ブラッドリー・ウィギンス

サー・ブラッドリー・ウィギンスSir Bradley Marc Wiggins, CBE、 1980年4月28日- )は、イギリス自転車競技選手。2004年12月31日に、大英帝国勲章オフィサー(大英帝国四等勲爵士)を受章。2009年に同コマンダー(大英帝国三等勲爵士)を授与された。[1]

ブラッドリー・ウィギンス
Bradley Wiggins
基本情報
本名 サー・ブラッドリー・マーク・ウィギンス
Sir Bradley Marc Wiggins
愛称 ウィゴ
Wiggo
生年月日 (1980-04-28) 1980年4月28日(44歳)
国籍 イギリスの旗 イギリス
身長 190cm
体重 71kg
選手情報
所属 引退
分野 ロードレース&トラックレース
役割 選手
特徴 TTスペシャリスト
オールラウンダー
プロ経歴
2001
2002–2003
2004–2005
2006–2007
2008
2009
2010-2015.4
2015.5-2016
リンダ・マッカトニー
フランセズ・デ・ジュー
クレディ・アグリコール
コフィディス
チーム・ハイロード
ガーミン・スリップストリーム
チームスカイ
チーム・ウィギンス
グランツール最高成績
ツール・ド・フランス 総合優勝 (2012)
ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合2位 (2011)
主要レース勝利

オリンピック

個人追抜 2004, 2008
団体追抜 2008, 2016
個人タイムトライアル 2012

世界選手権

個人追抜 2003,2007-2008
団体追抜 2007-2008
マディソン 2008,2016
個人タイムトライアル 2014

ツール・ド・フランス

総合 2012
区間通算2勝

パリ〜ニース

総合 2012

クリテリウム・デュ・ドフィネ

総合 2011-2012

ツール・ド・ロマンディ

総合 2012

ツアー・オブ・カリフォルニア

総合 2014

ツアー・オブ・ブリテン

総合 2013

イギリスの旗 イギリス選手権

個人ロード 2011
個人TT 2009, 2010, 2014

ジロ・デ・イタリア

区間通算1勝
獲得メダル
オリンピック
2004 アテネ 個人追抜
2008 北京 個人追抜
2008 北京 団体追い抜き
2012 ロンドン ITT
2016 リオデジャネイロ 団体追抜
2004 アテネ 団体追抜
2000 シドニー 団体追抜
2004 アテネ マディソン
世界選手権自転車競技大会
2003 シュトゥットガルト 個人追抜
2007 マヨルカ島 個人追抜
2007 マジョルカ島 団体追抜
2008 マンチェスター 個人追抜
2008 マンチェスター 団体追抜
2008 マンチェスター マディソン
2014 ポンフェラーダ 個人タイムトライアル
2016 ロンドン マディソン
2000 マンチェスター 団体追抜
2001 アントウェルペン 団体追抜
2003 シュトゥットガルト 団体追抜
2011 コペンハーゲン 個人タイムトライアル
2013 トスカーナ 個人タイムトライアル
2016 ロンドン 団体追抜
2002 コペンハーゲン 団体追抜
最終更新日
2016年8月14日

経歴

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ウィギンスは1980年にベルギーヘントオーストラリア人のガリー・ウィギンス英語版(1952 – 2008)と、イングランド人の母リンダの間に生まれる。ガリーは6日間レースなどに参加するトラック選手だった。ウィギンスが2歳の時に両親が離婚したため、母と共にロンドンへ移住することになった。

キャリア初期からオリンピック

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幼少時のウィギンスはサッカーチームに所属していたが、12歳のときバルセロナ五輪クリス・ボードマン金メダルを獲得したことに影響を受け、自転車競技に傾倒するようになった[2]

1948年に開催されたロンドンオリンピックトラックレースの会場となったハーネヒル自転車競技場で自転車選手としての歩みをスタートさせる。ちなみにブラッドリーは出生地・ヘントで2003年に開催された6日間レースにおいて、マシュー・ギルモアとコンビを組んで優勝している(父親は優勝経験がなかった)[3]

1998年ジュニア世界選手権自転車競技大会の2000m個人追い抜きを優勝。エリートに転じてからは2003年世界自転車選手権の4000m個人追い抜きで優勝。そして2004年アテネオリンピックでは、4000m個人追い抜きで金、団体追い抜きで銀、マディソンで銅のそれぞれメダルを獲得。2007年の世界選手権においては個人・団体の両追い抜き種目で金メダルを獲得した。

