ブルキナファソ

アフリカ西部に位置する国家
ブルキナファソ
Burkina Faso
ブルキナファソの国旗 Coat of arms of Burkina Faso.svg
国旗 (国章)
国の標語:Unité, Progrès, Justice
(フランス語: 統一、進歩、正義)
国歌Une Seule Nuit(フランス語)
ある一夜
ブルキナファソの位置
公用語 フランス語
首都 ワガドゥグー
最大の都市 ワガドゥグー
政府
大統領 ロック・マルク・クリスチャン・カボレ英語版
首相 クリストフ・ジョセフ・マリー・ダビレ
面積
総計 274,200km272位
水面積率 0.1%
人口
総計(2019年 20,321,378人(???位
人口密度 50人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2013年 5兆9,475億[1]CFAフラン
GDP(MER
合計(2013年 120億[1]ドル(127位
GDP(PPP
合計(2013年277億[1]ドル(119位
1人あたり 1,638[1]ドル
独立フランスより
1960年8月5日
通貨 CFAフランXOF
時間帯 UTC (+0)(DST:なし)
ISO 3166-1 BF / BFA
ccTLD .bf
国際電話番号 226

ブルキナファソフランス語: Burkina Faso)は、西アフリカに位置する共和制国家。北にマリ、東にニジェール、南東にベナントーゴ、南にガーナ、南西にコートジボワールと国境を接する内陸国である。首都はワガドゥグー

第二次世界大戦後、1960年オートボルタ(Haute-Volta, 上ボルタ)共和国として独立した。独立後、フランスから離れて非同盟路線を歩み、東側諸国と友好関係を築いたが、1987年以降はフランスとの関係を最重視している。現在の国名ブルキナファソは1984年に旧来の国名のオートボルタから改称された。

国名編集

元々ヴォルダ川の上流に位置するフランスの植民地であったために、オートボルタ(Haute-Volta)と名付けられていた。ブルキナファソはフランス語英語による正式国名はBurkina Fasoであり、1984年当時の大統領トーマス・サンカラによって改名された。ブルキナ共和国(Republic of Burkina)と表記する場合もある。国民・形容詞の英語はBurkinan, 又はBurkinabe(bèはフラニ語の接尾辞)。

国名は「ブルキナ」と「ファソ」に意味が分かれており、また単語の言語も異なる。「ブルキナ」はモシ語で「高潔な人」、「ファソ」はジュラ語で「祖国」を意味する。

歴史編集

モシ人編集

伝説上では11世紀ごろ、この地域にモシ人が侵入してモシ王国英語版を建設した。モシ王国は実際にはモシ王国群と呼ぶべきもので、最も強力なワガドゥグー王国を中心に、ヤテンガやテンコドゴなどいくつかの王国からなっていた。モシ王国は14世紀から16世紀にかけて最盛期を迎え、マリ帝国ソンガイ帝国といったニジェール川流域帝国と戦争を繰り返した。その後周辺地域に侵攻を行うことはなくなったものの、モシ王国群はこの地域で結束と独立を保ち続け、19世紀まで存続した[2]

フランス植民地時代編集

 
モシ人騎兵隊(1890年)。

1884年から1885年にかけて開催されたベルリン会議 (アフリカ分割)ヨーロッパ列強諸国がアフリカ分割の動きを強めると、西アフリカにはフランスが進出し、1896年にモシ王国の中心であるワガドゥグーがフランスの保護領となった。1898年には現在のブルキナファソに相当する領域全体がフランス保護下に入り、1904年に周辺諸国と共にセネガルダカールを中心とする広大なフランス領西アフリカの一部としてフランス植民地帝国を構成した。ただしフランスはこの地域では間接統治を行い、モシ王国や旧来の権力構造は残存した[3]。1919年には仏領オートボルタ植民地英語版が成立し、1932年にいったん周辺植民地に分割されたものの、地域的なまとまりの強かったこの地は1947年に再び単独の植民地となった[4]

