政党: CDU、FDP
1300年頃のブラウンシュヴァイク。(マッパ・ムンディのひとつエブストルフの地図 (英語)より)
市庁舎
ハインリヒ獅子公

ブラウンシュヴァイク: Braunschweig, : Brunswick)は、ドイツの都市。ニーダーザクセン州の代表的都市であり、人口25万2,768人は同州においては州都ハノーファーにつづく規模にあたる (2015年)。「Brunoの村」の意味(Brunoはブルン1世を指す)。

目次

地勢編集

ハルツ山地の北方に位置する。土地は肥沃であり農業が盛ん。交通の要所でもあり、商工業も発展している。近隣の都市としては、約25キロほど北東に位置するヴォルフスブルク、40キロほど南西に位置するヒルデスハイム、55キロほど北西に位置するハノーファーなどが挙げられる。

歴史編集

ブラウンシュヴァイクの起源には明らかな記録はなく、伝承ではふたつの集落が合併して始まったという。ひとつは861年にオーカー川の片側にザクセン王ブルノ1世が開いたとされる集落、もう一つは伝説の貴族ダンクヴァルトが置いた集落という。ダンクヴァルターローデ城 (「ダンクヴァルト卿の開墾地」の城) は19世紀に再建された[2][3]

この都市は旧称をブルンズウィク (Brunswik) といい、人名のブルノと低地ドイツ語のウィク (Bruno + wik) の合成語である。ウィクとは商人が滞在したり物資を保管したりする場所を指すことから、オーカー川の対岸にfordをのぞみ身を寄せる最良の場所を意味するという。また別の説は、森林を焼いて (ブラント) 開墾したという故事を引いている[4]

ブルンズウィクの名前が最初に現われるマグニ教会の文書は1031年に記された[3]。今日、教会はマグニ地区の中心として、Altenwiekの旧Weichsel地区に建つ。

中世においては、神聖ローマ皇帝と争ったハインリヒ獅子公の拠点であった。ハインリヒ獅子公の子孫が治めたブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国ではリューネブルクと並ぶ主要都市であり、17世紀よりブラウンシュヴァイク公国の都となり、第一次世界大戦後はブラウンシュヴァイク州の州都であった。第二次世界大戦後、イギリスの占領統治を経てニーダーザクセン州に属することとなった。

人口統計編集

ブラウンシュヴァイクの人口は25万2,768人(2015年)であり[5]、25歳から34歳の若者にとってドイツの最も魅力的な20都市のひとつとされたことが若い住民の流入に結びついている[6]

宗教編集

2015年の統計によると、住民の半数に当たる12万6,379人がキリスト教以外の宗教の信者または無信心であった[5]。キリスト教徒はプロテスタントが9万1,785人(36.3%)、ローマカトリック教徒3万4,604人(13.7%)である。また同統計により、ドイツ国籍を含む全住民のうち25.6%に当たる6万4,737人に移民出身という背景があること[47]、その10.2%はドイツ国籍がないとわかる(2万5,676人)[5]

以下の表に国籍がドイツ以外の住民の人口をまとめた[7]

ドイツ以外の国籍の住民数 (人)
(ブラウンシュヴァイク市)
順位 国籍 人口 (2014年)
1   トルコ 5,272
2   ポーランド 3,370
3   イタリア 1,342
4   中国 1,078
5   スペイン 720
6   ロシア 691
7   ギリシャ 519
8   セルビア 421

文化編集

数学者カール・フリードリヒ・ガウスの出身地としても知られるブラウンシュヴァイクは、1989年数学オリンピックを開催[8]。また、ドイツ最古かつ、ヨーロッパで2番目に古い名門であるブラウンシュヴァイク工科大学 (TU Braunschweig) を擁する。

スポーツ編集

 
ドイツ初のサッカー競技規則 (ウィルヘルム・コッホ訳)
 
アイントラハト・スタディオン競技場
 
フォルクスワーゲン・ハーレ室内競技場

ブラウンシュヴァイクには、それぞれの種目でドイツ初のスポーツクラブが複数あり、そのひとつがサッカークラブで1895年設立のアイントラハト・ブラウンシュヴァイクである。ハンドボールの MTV ブラウンシュヴァイクは市内最古のスポーツクラブで (創立1847年)、セミプロフェッショナル・リーグ3部所属。

アイントラハト・ブラウンシュヴァイクはサッカー・ブンデスリーガ創設時のチームのひとつで、1967年には鉄壁の守備でリーグ優勝を成し遂げた(この際、当時の最小失点記録を樹立)。1988年には元サッカー日本代表風間八宏も在籍していた。しかしその後は低迷を続け、2004年から2005年の地域リーグでは好成績を維持、同州のオスナブリュックなどとの昇格争いを経て2部への復帰を果たした。ブンデスリーガ2部と地域リーグ(3部)の入れ替え戦をたびたび迎えながら厚いファン層に支えられている。