オリンピック二冠達成

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2008年3月26日、マンチェスターで開催された世界自転車選手権・個人追い抜きにおいて、オランダイェンニング・ヒュイゼンハを破り同大会同種目連覇。そしてこの種目での北京オリンピック出場を決めた。また、同年3月27日の同大会団体追い抜きでも優勝(イギリスチームは3分56秒32という当時の世界最高記録をマーク)を果たし、2年連続の個人・団体両追い抜き世界チャンピオンとなった。また、マーク・カヴェンディッシュとペアを組んだマディソンでも優勝した。

8月に行われた北京オリンピックでは個人追い抜きと団体追い抜きで金メダルを獲得(団体追い抜きでは、3月の記録をさらに上回る3分53秒314の世界最高記録を樹立)し、オリンピックのメダルの数は自転車選手としては史上最多タイの6個となった。

ロードレース

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北京オリンピックで成果を残した2008年シーズンを最後にウィギンスはトラック競技に区切りをつけ、2009年から競技の中心をロードレースへ移した。それ以前のロードレースの成績としては、2007年ドーフィネ・リベレでプロローグ制覇、ダンケルク4日間レースで区間優勝を果たしたが、いずれもタイムトライアルでのもの。また、同年のツール・ド・フランスにおいて、第6ステージの敢闘賞を獲得している。 グランツールでは2005年2006年2007年ツール・ド・フランス、2005年と2008年のジロ・デ・イタリアに出場している。

2009年

2010年

2011年

ツール・ド・フランス総合優勝

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2012年

  • パリ〜ニースでは、リーウ・ウェストラと第5ステージ以降接戦を演じ、最後の個人タイムトライアルでウェストラを2秒差下し(区間優勝)、総合8秒差で総合優勝。
  • ツール・ド・ロマンディでは、ルイス・レオン・サンチェスとの競り合いとなったが、最終第5ステージの個人タイムトライアルでサンチェスから総合首位の座を奪い取って総合優勝。
  • クリテリウム・デュ・ドフィネでは、得意の個人タイムトライアルでの快走に加え、山岳ステージでも大崩れしない走りを見せ、2年連続の総合優勝を決めた。
  • 6回目の出場となったツール・ド・フランスでは、プロローグの個人タイムトライアルで、ファビアン・カンチェラーラに次いで2位に入り、その後、第6ステージまでカンチェラーラに次ぐ総合2位を堅持。そして中級山岳とはいえ、ゴール地点が1級カテゴリである第7ステージにおいて、チームメイトのクリス・フルームの強力な登坂力を利して[4] 区間3位に入り、同ステージ終了後、マイヨ・ジョーヌをカンチェラーラから奪取した。そして、第9ステージの個人タイムトライアルで、ツール・ド・フランスとしては自身初勝利となる区間優勝[5] を果たし、この時点で総合2位に浮上したカデル・エヴァンスに1分53秒の差をつけ、山岳ステージが始まる中・後半戦を迎えることになった。そして、第10ステージからはじまったアルプス山脈超えステージで、エヴァンスが不調[6] や不運なトラブル[7] に見舞われたこともあって総合首位の座を不動のものとし、続くピレネー山脈超えステージでも、フルームの登坂力を利しながら、総合3位に浮上したヴィンチェンツォ・ニバリを第17ステージで完封[8]。そして第19ステージの個人タイムトライアルも完勝[9] し、イギリス国籍選手として初めてツール・ド・フランスで総合優勝を果たした[10]。加えて、オリンピックのトラックレースの金メダリストがツールを制するのも、これが初めて[11] である。

オリンピック個人タイムトライアル優勝

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  • 地元開催となるロンドンオリンピックではロードレースの種目(個人ロード、個人タイムトライアル)のみ出場。開会式ではマイヨ・ジョーヌを意識したであろう黄色いサイクルジャージを着用したウィギンスが開会の合図となる「オリンピック・ベル」を鳴らした[12]
  • 8月1日に行われた個人タイムトライアルでは、参加選手中ただ一人50分台(50分39秒54)をマークし金メダルを獲得した。なお、オリンピックのメダルの数は自転車選手としては単独史上最多の7個となった。

その後

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2013年ジロ・デ・イタリアを目標として調整し、カタルーニャ一周を総合5位で終えた。しかしジロでは雨に濡れた下り坂に苦戦した。自ら「少女のように坂を下る」などと語り、風邪と肺の感染症に苦しみ第12ステージでメイン集団から脱落してしまった。第13ステージを出走せずリタイアした[13]。その後シーズン後半に体調を回復し、ツアー・オブ・ブリテン総合優勝やロードレース世界選手権・ITT銀メダルを獲得。