独立編集

第二次世界大戦後の1958年にフランス共和国の自治共和国となり、「アフリカの年」こと1960年オートボルタ共和国(République de Haute-Volta)として独立した。オート・ボルタとはボルタ川の上流という意味である。初代大統領はモーリス・ヤメオゴであった。1966年サンゴール・ラミザナによるクーデターが発生しヤメオゴは失脚、ラミザナは1980年にセイェ・ゼルボのクーデターで打倒されるまで、大統領を務めた。ゼルボ大統領も1982年にジャン=バプティスト・ウエドラオゴのクーデターによって失脚した[5]

サンカラ革命編集

1983年ブレーズ・コンパオレによるオートボルタ時代最後のクーデターが起こり、ウエドラオゴ大統領は失脚、かつて首相でありながらも失脚していたトーマス・サンカラが大統領に就任した。サンカラは社会民主主義、革命的民主主義を掲げて社会主義路線を推進し、ブルジョワジーや伝統的首長、イスラームマラブー聖人)と対抗しながら、女性の地位向上、識字運動、福祉の向上などを図り、旧宗主国のフランスや領土問題を抱えていた隣国のマリ共和国と対立する一方で、キューバリビアアンゴラモザンビーク北朝鮮ベナンなどの社会主義国と友好関係を築いた。1984年8月にサンカラは革命事業の一環として国名を「オート・ボルタ共和国」(「ヴォルタ川の上流の共和国」の意)から現在の「ブルキナ・ファソ」(「清廉潔白な人たちの国」の意)に変更し、自ら新国歌ある一夜」の作詞もした。サンカラへの支持は国民からも高く、「アフリカのチェ・ゲバラ」の異名を取ったカリスマ的な政治家だった。サンカラ政権下の1985年に、ブルキナファソはen:Agacher Strip War英語: Christmas War)にてマリ共和国と交戦した。

コンパオレ政権以後編集

1987年10月15日、サンカラが独裁的かつ行き過ぎた社会主義路線をとっているとして、側近のブレーズ・コンパオレがクーデターを起こし、サンカラは暗殺された。コンパオレは人民戦線を設置し、人民戦線議長(国家元首)に就任。1990年10月にサンカラ時代の急進的左翼路線を放棄し、複数政党制や大統領の直接選挙を柱とする憲法を国民投票にかけ、1992年には複数政党制による総選挙が実施され、大統領に選出された。以後、7年の任期を2回、任期の長さを批判されて短縮された5年の任期を2回、都合27年にわたり大統領として君臨。2014年、翌年の大統領選挙に向けて3選を禁止していた憲法の改正に着手しようとしたところ国民が反発し、同年10月には首都において数十人の死者が出る暴動に発展した(2014年ブルキナファソ反政府運動)。この混乱に対し、軍が収拾に乗り出し内閣を総辞職させ、夜間外出禁止令を出し政権を掌握。事実上、コンパオレ政権が崩壊した[6]

政権を掌握した軍はいったんオノレ・トラオレ英語版陸軍参謀長の元首就任を発表したものの、軍内部や市民からの反発を受け、11月1日にイザック・ジダ中佐が暫定元首に就任[7]。同月には民間人のミシェル・カファンドが暫定大統領に就任し、ジダを暫定首相に任命した[8]

2015年クーデター編集

2015年9月16日、コンパオレとつながりのある大統領警備隊フランス語版兵士がカファンド暫定大統領とジダ暫定首相、ほか閣僚2名を拘束し、翌17日にクーデターを宣言した。クーデター派は国民民主評議会を設置し議長には、コンパオレ政権で参謀総長を務めたジルベール・ディエンデレを指名。暫定政権を解散させ、国境を封鎖し、夜間外出禁止令を出した[9]。同日、フランスのフランソワ・オランド大統領がクーデターに対する非難を表明[10]18日、クーデター派は拘束していたカファンドと閣僚2人を解放。封鎖していた国境を開放した。同日、危機打開に向け、西アフリカ諸国経済共同体議長国セネガルのマッキー・サル大統領と、ベナンのヤイ・ボニ大統領がワガドゥグーに到着した。一方、アフリカ連合は平和安全保障理事会後、ブルキナファソの加盟国資格を即時停止を発表。クーデター参加者の渡航禁止と資産凍結を全加盟国に呼び掛けた[11]21日、クーデターに反対する政府軍部隊が事態収拾を目指しワガドゥグーに入りクーデター派に武装解除を迫ったことにより、22日に拘束していたジダを解放し降伏に向けた協議に入る[12]23日、交渉が妥結したことによりカファンドが暫定大統領に復帰し、クーデターの終結を宣言。カファンドの職務復帰から数時間後、ディエンデレもクーデターの終結を宣言し、反乱部隊と政府軍との全面戦闘は回避された[13][14]