このクラブはいくつもの有力な競技チームを育てており、フィールドホッケーの女子チームは1965–1978年の間に9回全国優勝を達成。アイスホッケー、フィールドハンドボール水球でも全国1、2の強豪チームを擁してきた。本拠はアイントラハト・スタディオン競技場(英語版) に置く。

国内初のサッカーの試合が1874年にこの都市で開かれたというエピソードは、2011年、ドイツで映画化された[9]。イギリス帰りの教師ウィルヘルム・カール・ヨーハン・コンラート・コッホ (英語版) がサッカー競技規則をドイツ語に訳して、自分が教えるギムナジウムの生徒たちに対戦させたのが始まりとされている[注 1]

2000年からフォルクスワーゲン・ハーレ室内競技場 (英語版) を本拠地とするバスケットボール・ロウエン・ブラウンシュヴァイク (英語版)[11]は、国内プロバスケットボールリーグ1部の「バスケットボール・ブンデスリーガ」に所属する。

姉妹都市編集

当地に因む地名編集

カナダ[12]など世界の旧イギリス領植民地の国々に「ブランズウィック」という地名がある。ドイツのブラウンシュヴァイク市の旧称「ブルンズウィク」 (Brunswik) から発音を引き継いだもので、18世紀からイギリスを治めたハノーヴァー朝がドイツのブラウンシュヴァイク=リューネブルク家の流れを汲むことから来ている[13]

アメリカ合衆国
イギリス
オーストラリア
スロベニア
チリ

「新ブラウンシュヴァイク」を意味する地名もある。

編集

  1. ^ 実際に1875年に発表された最初のドイツ版競技規則はラグビーの形式を残しており、ドイツでフットボール・アソシエーションの競技規則が普及するのは1900年以降[10]

脚注編集

  1. ^ ニーダーザクセン州統計およびコミュニケーション局 - 人口統計
  2. ^ 『 ブラウンシュヴァイクとハノーバー—父祖の地の物語と回顧録)』より「ブラウンシュヴァイク市史の概要」。H. Mack (1925). F. Fuhse. ed. “Überblick über die Geschichte der Stadt Braunschweig” (ドイツ語). Vaterländische Geschichten und Denkwürdigkeiten der Lande Braunschweig und Hannover (Braunschweig: Appelhans Verlag) 1 (Braunschweig): 34. 
  3. ^ a b ブラウンシュヴァイク市公式サイトより、"Brunesguik"の最初の記録と創始者の日について。Die Ersterwähnung von "Brunesguik" und die Gründungssage” (de). Braunschweig.de. 2015年7月12日閲覧。
  4. ^ 『ブラウンシュヴァイク市の歴史』(《ブランズウィック、900年にわたる都市の印象》シリーズより)。Moderhack, Richard (1997) (ドイツ語). Braunschweiger Stadtgeschichte. Braunschweig, das Bild der Stadt in 900 Jahren. 1. Braunschweig: Wagner. pp. 14–15, 21. ISBN 3-87884-050-0. OCLC 722671146. 
  5. ^ a b c 現在の人口。Aktuelle Bevölkerungsdaten” (German). ブラウンシュヴァイク市公式サイト (2015年12月31日). 2016年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月29日閲覧。
  6. ^ ニューヨークタイムズ紙記事の転載より、「ドイツの《人が集まる都市》とは」。Eisenring, Christoph (2016年8月8日). “In Deutschlands "Schwarmstädten"” (German). ニューヨークタイムズ. http://www.nzz.ch/wirtschaft/wirtschaftspolitik/wo-es-junge-menschen-hinzieht-in-deutschlands-schwarmstaedten-ld.109558 2016年10月20日閲覧。 
  7. ^ ブラウンシュヴァイクの外国籍住民国別統計。Ausländische Einwohner in Braunschweig nach Nationen” (German). ブラウンシュヴァイク市公式サイト (2014年9月18日). 2015年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月17日閲覧。
  8. ^ 日本が初めて数学オリンピックに選手団を派遣した北京大会 (1990年) の前年、1989年の開催地はブラウンシュヴァイクである。
  9. ^ 1874年にこのブラウンシュヴァイクで国内初のサッカーの試合が開かれたというエピソードは映画化されて日本でも公開。邦題は『コッホ先生と僕らの革命』。
  10. ^ サッカーの発祥地はブラウンシュヴァイクにあった。Die Wiege des Fußballs stand in Braunschweig” (de). 2012年8月8日閲覧。
  11. ^ 2013年までの名称はニューヨーカー・ファントムズ・ブラウンシュヴァイク。
  12. ^ カナダ人のアイデンティティーとは—国家と紋章—ニューブランズウィック。New Brunswick - Anthems and Symbols - Canadian Identity”. Pch.gc.ca (2013年8月28日). 2015年7月12日閲覧。
  13. ^ イギリスの国章も参照。Royal Arms of Britain”. 2016年5月10日閲覧。 “ブルンスウィック・リューネブルク家はヨーロッパで最も有名で最も古いハノーバー家の枝であり、ドイツで最も顕著な王座のひとつです;”

外部リンク編集