ブルジョア民主主義

ブルジョア民主主義(ブルジョアみんしゅしゅぎ)とは、共産主義者/マルクス・レーニン主義者による、議会制民主主義の蔑称である。自由主義に基づく民主主義は、資本利益を実現することにあるとの認識に基づく。

狭義においては、自由主義国の議会の内、社会党共産党社会民主党民主社会党などの社会主義政党が参入する余地のない議会制民主主義を指す。あるいは、参入できてもほとんど影響力を行使できない状態の議会を指す。

広義においては、自由民主主義体制を採用する資本主義国家全ての議会が該当する。1980年代フランス第五共和国与党だったフランス社会党フランソワ・ミッテラン大統領は、サッチャリズムを実施したネオリベラリストの「サッチャー顔負け」と言われる緊縮財政を実施した。1982年から1996年までスペインの与党であったスペイン社会労働党フェリペ・ゴンサレス政権は、本来保守政権が行なうべき、高度経済成長政策を実施した。日本日本社会党1994年自由民主党との連立で政権を獲得した途端、結党以来の看板であった非武装中立政策村山富市委員長の一存で破棄した。

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ブルジョア民主主義の源流編集

ブルジョア民主主義の源流は1789年に勃発したフランス革命にある。

それまでは封建制に基づく絶対主義アンシャン・レジーム)を維持してきたフランス王国で、フロンドの乱以来経済的に有力となりつつあった市民階級(ブルジョワジー)が政治的にも権力を得るため、啓蒙思想的自由主義に基づく暴力革命によって貴族と国王を打倒し、政権を得たのがフランス大革命である。1792年に前1791年に制定された1791年憲法に基づく立法議会が廃止され、ジャコバン派によって普通選挙法が制定されることによって議会政治(当時のフランスでは国民公会)は世界的に普及してゆくものとなった。フランスに先行して17世紀後半の清教徒革命名誉革命を経て18世紀初頭より議会政治が行われてきたイギリスはそれを世界的に普及させることがなかったことにより、世界的にしばしば自由主義的議会政治のモデルとされてきたのはフランスの議会政治であった。

19世紀半ばの1848年革命を経た後の国民国家の大衆化と絶対主義国に於ける国王貴族教会など伝統的特権階級の勢力消長は、市民階級(ブルジョワジー)の中から小規模のプチ・ブルジョワジー(小市民)を、既存のブルジョワジーの下に何段にも雛壇をなして加えてゆくこととなったが、そのように経済規模の裾野がより広がろうとも、議会政治のモデルは常にフランス型の議会制であった。

20世紀末から21世紀初頭に於けるブルジョア民主主義編集

世界的に非ブルジョワ民主主義が稀であるとはいえ、安定的に存在している例もある。

例えばオランダベルギーなど西欧立憲君主制国家では社会主義政治は広く浸透し、議会においても勢力を維持している。それらの国においてはデンマークスウェーデンノルウェーフィンランドなどの北欧諸国のように国是としての社会民主主義は採らないが、保守派の自由主義政党に対立するものとして革新派の社会主義政党が存在している。

オランダ人ジャーナリストであるカレル・ヴァン・ウォルフレンはその活動地の一つである日本にて、社会主義的変革が浸透しないことの問題について論じている。

ブルジョア民主主義は実体経済が幾重にも階層化していることから、支持勢力は自らがブルジョワ民主主義を成していることをしばしば自覚していない。それら階層を代表する政治勢力は表面上はそれぞれ異なる勢力として存在していることが多い。その典型的な例は小政党の乱立であったり、大政党からの分離による新党の旗揚げであったりする。そのような勢力図会においては安定的な中枢権力により党議を拘束して一枚岩の党体制を維持することが困難であることにより、政治的意思決定が遅くなり、官僚権力の優越を生ずることが多くなる。

日本編集

日本社会党日本共産党社会主義勢力は、1955年保守合同による自由民主党(自民党)の発足以後、事実上自由民主党の意向に沿う形でのみ、その勢力を維持することとなった。村山富市委員長/元内閣総理大臣を最後とした日本社会党の実質的解散を俟つまでもなく、1955年の時点で既に日本の社会主義勢力は自由民主党を中心としたブルジョワ民主主義との統合を余儀なくされたのであった。

2010年には「大連立(政権)」(菅直人政権に代わる政権構想として自由民主党や民主党の一部から提唱されたもの)と名を変えてブルジョワ民主主義はその再構築が図られている。

関連項目編集