2015年民政復帰後編集

11月には大統領選挙が実施され、ロック・マルク・クリスチャン・カボレ英語版大統領が就任して民政復帰した[15]

2015年以降の政変で政府が弱体化すると、隣国のマリからイスラム系武装組織が北部に侵入。治安部隊への攻撃が繰り返されている。2019年9月には、北部の都市バルサロゴで人員と物資を輸送していた車両が即席爆発装置により破壊され。乗っていた15人以上が死亡した[16]。一方、政府軍側も武装組織側に対して非公表の反撃を加えており、2020年、国際人権団体はブルキナファソ北部で軍により埋葬された男性180人以上の遺体が発見したとして報告書を公開した[17]

政治編集

 
第7代大統領ロック・マルク・クリスチャン・カボレ

ブルキナファソは共和制大統領制をとる立憲国家である。現行憲法1991年6月11日に制定されたもの。

国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている。首相は国民議会との協議に基づき、大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、首相の推薦に基づき、大統領が任命する。

議会は一院制で、正式名称は国民議会。定数111議席[18]。議員は比例代表制に基づく選挙で選出され、任期は5年である。

主要政党としては、ロック・マルク・クリスチャン・カボレ大統領率いる進歩人民運動(MPP)が2015年選挙で55議席を得、第一党となっている。次いで、進歩再生連合(UPC)が33議席で第2党となっている。前大統領ブレーズ・コンパオレの与党であった民主進歩会議(CDP) はコンパオレ政権下で圧倒的な議席数を得ていたものの、政権崩壊後の2015年選挙では18議席、第3党となった。

最高司法機関は最高裁判所である。

国際関係編集

ブルキナファソはかつて1961年12月から1973年10月まで台湾、1973年9月から1994年2月まで中国と国交を持っていた[19]1994年2月から台湾と復交して中国と断交していたが、2018年5月24日に再度台湾との断交を発表し、5月26日に中国と復交した。なお、2017年に中国から500億ドルの供与を条件に中国との復交と台湾との断交を持ちかけられたが当時は断っている[20]

日本との関係編集

1960年のオート・ボルタ共和国の独立と同時に同国を承認、1979年より経済協力を開始した。当初は食糧援助や肥料等の援助が中心で、水、教育等に協力分野を広げ、今では保健、農業、環境と協力分野が広がっている。日本との貿易は日本の大幅な黒字であり、日本からは機械類や自動車が主に輸出される。ブルキナファソから日本への輸出品はゴマがほとんどであり、2016年には、ブルキナファソの対日輸出の96.3%がゴマによって占められていた[21]。2017年データでは、ブルキナファソは日本のゴマ輸入国第1位となっており、日本のゴマ輸入量の約27%がブルキナファソ産によって占められていた[22]

2009年1月に在ブルキナファソ日本国大使館が開館した。経済協力分野に加え、日本国大使館や国際交流基金が主催する文化面での交流も活発に行われるようになった。また、2009年には同国では初めてとなる文部科学省国費留学生選考試験が行われるなど人物交流も盛んである。初代駐ブルキナファソ特命全権大使は杉浦勉が務めた。

2015年8月、前年より練習生として四国アイランドリーグplus高知ファイティングドッグスに所属していたサンホ・ラシィナが高知球団と選手契約を結び、ブルキナファソで初めてプロリーグに所属する野球選手となった[23]

  • 在留日本人数 - 86人(2018年10月現在)[24]
  • 在日ブルキナファソ人数 - 94人(2017年)[25]