2014年パリ〜ルーベで終盤まで先頭集団に残り最終的に9位に入った。ツアー・オブ・カリフォルニアロードレース世界選手権・ITTを制した。

2015年、パリ〜ルーベを最後にロードレースの第一線から退くことを表明。パリ〜ルーベを18位でゴールし、その後自ら立ち上げたUCIコンチネンタルチームチーム・ウィギンス英語版へ移籍した。

ふたたびトラックレースへ

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2015年のパリ〜ルーベ終了後、翌年の2016年リオデジャネイロオリンピック団体追い抜きでの金メダルを目指し、再びトラックレースに活動の中心を移す。6月7日、リー・バレー・ヴェロパークアワーレコードに挑戦し54.526kmの世界新記録を樹立[14]

2016年世界選手権自転車競技大会トラックレースではカヴェンディッシュとの往年のコンビでマディソンを優勝、団体追い抜きでは2位となった。

オリンピック団体追い抜きでは3:50.265の世界記録を樹立して金メダルを獲得。オリンピックのメダルの数は自転車選手としては単独史上最多の8個となった。

引退

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2016年12月28日、自身のフェイスブックなどで現役引退を表明した。[15]

主な実績

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1998年

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2000年

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2003年

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2004年

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2007年

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2008年

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2009年

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2010年

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2011年

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2012年

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2013年

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2014年

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2015年

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2016年

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備考

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  • アーセナルFCのファン。
  • 2010年に所属しているチームスカイの他のメンバーが電動版のデュラエースDi2をセレクトする中、ウィギンスのみ「飛ばしシフトが出来ない」(一度に2段シフトできない)という理由からワイヤー版の7900シリーズをセレクトしている。またチェーンリングも、楕円チェーンリング(O.Symetric)を使用しているなど、機材に拘りを見せている。
  • 2013年には「ウィットに富んだイギリス人セレブ」の一般投票で1位に選ばれた[16]

脚注

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  1. ^ The London Gazette Publication date:31 December 2008”. 2019年4月5日閲覧。
  2. ^ ベロ マガジン日本語版vol.2 p.30、ベースボール・マガジン社、2012年。なお、後年ウィギンスは、ボードマンをコーチとして迎え入れ、ボードマンと同じ五輪金メダリストとなり、さらにはボードマン自身がなしえなかったツール総合優勝を現実のものとしている。ウィギンス圧勝!英国人初総合V/ツール - 日刊スポーツ 2012年7月22日付
  3. ^ www.cyclingnews.com presents the 86th Giro d'Italia, 2003”. autobus.cyclingnews.com. 2024年9月6日閲覧。
  4. ^ スカイが山岳初戦を席巻 激坂で栄光を手にしたフルームとウィギンズ - シクロワイアード 2012年7月8日付
  5. ^ ウィギンズが王者の風格を漂わす最速タイム 2位のフルームが総合3位浮上 - シクロワイアード 2012年7月10日付
  6. ^ ロランの奮闘でユーロップカーが山岳2連勝 堅固なスカイが総合ワンツー - シクロワイアード 2012年7月13日付
  7. ^ 撒菱によりパンク続出のトラブル発生 LLサンチェスが独走で通算4勝目 - シクロワイアード 2012年7月16日付
  8. ^ 帰ってきたバルベルデが4年ぶりの勝利 スカイが大会制覇に駒を進める - シクロワイアード 2012年7月20日付
  9. ^ 堂々の最速タイムを叩き出したウィギンズ 英国人ツール初制覇に王手 - シクロワイアード 2012年7月22日付
  10. ^ ウィギンス圧勝!英国人初総合V/ツール - 日刊スポーツ 2012年7月22日付
  11. ^ ウィギンス、英国人初Vへ前進/ツール - 日刊スポーツ 2012年7月20日付
  12. ^ ロンドン五輪⑧ 長いが感動的な開会式 - BROGOS 小林恭子 2012年7月28日付
  13. ^ 風邪と肺の感染症に苦しんだウィギンズがジロをリタイア 前年覇者ヘジダルもスタートせず - シクロワイアード 2013/05/17 - 21:31
  14. ^ ブラッドリー・ウィギンスがアワーレコード54.526kmをマーク 世界新記録を樹立 - cyclist.sanspo.com 2015/06/08 11:34
  15. ^ 自転車のウィギンズが引退表明 - 共同通信 2016年12月29日付
  16. ^ ロビー・ウィリアムス、ノエル、ロッド、ウィットに富んだ英国人セレブ・リストに

外部リンク

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先代
アレックス・ダウセット
UCIアワーレコード (54.526 km)
2015年6月7日 – 2019年4月16日
次代
ヴィクトール・カンペナールツ