ブルーノ・メグレ

ブルーノ・メグレ(Bruno Mégret、1949年4月4日 - )は、フランス官僚政治家。反EU、反移民などを唱える極右政党共和国運動党首。妻はヴィトロル市前市長のカトリーヌ・メグレ。

ブルーノ・メグレ
Bruno Mégret
Bruno.Megret2005.JPG
2005年5月にパリ市内で行われた集会で演説するブルーノ・メグレ
生年月日 (1949-04-04) 1949年4月4日(73歳)
出生地 フランスの旗 フランスパリ
出身校 リセ・ルイ=ル=グラン
エコール・ポリテクニーク
国立土木学校
カリフォルニア大学バークレー校
高等国防研究院フランス語版
前職 技術官僚
所属政党共和国連合→)
(共和国行動委員会→)
国民戦線→)
共和国運動
称号 M.S.(カリフォルニア大学バークレー校)・1975年
配偶者 カトリーヌ・メグレフランス語版
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経歴編集

1949年4月4日パリ生まれ。パリ随一の名門リセリセ・ルイ=ル=グランを経て、フランス理工系最高峰のエコール・ポリテクニーク卒業。国土整備関係のエンジニアを経て、シャルル・パスクワの推薦で対外関係省に入り、1981年の国民議会議員選挙に保守第一党の共和国連合公認でイヴリーヌ県から立候補したものの落選した。

1985年に国民戦線に入党した。1986年3月の国民議会議員選挙に国民戦線から出馬して当選し、1988年6月まで務める。

1989年の欧州議会議員選挙に国民戦線から出馬して当選し、1999年まで務める。1992年3月に初当選してから2002年3月までプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏議会議員を務める。2001年3月からマルセイユ市議会議員を務めている。

国民戦線内の経歴編集

共和国運動を結成編集

メグレは1998年に国民戦線の乗っ取りを試みたが、ル・ペン党首との権力闘争に敗れて同年の12月13日に除名された。

メグレは自らを支持する国民戦線の党員・幹部を引き連れて、1999年1月23日-25日に党大会を開催し、国民戦線-国民運動を結党し、メグレが党首に就任した。しかし、5月11日にパリ大審裁判所はメグレ派が 国民戦線という党名とマークを使用することを禁止した。

1999年欧州議会議員選挙(6月13日、投票)にメグレ派は候補者を擁立したが、フランス全土で57万8774票(3.28%)を得るにとどまり、議席は一つも獲得できず、敗退に終わった。1999年10月2日に党大会を開き、党名を共和国運動に変更した。

2002年フランス大統領選挙にメグレが出馬したものの、66万7026票(2.34%)を得ただけで惨敗した。2002年国民議会議員選挙(6月9日、16日、投票)では577の小選挙区のうち571選挙区に党公認候補を擁立したが、フランス全土で27万6376票(1.1%)を得ただけで当選者はゼロだった。

2006年12月20日にメグレはル・ペン党首と会談して、2007年フランス大統領選挙で共和国運動がル・ペン候補を支持することで合意した。

2007年国民議会議員選挙(6月10日、17日、投票)では「反移民・反イスラム化・反治安悪化[1]」をスローガンにして379名の党公認候補を擁立したが、当選者はゼロだった。

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ Contre l'immigration-islamisation-insécurité

参考文献編集

  • 『パリの移民・外国人 欧州統合時代の共生社会』 本間圭一(著) 高文研
  • 『フランス極右の新展開―ナショナル・ポピュリズムと新右翼』 畑山敏夫(著) 国際書院
  • 『現代フランスの新しい右翼―ルペンの見果てぬ夢』 畑山敏夫(著) 法律文化社
  • 『沸騰するフランス 暴動・極右・学生デモ・ジダンの頭突き』 及川健二(著) 花伝社

外部リンク編集