行政区画編集

 
ブルキナファソの地方
 
地形図

ブルキナファソは13地方、45県、301郡に分割されている。

主要都市編集

最大都市は首都のワガドゥグーである。ワガドゥグーは国土のほぼ中央に位置し、政治の中心地である。これに次ぐ都市は西部のボボ・ディウラッソである。ボボ・ディウラッソは周辺の農産物の集散地となっている。ブルキナファソの都市としてはこの両都市が突出しており[26]、これ以外に人口10万人を超える都市は存在しない。

地理編集

 
ブルキナファソの地図
 
ヴォルタ川の色分け

ブルキナファソの国土は標高180mから300mほどの高原をなしており、全体的に起伏が乏しく平坦な地形をしている。西部には丘陵が存在するが、国土の最高地点でも749mにすぎない[27]。国土を北から南へ3本のヴォルタ川の支流が流れ、これがかつての国名である「オート・ボルタ」の由来ともなった。この3本の支流のうち、最も西を流れるのが黒ヴォルタ川である。赤ヴォルタ川は国土の中央部を流れ、そのやや東を白ヴォルタ川が流れている[28]。これらの河川はガーナ国内で合流し、最終的にはギニア湾に注ぐ。

降水量は緯度にほぼ比例し、北へ行くほど降水量は少なくなる。南部はケッペンの気候区分ではサバナ気候 (Aw)に相当し、サバナが広がる。最も雨の多い南西部の降水量は年間約1150mm程度である。首都ワガドゥグーを含む中部はステップ気候(BS)に属する。国土の北部はサヘル地帯にあたり、砂漠化が少しずつ進行している。最北部の年間降水量は250mm程度に過ぎない[29]

経済編集

 
植民地時代に作られた鉄道駅ボボ・ディウラッソ

IMFの推計によると、2013年のブルキナファソのGDPは120億ドルである。一人当たりのGDPでは711ドルとなり、隣国のガーナやコートジボワールと比べると半分ほどで、世界平均の10%未満の水準にある。[1]輸入超過を慢性的に計上しているが、1994年から貿易額自体が膨張し、赤字もふくらんでいる[30]

農業を主体とする第一次産業の従事者が78.4%(2006年)、GDPの35%を占めているが、表土は痩せたラテライトに覆われており、灌漑設備も整っていないため天水農業が主である[31]。全世界の生産量では雑穀(ほとんどがトウジンビエである)が7位、ソルガムが10位を占める(2014年)。輸出用作物としては綿花が重要であり、2015年には総輸出の13.6%を占める第2位の輸出品となっているほか、世界7位の生産量を誇るゴマも輸出品として重要であり、2015年には輸出の7.8%を占める第3位の輸出品となっている[32]

古代から重要だったの採掘は現代でも続いており、2008年の5トンから2009年には11トン以上、2014年には36トンにまでに伸びている[33]。1991年以来、鉱山地理局をふくむ国営企業の民営化を推進したことにより投資環境が整備された。その結果、2009年に鉱山開発権の付与数が前年比62件増の599件となり、同部門への投資額は約734億円に上った。外資の出所は、イギリス、カナダオーストラリア、アメリカなどの企業であるが、当然ながら多国籍企業もふくまれる。2015年には金の輸出は総輸出の61.7%を占め、ブルキナファソ経済の柱となっている[34]

すでにフランス植民地時代より人口過剰のため、周辺諸国への出稼ぎがさかんに行われてきた[35]。こうした移民の流出先は南側の沿岸諸国、なかでも特にコートジボワールが大半を占めており、1988年の時点でコートジボワールにいた300万人の移民のうち、ブルキナファソ人は51%、150万人以上にも上っていた[36]。こうした移民の多くはカカオ農園の労働者として働いているが、コートジボワール大統領だったコナン・ベディエの「イボワリテ」政策以降、労働条件が悪化。多数が帰国した。

国内で電力需給を賄うことができず、隣国から電力を輸入している。このため2030年を目標に電力需要の30%を太陽光発電で賄うことを目指しており、2017年には首都ワガドゥグ郊外に西アフリカ最大規模の出力33MWの太陽光発電所が建設されている[37]

交通としては、植民地時代の1954年に開通したアビジャン・ニジェール鉄道が首都ワガドゥグーからクドゥグやボボ・ディウラッソを通って、南のコートジボワールの最大都市・輸出港であるアビジャンとの間を結んでいる。1991年にはワガドゥグーから北のカヤ英語版まで延伸された[38]貨物輸送が主で旅客輸送も行っているものの、老朽化や輸送力の少なさによって経営難が続いており[39]、輸送の主力は道路交通へと移行している。空運は、ワガドゥグー空港ボボ・ディウラッソ空港の2つの国際空港が存在するほか、地方にいくつかの小規模な空港が存在する。ワガドゥグー空港はエール・ブルキナハブ空港としており、ボボ・ディウラッソや周辺諸国へ航空便を就航させている。

国民編集

民族編集

モシ人が約40%、プル人(フラニ人)、グルマンチェ人、グルンシ人、ボボ人、ロビ人、マンデ人などモシ人以外の民族が約60%を占める[40]

言語編集

公用語フランス語であり、90%の国民がモシ語などニジェール・コンゴ語族のスーダン系言語を話している[40]

宗教編集

イスラームが60%、ローマ・カトリックが19%、アニミズムが15.3%、プロテスタントが4.2%、その他が0.6%、無宗教が0.4%である[40]。ブルキナファソのイスラームはスンナ派マーリク法学派が優勢である。

教育編集

2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は21.8%(男性:29.4%、女性:15.2%)である[40]。2010年の教育支出はGDPの4%だった[40]。教育制度は小学校6年、中学校4年、高校3年、大学4年であり、小学校・中学校の10年間が義務教育である。教授言語はフランス語である[41]

文化編集

食文化編集

文学編集

映画編集

1969年以降、首都のワガドゥグーではアフリカ最大の映画祭の一つであるワガドゥグ全アフリカ映画祭 (Festival panafricain du cinéma et de la télévision de Ouagadougou,FESPACO) が開催されている。

世界遺産編集

ブルキナファソ国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が2件、自然遺産が1件存在する。2009年には国内最初の世界遺産としてロロペニの遺跡群が登録され、2017年にはニジェールのみの登録となっていたW国立公園が、隣接するベナン・ブルキナファソ両国を含む形でW・アルリ・パンジャリ自然公園群として拡大された[42]。その後、2019年にはブルキナファソの古代製鉄遺跡群が文化遺産として登録された[43]

祝祭日編集

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Jour de l'an
1月3日 1996年反乱記念日
3月8日 国際婦人デー Journée de la femme
春分の日以降の満月の
次の日曜日
復活祭 Pâques 変動あり
5月1日 メーデー Fête du Travail
復活祭から40日後 主の昇天 Ascension
復活祭から50日後 ペンテコステ Pentecôte
8月4日 人民共和国発足記念日 Anniversaire de la révolution
8月5日 独立祭 Fête de l'indépendance
8月15日 聖母被昇天 Assomption
10月15日 国家改善運動の日 Anniversaire de la rectification
11月1日 諸聖人の日 Toussaint 全ての聖人と殉教者を記念する日
12月11日 独立記念日 Fête nationale フランスの自治共和国になった日
12月25日 クリスマス Noël イエス・キリスト生誕
ヒジュラ暦第3月12日 預言者生誕祭 Mouloud 預言者ムハンマドのヒジュラ暦による誕生日
ヒジュラ暦第9月 ラマダーン Ramadan
イード・アル=アドハー Tabaski (Aïd el-Kebir) ラマダン明けから70日後

スポーツ編集

フランス出身のフィリップ・トルシエは1997年から1998年にかけてサッカーブルキナファソ代表監督を務め、同代表をアフリカネイションズカップ1998第4位に導き「白い呪術師」の異名を取った。

著名な出身者編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). 2014年10月30日閲覧。
  2. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.461、朝倉書店 ISBN 4254166621
  3. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.462、朝倉書店 ISBN 4254166621
  4. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.462、朝倉書店 ISBN 4254166621
  5. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.462、朝倉書店 ISBN 4254166621
  6. ^ “反大統領デモ発生のブルキナファソ、軍が政権掌握を宣言”. AFPBBNews (フランス通信社). (2014年10月31日). http://www.afpbb.com/articles/-/3030460 2014年11月1日閲覧。 
  7. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/3030644?cx_part=search 「ブルキナファソ野党側、軍の実権掌握をけん制 大規模デモ呼びかけ」AFPBB 2014年11月2日 2019年12月21日閲覧
  8. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/burkina/data.html 「ブルキナファソ基礎データ」日本国外務省 令和元年7月1日 2019年12月21日閲覧
  9. ^ “ブルキナファソ、大統領警備隊がクーデター宣言”. AFPBBNews (フランス通信社). (2015年9月17日). http://www.afpbb.com/articles/-/3060672 2015年9月19日閲覧。 
  10. ^ “クーデター非難=仏大統領”. シブヤ経済新聞 (みんなの経済新聞ネットワーク). (2015年9月19日). http://www.shibukei.com/gpnews/225945/ 2015年9月25日閲覧。 
  11. ^ “暫定大統領ら解放=AUは加盟資格停止発表-ブルキナファソ”. 時事ドットコム (時事通信社). (2015年9月19日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201509/2015091900081 2015年9月25日閲覧。 
  12. ^ “ブルキナファソ:反乱部隊が首相を解放 降伏に向け協議”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2015年9月22日). オリジナルの2015年9月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150924222806/http://mainichi.jp/select/news/20150923k0000m030068000c.html 2015年9月25日閲覧。 
  13. ^ “ブルキナのクーデター失敗、暫定大統領が職務復帰”. AFPBBNews (フランス通信社). (2015年9月24日). http://www.afpbb.com/articles/-/3061052 2015年9月25日閲覧。 
  14. ^ “ブルキナファソ:全面戦闘回避し暫定政府大統領が復帰へ”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2015年9月24日). http://mainichi.jp/select/news/20150924k0000e030205000c.html 2015年9月25日閲覧。 
  15. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/burkina/data.html 「ブルキナファソ基礎データ」日本国外務省 令和元年7月1日 2019年12月19日閲覧
  16. ^ イスラム過激派が2度の車両攻撃、29人死亡 ブルキナファソ”. AFP (2019年9月9日). 2019年9月19日閲覧。
  17. ^ ブルキナファソで180人集団埋葬 軍関与か”. AFP (2020年7月8日). 2020年7月12日閲覧。
  18. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/burkina/data.html 「ブルキナファソ基礎データ」日本国外務省 令和元年7月1日 2019年12月19日閲覧
  19. ^ Shinn, David H.; Eisenman, Joshua (2012). China and Africa: A Century of Engagement. Philadelphia: University of Pennsylvania Press. p. 248. ISBN 081-220-800-5 
  20. ^ “中国、台湾との断交提案 ブルキナに5兆円示す “金銭外交”露呈”. 産経ニュース. (2017年1月26日). http://www.sankei.com/world/news/170126/wor1701260028-n1.html 2017年1月26日閲覧。 
  21. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p301 二宮書店 平成30年1月10日発行
  22. ^ https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2018/7700632103699a18.html 「エチオピア企業がゴマの市場開拓を目指す「FOODEX JAPAN 2018」に出展」JETRO地域・分析レポート 2018年5月16日 2019年12月20日閲覧
  23. ^ “ラシィナ選手とFDが契約 ブルキナ出身者初めてプロ昇格”. 高知新聞. (2015年8月26日). http://www.kochinews.co.jp/il/15il/150826news02.htm 2015年8月29日閲覧。 
  24. ^ 外務省 ブルキナファソ基礎データ
  25. ^ 外務省 ブルキナファソ基礎データ
  26. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.460、朝倉書店 ISBN 4254166621
  27. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.459、朝倉書店 ISBN 4254166621
  28. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.461、朝倉書店 ISBN 4254166621
  29. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.459、朝倉書店 ISBN 4254166621
  30. ^ ブルキナファソ国立統計人口動態研究所「2008年版統計年鑑」2009年4月
  31. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.465、朝倉書店 ISBN 4254166621
  32. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p300-301 二宮書店 平成30年1月10日発行
  33. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p301 二宮書店 平成30年1月10日発行
  34. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p301 二宮書店 平成30年1月10日発行
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参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集